道徳的動物日記

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マーク・ベコフの「人道的自然保全」論

 

 生物学者・動物行動学者のマーク・ベコフは、動物の抱く様々な感情について研究しており、動物の感情について解説した多くの著書を執筆している。*1また、ベコフは動物保護・動物の福祉への配慮の必要性を昔から説いている。*2

 

www.huffingtonpost.com

 

 野生動物保全や自然保護の分野では、絶滅危惧種や生態系の保護のために、時には特定の種の動物の駆除が正当化される。ベコフが海外のハフフィントン・ポスト誌に掲載したエッセイでは、自然保全において生物種や生態系だけを重要視するのではなく、個々の動物の福祉にも十分に配慮を行い、動物を殺害する・傷つけることを避ける"Compassionate Conservation"の考え方が紹介されていた。訳するなら、「思いやりのある自然保全」「共感的な自然保全」「人道的自然保全」などだろうか。以下では、ベコフの記事から「人道的自然保全」の思想の要点であると思われるところを引用・翻訳する。

 

 

「人道的自然保全(Comppassionate Conservation)」は、動物たちの個体の重要性を強調する、「まず、害を与えてはならない」ということを指針とした分野である。*3大半の動物たちは現状与えられている保護よりもずっと多くの保護を必要としており、研究者を含めた多くの人たちが「自然を保全するために」という名目で動物を傷つけたり殺害したりすることは正当化できず耐えられないと考えるようになっているために、「人道的自然保全」は世界的に注目を集めている。人道的自然保全は「科学を行いながら、動物を尊重する」という課題に基づくものであり、動物たちが私たちに何をもたらすかという道具的な価値のためではなく、動物たち自身の内在的な価値のために動物たちを保護することを目的とする。サイエンス・ライターのウォレン・コーンウォールは、彼が書いた評論「そこでは血が流れるだろう(There will be blood)」で、自然保全の歴史は血塗られたものであり、人道的自然保全は自然保全の慣習を変革しようとするものである、と指摘した。*4自然保全に突きつけられている倫理的な問題については、私が編集した共著『これ以上自然を無視しない:人道的自然保全を擁護する(Ignoring Nature No More: The Case for Compassionate Conservation)』に収録された、ジョン・ブセティッチとマイケル・ネルソンの評論「自然保全の薄弱な倫理的根拠」で議論されている。人道的自然保全の主な対象は野生動物であるが、町や都市に住んでいる動物や、単なるモノとして見なされ非人道的に取引されている動物たちも、保全の対象である。囚われている動物たちも人道的自然保全の課題の一つである。「娯楽のために」「自然保全のために」または「教育のために」という名目で生命や自由を支配されている動物たちや、動物園にて繁殖機械として使用されて、あちこちに移動させられたあげくに、動物園の繁殖プログラムにそぐわなくなったという理由で殺される動物たちのことだ。*5*6

 

 

自然への介入の優先順位を設定するために、意思決定のための倫理的な立場は保全生物学者にとって重要な問題だ。どのように自然を保護するかが最良であるかについての近年の議論は、内在的な価値・美学的な価値と功利的な価値・経済学的な価値を対照させた議論が主であり、自然保全をめぐって起こる避けられない争いを反映している。これらの議論は生物種や生態系を成功の定義として設定しており、動物たちの内在的な価値や福祉への配慮は明示されていない。その理由の一部として、動物の福祉は自然保全にとって歴史的に妨害物として考え続けられてきた、ということがある。

 

 このことは、保全生物学者が動物の福祉に配慮しない冷血な殺戮者だということを意味しているのではない。世界中で起こっている自然問題のほとんどは、人間による他の動物たちの命への介入によってもたらされているということを意味しているのである。自然問題の解決は困難な課題である。自然と人間との争いは終わることなく連続するものであり、「問題のある動物」を殺して次の状況に移ることが最も簡単な解決策であるとみなされがちだ。しかし、殺害は長期的に見て機能しない。そして、私たちや他の多くの人が指摘してきたことだが、殺害は倫理的に擁護できない。

 

 人道的自然保全が対象とする領域は困難なものであり、個々の動物たちと彼らが暮らす自然の両方を保護するための解決策を探求するものある。人道的自然保全は、個体としての動物たちはモノや商品ではなく、「彼ら自身の生物種や他の種のために」や「生態系のために」差し出されるものではないことを強調する。

 

 

 

 記事の他の箇所では、世界各地で人道的自然保全が実際に行われた具体例が紹介されている。そして、従来の自然保全よりも人道的自然保全の方が野生動物を巡る問題を解決するのに適している、ということが議論されている。問題となっている動物の駆除という対処療法的な政策ではなく、人間社会の方で様々な形で配慮や対処を行って動物たちとの共存を図る予防療法的な政策の方が有効であり倫理的なのだ、とベコフは主張している。人道的自然保全には批判も投げかけられ、考え方は立派でも実践することは不可能だと主張する人もいるが、実例が示している通り可能なのだ、とベコフはポジティブに力説している。

 

 倫理学者たちは、人間社会や生態系を優先して個々の動物の苦痛や幸福を無視するような自然保全政策を批判し続けてきた。*7

 

 ベコフを代表とする生物学者たちも動物への配慮を主張するようになり、自然保全について主流となっている考え方を批判するようになっていること、それが一つの運動として発展して実際に影響を与えるようになっていることは、重要であると思われる。

 

 

 

*1:

 

 

*2:

 

動物の命は人間より軽いのか - 世界最先端の動物保護思想

動物の命は人間より軽いのか - 世界最先端の動物保護思想

 

 

*3:Compassionate Conservation: A Discussion from the Frontlines With Dr. Marc Bekoff

*4:There Will Be Blood - Conservation

*5:

Ignoring Nature No More: The Case for Compassionate Conservation

Ignoring Nature No More: The Case for Compassionate Conservation

 

*6:It's Not Happening at the Zoo: There's no Evidence Zoos Educate in a Meaningful Way | Marc Bekoff

*7:例えば、2015年にオーストラリア政府が野鳥保護のために野良猫の大々的な駆除をする政策を発表したことについて、倫理学者のウィリアム・リンは、政策の科学的根拠の欠如と非倫理性の両方を指摘し、批判している。

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