道徳的動物日記

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ジョナサン・ハイト 『しあわせ仮説』 (4) 2章「心を変化させる」後編   瞑想、心理療法、薬でハッピーになろう!

 

しあわせ仮説

しあわせ仮説

 

 

 

 ・自分の感情スタイルは、生得的なポジティブ/ネガティブ気質に影響されているとはいえ、変えることもできる。しかし、意志の力だけでは、変えることはできない。象(感情/気質/自動化プロセス)を変えるための方法を実践しなければならない。

 

 心を変化させる方法 その1 「瞑想」

 

 ・一日一回瞑想を行えば、満足感が増えて、自尊心が伸び、共感心が養われ、信頼感が増強され、記憶力も改善する。

 瞑想とは、「非分析的な方法で注意を集中するよう意識的に試みる」こと。じっと座って、自分の呼吸や、ある単語、あるイメージのみに意識を集中し、他の言葉や考えやイメージなどが意識にのぼらないようにする。言うは易し、行うは難し。最初の数週間は失敗に繰り返し直面するが、その失敗を通じて、象使い(意識/理性)に謙虚さと忍耐が培われる。

 瞑想の目的は、自動化プロセスを変化させて、象(感情)を手なずけること。そして、象を手なずけることにより執着や愛着を打ち破る。

 人間の心理には「お金が欲しい」「尊敬されたい」などの多くの執着があるが、快楽よりも苦痛の方を強く感じるネガティビティ・バイアスも存在するために、執着は常に苦しみを呼ぶ。「お金が欲しい」という執着のために、お金が得られなかったり失った時に苦しむ。「尊敬されたい」という執着のために、尊敬されなかったときや軽蔑されたときに傷付き苦しむ。その苦しみは、お金や尊敬を得られたときの喜びを上回る。

 仏陀によれば、執着はルーレットゲームである。ルーレットを回すのは私たち本人ではなく、ルーレットはいかさまであり、プレイすればするほど負けてしまう。解決策は、ルーレットの台から離れてしまうこと。そして、ルーレットから離れることとは、瞑想して、気持ちを静めて、勝利の快楽を諦めてしまうことである。

 ハイトは、仏陀の主張するように「ルーレットを諦める」ことが全ての人にとって最善の選択肢だとは考えないが(第5章で論じる)、瞑想の効用には同意する。瞑想を数ヶ月間続けることで、ネガティブな思考の頻度を減らすことができ、自分の感情スタイルの改善も行える。(56-59.)

 

 

 心を変化させる方法 その2 「認知療法

 

 ・1960年代、精神科医のアーロン・ベックは、フロイト派による「人の苦悩は、すべて、幼児期の出来事によって引き起こされている。現在の苦悩を解決する唯一の方法は、抑圧された記憶を掘り起こし、分析して、未解決の葛藤を乗り越えることだ」というアプローチが、うつ病患者に対して有効だという証拠は全くないと考えた。自己批判的な思考や不当に扱われた記憶を呼び戻させると、患者はますます落ち込んでしまう。

 他方で、自己批判的な思考の正当性について疑問を投げかけてみると、患者の状態が上向くことが多かった。ベックは、患者に対して、自身の歪んだ思考プロセス過程をまとめて、自分の思考プロセスを受け止めて考え直すようなトレーニングを行った。この治療法は多くの症状に効果をあげ、認知療法と呼ばれるようになった。

 

 ・理性は、真実を見つけることよりも、もとから存在する直感や信念を正当化するような議論をつくりあげるために使用される。抑うつの人は「私はダメだ」「世間はひどい」「私の将来は暗い」という信念を持っており、これらの信念を支持するような自動的思考に満たされている。歪んだ思考がネガティブな感情を生み、ネガティブな感情は思考をさらに歪める、という悪循環。

