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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「保守的フェミニズム」 by ニーナ・シランダー

www.psychologytoday.com

 

 今回私訳して紹介する記事は、ニーナ・シランダーの「保守的フェミニズム」。

 原文記事の先頭に付いている紹介によると、彼女はトラウマや酒や薬物などの乱用の治療を研究している臨床心理学者(博士号取得候補者)であるらしい。女性問題や公共政策にも関心がある、とのこと。

 

 記事中で主張されている「保守的フェミニズム」には、個人の自己決定権だけを重視するのではなく家庭や社会のなかで役割を果たすことを通じた自己実現を強調する共同体主義的価値観も含まれていれば、資本主義や西洋社会の利点を認めて強調する(合理主義的?)価値観も含まれているようだ。前者の価値観と後者の価値観は必ずしも一致するわけではないし、どちらか片方は認められてももう片方は認められない、という人も多いだろう。しかし、一般論として、現代のフェミニストや左派の多くはどちらの価値観にも否定的であるから、左派に対置する立場の総称として「保守的」という言葉を使うのは妥当であると思う。

 

 記事の翻訳は難航した箇所もある(特に「」内の引用部分。翻訳に自信のない箇所には、原文の英語も貼り付けている)が、書かれている主張自体はわかりやすいと思う。参考文献表などは省略している。

 

「保守的フェミニズム」 by ニーナ・シランダー

 

 あなたは、男性と女性は社会的・政治的・経済的に平等であるべきだと考えているだろうか?もしそうなら、フェミニストという言葉の一般的な定義において、あなたはフェミニストである*1。しかし、もしあなたが現代のフェミニズムの主流派に受け入れられたいと思うなら、あなたは自分がプロ・チョイスであることを示して、生物学的・生得的なジェンダーの違いが存在するという事実や人間の本性(human nature)という考え方を否定しなければならない。そして、伝統的な人間関係や家族動態(family dainamics)を非難しなければならず、ジェンダーの平等や正義を達成するための方法のうち特定のものだけを支持しなければいけない。もしあなたが現代の主流派のフェミニストとは違った価値観を持っているが、それでも(「古典的な」)フェミニズムの根本となる主張を支持しているのだとしたら、法外な要求を課されているように感じられるだろう。さて、フェミニズムのなかにイデオロギー多様性を認める余地はないのだろうか?正当な保守的フェミニストイデオロギーが貢献するものとは何であろうか?

 物事の見方には大いに多様性が存在する。ある人たちにとっては、保守的フェミニストとは、よくて女性の権利を盗用しようとしている誤っていて無学な試みのことである。まるで「保守的フェミニズム」という考え方は存在しないのであり、一部の考え方が他の考え方よりは保守的だというだけであるかのようだ。さらに極端な考えによると、平等を達成するための女性の努力を切断しようとする、女性の権利という羊の皮を被った家父長制の狼こそが保守的フェミニストアイデンティティだとされる。だが、「リプロダクティブ・ライツ」…つまり中絶の権利を求めて闘ってきたフェミニストたちは、女性は仕事のキャリアを維持しながら母親になることはできないという見方を促進してしまうことを避けられなかった。中絶が法的に認められることは、平等を実現して女性を解放するだけでなく、それ以上に大きな様々な影響をもたらす。無責任な男性の力を増して、(訳注:育児に関する)社会的なリソースの投資や社会サービスを否定してしまい、科学と医学も活用されなくなってしまうのだ。中絶の権利を主張する運動よりも、社会的・雇用的リソースを獲得するための運動や女性とその家族の健康を守るためのプログラムを求める運動を優先したほうが良いのではないだろうか?

 

 イデオロギー多様性?いけないのか?

 

 フェミニズムは、はっきりとした明確な解答や目標が存在しない運動であり続けてきた。1973年には「女性はなにを求めているのか?」という疑問が投げかけられた。そして、明確な解答の欠如は、大げさにも「新しい創造の源を探求する」ことへの道を開いた*2。今日のフェミニズムなら「女性はなにを求めているのか?」という疑問に解答できるかもしれないが、その解答は著しく制限されている。フェミニストの運動は、固定観念に基づくものとなったのだ。フェミニズムは、全ての女性が求めることを主張しているということになっている。しかし、女性たちは「同質ではなく、異質な集団である。…そして、フェミニズムは全ての女性を代弁している訳でもなければ、全ての女性に語りかけている訳でもない。…女性とは何であるか、女性の利益や女性が必要としているものは何であるかということについての、補完しあい競いあい矛盾しあう様々な見方を明らかにすることによって、(訳注:女性を)代表することが促進されるのである」。

