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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

動物の権利運動と動物福祉 ー 規制か、撤廃か? 動物の権利運動における畜産をめぐる論争

動物倫理 動物愛護運動 動物 倫理学

 

アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理

アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理

 
   

 1:「動物福祉」とは何か

  

欧米では、動物愛護運動は主にイギリスを中心に19世紀から登場しているが、当時の運動の対象は、街中や家庭での動物虐待の防止・野良犬や野良猫の保護・「動物には優しく接するべきである」という価値観を普及させること・闘犬やキツネ猟などの慣習に対する反対、そして動物の生体解剖など医学における動物に利用に対する反対であった。街中における荷馬の虐待など家畜への不要な暴力は批判されて、一部の運動家はベジタリアンでもあったが、畜産という制度そのものが批判対象となることはほとんどなく、肉食という慣習は基本的に不問にされていた。

 

  20世紀になると、アメリカを含む世界各国の地域で集約式畜産(工場式畜産)が発展していった。工場式畜産は安価に大量の肉や乳・卵を生産し、貧しい人々でも手軽に動物性食品を入手できるようにした代わりに、牛・豚・鶏などの家畜にとっては伝統的な農場畜産よりも遥かに多くの量の苦痛を与える制度であった。

 

 1962年にレイチェル・カーソンが出版した『沈黙の春』では環境に与える悪影響という点から工場式畜産が批判され、1964年には工場式畜産の下で動物が置かれている状況を告発したルース・ハリソン『アニマル・マシーン』がイギリスで出版されたことにより、市民の一部は工場式畜産に対して批判的な目を向けるようになった。これによって、家畜を飼育する際には家畜に与える苦痛はできるだけ減らすべきである、家畜にとっての虐待性の高い制度や環境は改められるべきである、といった「動物福祉」の理念が広まるようになった。各国の議会も工場畜産を問題視するようになり、イギリス議会では1965年に「集約畜産下での家畜のウェルフェアに関する専門委員会」がつくられ、委員長ロジャー・ブランベルによる「ブランベル・レポート」が動物への虐待性を削減させる飼育基準を提示した

 

  また、動物福祉の考えは畜産制度のみならず動物実験や動物園などの制度にも適用されるようになり、人間の目的のために動物を利用するためにも動物の苦痛を減らし幸福を増やすように配慮するべきである、という理念は法律的な規制や業界内の自主規制という形で実現されるようになってきた。

 

  現在は動物福祉を研究する科学が学問分野として確立しており、動物行動学・生理学・獣医学などの様々な自然科学分野の知見を集合しながら、「それぞれの動物にとって苦痛とは何か」「それぞれの動物にとって幸福とは何か」ということ、そして「どのような環境や行為が動物の苦痛を減らせるか」「どのような環境や行為が動物の幸福を増やせるか」ということが研究されている。

 

  以下、今回の記事では、動物福祉の理念とある部分では重なりながらも、大きく違った価値観に基づく理念である「動物の権利」の立場から、畜産業と動物福祉をめぐる論争を紹介する。

 

 

2:動物の運動と動物福祉

 

 「動物の権利」の基本的な理念は「動物には、動物自身の立場が考慮される道徳的地位がある。畜産業や動物実験など、人間の目的のために動物を苦痛と殺害を伴いながら利用する制度は、非道徳的であり、撤廃されなければならない」ということである。

 

  一方で、「動物福祉」の理念は「動物を利用する際には、可能な限り苦痛を減らし幸福を増やすための配慮をしなければならない」ということである。動物福祉の理念は、畜産業や動物実験などの制度が存在することを前提としており「動物を利用すること」や「動物を殺害すること」は否定しない。

 

 この「動物を利用する制度の存在を認めるか/認めないか」という点での対立は重大なものであり、「動物の権利」と「動物福祉」という理念が紹介されるときには、二つは相容れないものとして紹介されることが多い。

 

  上述したように、「動物の権利」の理念とは「動物を利用する制度の撤廃」である。社会運動としての「動物の権利運動」も、街頭でのデモ・選挙・議会での訴え・裁判・教育や啓蒙活動・動物性食品を使わないビーガン食品や動物実験を行っていない化粧品の宣伝や普及、などの様々な手段によって、「動物を利用する制度の撤廃」を目指す運動である。