 うつ病の父親は、娘が転んだら、「私はひどい父親だ」(個人化)、「なぜ、私はいつも子供にたいして、こんなにひどいことをしてしまうのだろう」(「いつも」や「必ず」という言葉を使ってしまう二分法的思考、過度の一般化)、「彼女は脳に障害を負うだろう」(過大視)、「みんな、私を憎むに違いない」(根拠もない結論への飛躍)、という風に考えてしまう。

 認知療法は、思考を変化させることで、悪循環を打ち破る。患者は、自分の思考をとらえて書きとめ、その歪みを挙げて、それに名前を付けて、それに対する代替案やより的確な考え方を見出すようにトレーニングされる。意志の力で感情を打ち破るのではなく、感情を訓練する方法を身につける。

 「家に引き蘢るのではなく、外に出て新聞を買いに行く」などの単純な課題を毎日行うことで、課題をこなすたびに開放感や快感を受ける。象にピーナッツを与えながらトレーニングするようなものであり、徐々に象の気質を変えていくことで、自動化した思考や感情スタイルを変化させる。「行動の強化」といった行動主義から技術を取り入れて、「認知行動療法」とも呼ばれる。

 抑うつ傾向・ネガティブな思考を行う人には、認知行動療法が適している可能性が高い。(59-62.)

 

 

 心を変化させる方法 その3 「プロザック

 

 ・プロザックとは、「選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)」の一つ。その作用の仕組みや、どのように作用するかなどは、(※この本が書かれた2006年の時点で)完全には解明されておらず、議論が分かれる。

 プロザック認知療法と同様に効果的であり、認知療法よりも簡単である。また、精神障害のみならず、批判への恐れ・恋愛依存・過度の批判的傾向・配偶者や子どもに対する過度の支配など、多くの人がある程度は持っている傾向に効果がある。認知療法でも生まれ持った性格を変化させることはできないが(対処・トレーニングを行うのが認知療法)、プロザックを5週間処方することで、攻撃的な性格を消してしまった事例がある。

 

 ・薬によって幸福になる、薬によって自己改善を行う、という発想には多くの人が恐怖を感じる。アメリカ文化では「可能性を引き出せ」と「何よりも大切なのは、自分に忠実なことである」という二つのメッセージがともに支持されるが、しばしば、このメッセージは相互に矛盾する。だが、「自己改善とは、忠実なものである」と考えることで矛盾から目を背ける。知的な可能性を引き出すために教育を受けること、道徳的な人間になる可能性を引き出すために性格を改善することは、当人にとって苦闘であるはずだ。しかし、努力に応じた変化は、他人からも肯定的に見なされる。例として、練習を通じてテニスやピアノが上手くなった子どもは、努力の成果として、自己改善が褒められる。他方で、テニスの技術を増強させる薬や、外科手術でピアノの技術を脳に埋め込むなどの方法が実現しても、その自己改善は努力から切り離されており、多くの人は否定的に感じる。

 アメリカ人のみならず、多くの国の人は「肉体は、魂の宿る聖域である」という道徳的直感を持つ。無神論者や無宗教者でも、豊胸手術をしてボディーピアスを12個つけた女性の話を聞くと、自分の身体をもてあそぶことだと思い、気分を害して不快感を抱く。

 プロザックによる自己改善に対しても、多くの人は、上述したような不快感を抱く。「プロザックや同様の薬が過剰処方されている」という見解が一般に流布されているが、これも「肉体は、魂の宿る聖域である」という道徳的直感に影響された信念だろう。

 しかし、プロザックは大脳皮質くじに外れた人を助ける、くじの不公平を埋め合わせる方法の一つだ。外れの大脳皮質を引いた人にプロザックを処方することは、目の悪い人に眼鏡やコンタクトレンズを処方するようなものである。プロザックは、幸福感を得るための科学的な近道だが、近道が悪いとは限らない。(62-69.)

 

 

 ●瞑想は自分でもやってみたが、たしかに、かなり難しい。そのうち、ヨガスタジオにでも通ってみて、瞑想のやり方についてトレーニングを受けてみたい。