 しかし、現代のフェミニストの多くは、保守的な女性が女性の利益を代表するという可能性を否定する。その代わり「保守的な行動や主張を先回りして却下する」ことによって、「良質な概念的・経験的な研究」を妨げているのだ。また、現代のフェミニスト心理学者たちの間では、ジェンダー間における様々な種類の違い(対象となる集団のサイズも様々である)を明らかにする複雑な研究を否定したり却下したりすることが一般的な反応となっている。このことは、統計的に有効であり関連性を示している研究が普及してレビューされることを妨げる。これらの研究は、多くのフェミニストが想像しているような、女性の人生をより良いものにようとする努力を脅かす研究ではない。ジェンダーに違いがあることを示すことは、女性が劣っていると示すことではないのだ。むしろ、これらの研究は、社会・ジェンダー・生物学・ステレオタイプについての、責任に基づいた開放的な議論への窓口を提供するものなのだ(例えば、議会において女性が有効に能力を発揮することはできるか、という議論だ)。

 他にも問題はある。フェミニズムや、女性の権利を促進しようとする運動は「ステレオタイプ・過剰な単純化・分極化した考え方に基づいた議論と対決し続けてきた。…例えば、女性的であることと公共の場で役目を務めることは両立できない、という考えなどだ」。しかし、現代のフェミニストたちは、平等を求めて闘っているが自分たちとは違う価値観を持っている女性たちを締め出しているのだ。図らずも、フェミニズムの運動が克服しようとしてきたステレオタイプ・過剰な単純化・分極化した考え方を、保守的(なフェミニスト)と自称している人たちに対して当てはめていることになるのだ。多くの人にとって、保守的なフェミニストによる運動は、矛盾でもあるが刺激的な機会でもある。「フェミニストのレトリックにおける比喩的で論争的な構造の一つであり、創造的な空間をもたらして、特に必要とされている説明機会を提供し、注目をもたらすものだ」*3

 フェミニズムは「一つのサイズでは全ての人にはフィットしない」ということを理解するべきだ。ジェンダーの平等を求める闘いを行っている人の全てが、現状のフェミニズムによって代弁される訳ではないとしたら、どうしよう?違った価値観を持っているが、それでも女性の権利を促進することを求めている人は、「フェミニスト」という称号には値しないのだろうか?保守的フェミニストのキャサリン・ケルステンは、フェミニズムの根本(「古典的フェミニズム」)を保持しながらも、上述した問題に挑戦した。男性と女性は正義と平等について等しい基準で扱わられなければならない・女性は不正義や差別に苦しんできたし、現在でも苦しみ続けている・そして、女性が直面する問題は「西洋文化の理念と制度を否定するのではなく、西洋文化の理念と制度に基づいてこそ、解決することができる」。結局のところ、現代のフェミニストたちは、西洋だけが「正義・公平・個人の自律という基準を発達させてきて、社会の指標として用いていること、いまでもそれらの基準を求め続けていること」を忘れているのかもしれない。フェミニズムの目標とは、いつ・どこで・どのような変化が起きるべきかということを女性が知るようになるのを助けることだ。それは、自分たちの能力に対する偏見に束縛されることなく、自分たちの潜在能力を発揮する自由が男性にも女性にも同様に存在する、という考えに支えられている。

 

 同じ前提、違った価値観、別の解決策

 

 保守主義フェミニズムに提供できるものとは何だろうか?保守的フェミニストのエイミー・ベーハーは、以下のように説明する。結婚・母性・性に関する伝統的な道徳にはジェンダーのヒエエラルキーが含まれているという仮定に基づいてフェミニズムの運動は行われてきたが、保守主義はこれらの「伝統的な社会形態」を守ることを主張する。これらの社会形態は不完全であり時には調整が必要となるとはいえ、人々の幸福を助けるものであるのだから、守られるべきだと保守主義は考えるのだ。そのために、保守的フェミニズムは現代フェミニズムの原理に基づいた主張の多くを支持しない。それにもかかわらず、女性と家族の健康と幸福、そして社会全体の健康と幸福を守るという点で、保守的フェミニズムフェミニズムに貢献するのだ。保守的フェミニズムフェミニズムの「古典的な」主張は受け入れるが、同じ問題について別の解決策を求める(例えば、理系の学問分野(STEM field)に進学しようとする女性のために、個人的な特長を無視するアファーマティブアクションや集団割り当て(group quotas)を実施するのではなく、(訳注:個人を対象にした)「特別援助」プログラムを実施するという解決策だ。また、単に福祉プログラムを増加させることはこの25年間においてほとんど成果を残せなかったのだから、代わりに、家庭を傷付けず貧困を最小化することを促進する行動を形作るという解決策を求める)。

 他に、保守主義フェミニズムに貢献することは?「資本主義?問題無し!」。資本主義には女性の人生を合法的に前進させることはできない、という考えは捨てるべきだ。資本主義は、変化が絶えず起こる社会を創造した。そして、イノベーションは人生の質を高める。私的・公的の両方の領域で、多様で民主的な代表制は競争を促進し、それによって女性の利益も自動的に追求される(例えば、より効果的な避妊薬が開発される)。世界に目を向けてみよう。資本主義は決定の自由を推進してきて、その地域における社会的・経済的な支援を熱心に追い求めてきた。歴史的に、資本主義は西洋の女性に利益をもたらし続けてきた。第三世界に暮らす女性たちと比較すれば明らかだ。第三世界の女性たちは何世紀も続いている偏狭な社会規範を押し付けられており、家庭内の生活に束縛されていて、自分自身の才能や夢を発見して追い求める機会も無いのだ。

