道徳的動物日記

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「イルカは馬鹿ではない」 by フィリッパ・ブレイク

 

 今回紹介する記事の著者は、クジラやイルカを研究する生物学者フィリッパ・ブレイクである。彼女はクジラやイルカの保護活動にも関わっているようだ。編著の『Whales and Dolphins: Cognition, Culture, Conservation and Human Perceptions』はクジラやイルカの生態や認知能力などの生物学的側面と、クジラやイルカ保護の課題や各国での捕鯨・イルカ漁の事情などの人間社会に関わる側面の、両方についての論文が多数掲載されていて参考になった。

 

 

Whales and Dolphins: Cognition, Culture, Conservation and Human Perceptions
 

 

 

 イルカ保護に対する批判としては、「余所の文化に口出しをするのはおかしい」「イルカ漁は文化であり、文化は守られなければいけない」というタイプのものの他には「イルカ保護を主張する人たちは、イルカは賢いから保護されると主張しているが、では馬鹿な動物や人間は保護しなくてもいいというのか?賢い動物は大切だが賢くない動物は大切じゃないという考えは優生学的だ」「賢さや知性の定義は多様であり、認知能力だけにこだわってイルカを優遇するのは恣意的だ」というものや「イルカはレイプをしたり仲間を殺したりすることもある凶暴な生き物だから、道徳的に配慮する必要はない」などがあるだろう。しかし、イルカ保護を主張している人の多く(少なくとも、各種の学者による論文であったり各種団体の公式な声明など)は、イルカ以外の動物は守らなくていいと主張している訳でもないし、「賢さ」の多様さや複雑さも理解していると思われる。今回紹介する記事は、短いものであるが、イルカ保護運動に対する諸々の誤解や批判への反論になっている。

 

www.huffingtonpost.co.uk


 

 

「イルカは馬鹿ではない」 by フィリッパ・ブレイク

 

「知性」は、複雑で難しい論題である。しかし、始めにはっきりさせておこう。イルカは馬鹿ではない。生物の中でどの種が「最も賢い」のか、という問いに私たちは惹きつけられる。そして、私たちの答えは、様々な特性のうちのどの特性に価値を見出すか、という人間由来の価値判断に左右される。人間の「成功」を測るためのパラメーターには多くの候補があるが、どのパラメーターにも議論があり、「成功」の定義について意見は一致していない。また、自分の友人や同僚たちの中で誰が最も賢いかということすら、判断するのは難しい。 IQテストも答えを導き出してくれる訳ではない。 

 人間を構成している様々な知性や感情の中から、我々は苦労して人間にだけ特有のものを突きとめようとしている。しかし、おそらく人間だけが唯一例外であることは、他のすべての動物は生態系において彼らが暮らす場所に美しく適応している、ということだ。ダーウィンは「認知の連続体」に言及した。生物種の間での、認知能力の配分のことである。認知能力とは新しい資源や選択有利性をもたらす可能性のある環境を探し出し利用する能力であり、この能力を進化における通貨と見なす考えだ。  

 例えば、バンドウイルカは自分たちの暮らす環境によく適応した知性を持っており、社会的な種として進化してきた。多くのバンドウイルカはコミュニティの中で暮らしており、生きるために必要な資源を探し出すために、協力と知性を利用している。このことは、他の多くの社会的な哺乳類に対してと同様に、我々が彼らにどのように配慮すべきかということに関わってくる。例えば、捕らえられてコミュニティから隔離されたイルカは心理的なストレスを感じている可能性がある。追い込み漁の最中で浜へと追い込まれているイルカは、自分の近くにいる仲間たちに何が起こっているのか、十分に理解しているかもしれない。

 最近のメディアでは、イルカの攻撃行動や交配活動に注目が集まっている。しかし、この注目は「他の生物はどのように行動するべきか」という人間の価値判断にかなり影響されているうえに、人間たち自身の行動の多様性を無視してもいる。知性と攻撃性は別のものであり、混同するべきではない。人間社会の中で知性と攻撃性が混同されてしまったら、牢獄に収監された犯罪者が政府を運営することになってしまうかもしれない。進化上の成功において、向社会的な行動は競争的な行動と同じくらい重要かもしれないのだ。

 また、最近では「科学者やNGOは、イルカは地球で2番目に賢い生物種だと信じている」という想定を目にすることがある。しかし、そんな意見を主張している科学者やNGOに、私はまだ出会っていない。イルカは人間に続いて2番目に高いEQ(脳化指数 Encephalisation Quotientのことであり、感情指数 Emotion Quotientと混同しないように)を持っている、という統計はよく引用される。しかし、EQは体に対する脳の大きさの比率を表しているものであり、多くのオウムたちが示す通り、知性のランキングからは程遠い(訳注:オウムはEQは低いが、かなり高い認知能力を持っている)。  

 他の種の知性や認知能力について、我々はまだ表面をほんの少し触れたくらいにしか理解できていない、という点ではジャスティン・グレッグが書いたことは正しい。*1しかし、生物種の知性のヒエラルキーを主張しようとしているNGOが存在しているとは思えない。知性のヒエラルキーを主張することは、地球上の生態的多様性の驚くべき複雑さを無視している訳だから。シェイクスピアが複雑な作品を書くことができた能力は、競争から誕生したものではなく、頻繁に変化する環境の中で生き延びていく苦闘のなかから誕生したものだ。知性には様々な形があるが、いずれも生物種の道具であり、道具自体は誤りの無いものという訳では無い。 

 もちろん、イルカ以外の多くの生物も、驚くべき認知能力を示してくれる。そのことはもっと知られるべきだろう。イルカの知性についての議論は、イルカだけが特別だと示そうとしている訳ではない。重要なのは、他の生物の社会的能力や認知能力の複雑さについて我々の理解が増すことは、その生物たちの個体や生育環境を守るという私たちの義務について姿勢を改めることを要求する、ということだ。

 他の生物たちの知性をランキングするよりも重要なことは、それぞれの生物たちがどのように苦しむかを理解することだ。その生物は自分自身の苦しみを理解しているか、また、他の個体の苦境まで理解して自分も苦しむかもしれない。このことは、彼らの個体、家族、コミュニティ、生息数、生物種そのものを守ろうとすることへと私たちを導くだろう。