 

 しかし、動物の権利運動家が直面する事態とは、「動物を利用する制度の撤廃」を実現することはとにかく難しい、ということである。例えば、毛皮のコートやアクセサリーなどは、動物を利用する他の製品と比べて必要性が少なく代替物が豊富であり、長年続いている動物愛護運動に影響されて毛皮を着なくなる人も増えてはいるようだが、それでも多くの人が毛皮を身に着けている。いつか「毛皮製品は非道徳的であり、身に着けるべきでない」という理念が常識として普及する時代が訪れるとしても、あと数十年はかかるであろう。そして、動物性食品の代替物を普及させることは毛皮の代替物を普及させるこ とよりも遥かに難しい*1。さらに、畜産業は多くの人々の生活が関わる大規模な産業であること、畜産業界や動物性食品を扱う外食業界は(特にアメリカでは)社会的・政治的な影響力が非常に強いという問題にも直面しなければならない。現実問題として、それまで肉食や畜産が当たり前であった社会で「動物を利用する制度の撤廃」をいきなり実現することは不可能である。

 

 動物の権利団体や動物の権利運動家の多くは、「肉食を止めて畜産は撤廃されなければならない、と主張し続けたところで、(少なくとも数十年は)畜産は続けられるだろう」という事態を認識する。

 

  この事態に対応して、動物の権利運動家の選ぶ道は二つある。「長期的な目標として動物を利用する制度の撤廃を主張しつつ、動物福祉を向上させていくことで現状で動物が感じている苦痛を減らすという短期的な目標も主張していく」という道と「動物福祉の向上に関わらず動物を利用する制度は非道徳であると主張し、動物の権利を主張し続け動物を利用する制度の撤廃を目指す」という道の二つである。

 

 

3:物福祉を主する物の

 

 前者の道を選んだ代表的な動物の権利団体は。PETA(People for Ethical Treatment of Animals = 動物の倫理的な取り扱いを求める人の会)である。

 

  PETAの公式ホームページの記事「なぜ動物の権利なのか? ー妥協せずに動物の権利の立場に立つ」  (http://www.peta.org/about-peta/why-peta/why-animal-rights/に書かれているように、PETAは『動物の解放』を書いた倫理学ピーター・シンガーの主張に同意しながら、はっきりと「動物には苦痛を受けない権利がある」と明言している。そして、工場畜産を批判し(http://www.peta.org/issues/animals-used-for-%20food/factory-farming/)人々にベジタリアンになるように薦めている(http://features.peta.org/VegetarianStarterKit/)。

 

   一方で、「テンプル・グランディン ー 私たちには救えない動物を助ける」(http://prime.peta.org/2010/02/temple-grandin-helping-the-animals-we-cant-save)という記事では、マクドナルドやケンタッキーなどのファーストフード企業の関わる工場で採用されている、屠畜される動物の恐怖や苦痛を減らした人道的な屠畜システムを考案した動物福祉研究者テンプル・グ ランディンを讃えている。また、「西海岸から東海岸まで、動物にとっての記念日」という記事(http://www.peta.org/blog/landmark-day-animals-coast-coast/)では、2008年にカリフォル二ア州の住民投票事項で鶏・豚・子牛などの畜産に ついての大幅な規制が採択されたことを取り上げて、最終的には動物を全く食べずに畜産が撤廃されることが望ましいとしながらも、住民投票事項が採択された画期的な進歩であると讃えている。

 

  「動物を利用する制度は撤廃されるべきである」と主張しながらも、現状では制度の撤廃までの道のりは程遠い認識して、次善の策として畜産現場で動物に与え られる苦痛を減らすことも(制度の撤廃と同時に)追求する、つまり「動物の権利」と「動物福祉」の実現を同時進行で目指していくことで、現状を少しでも動 物たちにとってマシなものにする、ということがPETAの運動方針であるだろう。

 