 現代のフェミニズムは女性の職場への進出を促進してきたのであり、このことは間違いなく重要な努力だった。しかし、その過程において、現代のフェミニズムは家庭の役割や親としての役割を深刻に貶めてしまった。特に、実親が家庭から離れないことの重要性を貶めている。現代における女性の役割と彼女の家庭の役割について、ケルステンは考慮に価して注目せざるをえないような考え方を表明している。

「多くの現代のフェミニストとは違い、保守的フェミニストは他者への義理(obligations)を、重荷ではなく義務(duties)であると考えている。他者への義務を勤めることが、自分自身を道徳的な存在にすると考えるのだ。ある女性が義務に集中することは、彼女がカモや奴隷になっていることを意味するのでもなければ、彼女が自分自身に必要なことや自分自身の利益を否定していることを意味するわけでもない…たしかに、過去の女性たちはそれらのことを強制されてきたのだが。保守的フェミニストは、社会的な関係から離れてアイデンティティを養うことはできないと理解している。他者との関係の繋がりは、自分自身という限られた存在よりも広大な場所における有意義な役割を創造する。それは目的意識を生み出し、道徳的な行為のための領域をもたらすのだと、保守的フェミニストは理解しているのだ」。

 

豊かな人生

 

 (保守的フェミニズムにおける)保守主義は家族を健全に築き家族への継続的な支援を促進する。公平でバランスのとれた、子供を優先するパートーナー関係を両親が築くことをフェミニズムは保証する。家族・同胞の市民・社会への義務を果たすことに「繋がるかもしれない、その人の興味・才能・冒険への渇望のいずれにでも、その人がエネルギーを注ぎ込む」ことによって、幸福は獲得される*4。二つの目標(訳注:他人に対する義務と、自分の関心)は両立しないか?そんなことはない!ある女性はキャリアウーマンとしても成功している母親であるが、彼女はこの仕事と母親の両方のキャリアを持つのは簡単なことではないとは記している。違った社会状況であったら、女性は「どちらも手にする」ことができるだろう。女性には、仕事と家庭に関する選択肢を両立させることのできる社会状況を作り出す力が備わっているのだ(男性の支援を用いることもできる)。しかし、キャリアが欲しいという要求にただ単に従うのではなく、家庭と仕事との間の優先順位を改めて付け直すことも不可欠だ。両親のジェンダーに関わらず、優先順位の付け直しには、家族と個人の幸福を最大化するためにキャリアと家庭に関するトレードオフを行うことが含まれている(例えば、子供の転校を防ぐために仕事での出世を断ること、特定のキャリア目標を達成するために少数の子供しか育てないこと、など)。それにもかかわらず、親としての責任を果たしながらも仕事やコミュニティに積極的に携わることを実現するための幾つもの方法を、女性は手にしているのだ。

 

定義を変える季節

 

 不幸なことに、女性の幸福を擁護・主張している人の多くが、自分のことをフェミニストであると自称することはできないと思っている。その理由は、彼女たちが保守的な価値観を持っているからだ。だったら、現代のフェミニズムと並行しながら多くの目標を共有する運動が認識されて影響を持つようにするために、「保守的フェミニズム」という名前を与えるべきではないだろうか?定義は重要だ。現在は、運動の定義を変えることが求められているのだ。現在は、疑問を投げかけて説明を行う「定義付けの季節」なのだ。「定義付けの季節」では、定義を付け直す機会が提供されるだけでなく、健全な社会のための運動を研ぎ澄まして、多様な価値観が包括されることになる。「チョイス」は、事実上、フェミニズムを言い換える言葉として使われている。フェミニズムの「古典的」な主張を支持するうえで、現代のフェミニストは保守的なフェミニストと共闘することができるだろう。イデオロギー多様性を認める余地を残しながらも、ジェンダーの平等を達成するための統一した労力を注ぎ込めるはずだ。

 保守の人たちは、現状に挑戦することを尻込みしがちであり、女性が直面する不平等を理解しづらい。しかし、保守的フェミニストは現代のフェミニストと共通性がある。保守的フェミニストが正当な意見を主張しており、価値のある視点を持っており、ジェンダーの平等に関する問題に対しての豊富な戦略を備えていることを認識することは、現代のフェミニストにとって重要だ。保守的フェミニズムは、保守主義の弱点とフェミニズムの弱点の両方を埋め合わせる。保守的フェミニズムは、女性でも保守主義を主張することを可能にするのだ。

 

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*1:オックスフォード英語辞典での「フェミニスト」の定義:「性別の平等を理由にして、女性の権利を主張すること」

*2:At that time, the lack of a clear answer presented a rhetorical opening and “an additional seed of invention to be cultivated and discursively explored” 

*3:“a figurative and argumentative structure within feminist rhetoric [that] operates as an inventional space and provides an opportunity for addressing an anomaly requiring explanation and attention”)

*4: (Happiness is gained through utilizing one’s “energies in whatever direction interest, talent, and thirst for adventure may lead” that also fulfills obligations to family, fellow citizens, and society)