  このような「非道徳的な状況をただちに変えられないことを認識して、よりマシな状況を目指していく」という運動方針はピーター・シンガーなどが唱える功利主義の哲学に沿ったものである。功利主義は「ある行為がどれほど正しいかは、その行為がどれほど善い結果を出すかによって決まる」という帰結主義の哲学で もあり、「動物の権利が尊重されていない状況は悪い、動物の権利が尊重されている状況は善い」という二分法ではなく「どれほど動物が配慮されており、どれほど動物の苦痛が減らされていて動物の幸福が増えているか」という程度問題で状況の善悪を判断することを認める。功利主義によると、規制が強化されたと しても、動物に多大な苦痛を与える工場畜産が依然として続いている状況は悪く、動物への苦痛が少ない農場の畜産であってもいくらかの苦痛や殺害を伴う以上は悪いのであるが、規制が無い工場式畜産と比べればその悪さは少ない、と判断される。

 

 また、「動物の権利を主張すること」はそれ自体では意味が無く、その主張の結果としてどれほど事態を変えられるか、ということによって正しさが判断される。動物の権利を主張するだけでは何も事態を変えられないという見込みが高いなら、同時に動物福祉も推進することで少しでも事態をよくするべきである、ということがシンガーやPETAの考えだと言えるだろう。

 

 

動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド

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4:物福祉を念する物の

 

  上述したように、PETAなどの動物の権利団体は動物の権利を主張すると同時に動物福祉を推進し、そのような運動方針は功利主義によって裏付けられる。

 

 一方で「動物福祉の向上に関わらず動物を利用する制度は非道徳であると主張し、動物の権利を主張し続け動物を利用する制度の撤廃を目指す」という道を選んだ団体や運動家は、このような功利主義に賛同しない。

 こちらの立場の代表的な理論家であり活動家でもあるゲイリー・フランシオーンは、あくまでも「動物の権利」を主張 し、「動物福祉」を認めることを批判する。彼は、シンガーのような功利主義者やPETAのような団体を「新福祉主義」であると批判し*2、自らの立場をAbolitionist「撤廃主義」と称する。(フランシオーンのホームページ:Animal RIghts Abolitionist Approach http://www.abolitionistapproach.com/)。

 

 フランシオーンのような権利論者の主張は、動物には単に苦痛や幸福を配慮される道徳的地位が存在するだけでなく、手段として扱われず目的として尊重される権利がある、そして権利を持つ存在をいかなる仕方でも利用することは許されない、というものである。

 

  シンガーら功利主義は、動物の苦痛の「量」を判断し、人間の目的のために動物が畜産物として育てられ殺害される状況であっても、育て方や殺害の仕方につい て動物福祉が配慮されることで苦痛の量が減るなら、動物福祉が全く配慮されない状況と比べたら「善い」と判断する(ただし、畜産が全く行われない状況と比べて、依然として「悪い」とも判断する)。フランシオーンら権利論者は、動物を人間の目的のために利用するという時点でそもそも動物の権利が尊重されていないと判断し、動物の苦痛がどれだけ減ったとしても「悪い」と判断する。

 

 フランシオーンにとって、動物福祉を促進することは、檻に閉じ込められている動物の檻を広くするだけに過ぎない。行うべきは、檻から動物を解放することなのである。

 

 上述のような、「原理的に、動物の権利と動物福祉は相容れない」という理念的な批判以外にも、動物福祉を推進することで実際に起こりかねない悪影響を懸念する見方もある。

 

  まず、我々が通常する畜産物は農場や屠殺場を経た後に加工されて出荷されるのであり、店頭に並んでいる畜産物を見たところで、その元となった動物がどのように育てられたかはわからない、ということが問題となる。

 

  そもそも法律や自主規制などで動物福祉についての規定を設けたとしても、実際に畜産業がその規定を守るかどうかはわからない、という問題もある。畜産が行われている工場は大衆の目からは隠されていて、当局も毎日監視するわけではない。畜産業界と当局が癒着したり、業界が法律や規制に圧力をかけて骨抜きにする、規制に抜け穴が存在する、ということも有り得る。

 

 また、規制や法律の要求する一定の規準を満たしたものであれば「Humanely Raised Meat」(人道的に飼育された肉)などとラベルに表記され、動物福祉に配慮する人はラベルのついた肉を選ぶことができるが、実際に人々がイメージする 「人道的な飼育」とラベルが意味している「人道的な飼育」が一致するとは限らない。ラベルの規準によっては、工場式畜産の幾つもある問題点の一部だけを変えたものであったり、檻をほんの少し広げただけで、依然として動物に多大な苦痛を課すような基準であったとしても、「人道的な飼育」と表記されてしまうかもしれない。そして、「人道的な飼育」という言葉のイメージによっ て、それを買って消費することが道徳的なことだと思われてしまうことが懸念される。普通の肉ではなくラベルが貼られた肉を買えば道徳的な義務を果たしたことになる、と思う人もでてくるかもしれない。ベジタリアンやビーガンになろうと思っている人、あるいはすでにベジタリアンになっている人でも、動物福祉に配慮されたとする 「人道的に飼育された肉」が選択肢として存在すると、妥協して肉食に戻ってしまうかもしれない。すると、本来は消費されなかったはずの畜産物が、動物福祉への配慮を進めた結果として消費されてしまうことになる。企業に対しても「動物福祉に考慮して畜産物を生産しているから、道徳的な問題はない」という正当化の余地を与えてしまい、結果として、動物福祉を推進することで動物の権利運動の「動物を利用する制度を撤廃する」という目標が遠ざかってしまうかもしれない。

 

http://animalrights.about.com/od/animalsusedforfood/a/HumaneMeat.htm

 

   また、政治哲学者のウィル・キムリッカは、動物福祉を推進することは、「どの動物に対するどのような行為が残虐で規制するべきものであり、どのような行為は規制 しなくてもいいか」ということが恣意的で一貫しない点から問題になる、と指摘する。例えば、すでに残虐性が広く知られているフォアグラや、(欧米の) マジョリティにとって馴染みの無い犬食やイルカ・クジラ食は、多くの人々は反感を抱いているので、容易に規制が進められるだろう。一方で、自分たちが普段から食べ ている牛やニワトリなどの動物についてはその問題性を認識できずに、工場畜産の規制に対しては消極的になるかもしれない。すると、消費される頭数としてはご く少数であるマイノリティの食習慣は規制されて、遥かに多くの頭数を消費して苦痛や殺害を感じさせているマジョリティの食習慣に対する規制は進まないかもしれない。これは、動物の権利運動の目標と相反するだけでなく、人間同士にとっても不公正を生じさせることになる。

 

    この他にも、動物への道徳的配慮だけでなく環境問題の観点からも工場畜産に反対する立場からは、動物福祉を推進したところで環境問題は改善しない、という批判が存在する。

 

The Animal Rights Debate: Abolition or Regulation? (Critical Perspectives on Animals)

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 とにかく、「動物を利用する制度の撤廃」を目指す動物の権利運動は、社会運動としてもかなり壮大で困難な目標を掲げた運動である。

 

 私としては、現状を直視した上で動物福祉の改善を同時に行うという功利主義的な立場の方に賛同するし、実際に多くの動物の権利運動家もこの立場をとっているだろう。

 

 とはいえ、権利論者の懸念も無視するわけにはいかないかもしれない。

 

 「規制か、撤廃か?」はこれからも動物の権利論において主要なテーマとして論争され続けるだろう。

 

 
 

 (参考文献)

 

Donaldson, Sue, and Will Kymlicka. Zoopolis : A Political Theory of Animal Rights. Oxford England New York: Oxford University Press, 2011.

 

Francione, Gary L., and Robert Garner. The Animal Rights Debate : Abolition or Regulation?. New York: Columbia University Press, 2010.

 

 

シンガー,ピーター.戸田清訳.『動物の解放 改訂版』.人文書院,2011.

 

 佐藤衆介.『アニマルウェルフェアー動物の幸せについての科学と倫理』. 東京大学出版会,

2005.

 

 

*1:そもそも動物性の食品は植物性の食品より美味しい、と感じる人が多い。大豆などを使った代替食品が選択肢として普及しても多くの人は肉を選ぶであろうし、乳製品や卵まで食べないとなると多くの菓子類も食べられないということになる。また、動物の権利活動家の多くはビーガン(動物性食品を一切 採らず、植物性食品だけを摂取して生きる)であるが、一部の欧米の都市部では外食店などでの菜食メニューが普及しているとはいえ、郊外や菜食主義が普及していない国でビーガンとして暮らしていくのはかなり難しいことである。

*2:新福祉主義者とは、「福祉主義者とは違って動物の権利を認めているとはいえ、福祉主義者と似たような主張をしているので結局は本当の動物の権利主義者とは言えない」といった批判的な意味合いを込めた他称である