道徳的動物日記

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警官による黒人の射殺は人種差別が原因か?

www.nationalreview.com

 

 今回紹介するのは、アメリカで盛り上がり続けているBlack Lives Matter 運動や「(白人の)警官が黒人を射殺するのは人種差別が原因だ」的な主張に対するカウンター的な記事。National Reviewのwebサイトに掲載された記事であり、著者のデビッド・フレンチ(David French)はNational Reviewの記者。

 保守的な立場によるバイアスなどがかかっている可能性はあるが、Black Lives Matter 運動は日本でもそれなりに紹介されているのに比べてそれに対するカウンターはほとんど紹介されていないこと、一方でBlack Lives Matter 運動に対するカウンター的な記事は現地でもそれなりの数が登場していることなどから、この記事を紹介することにした*1

 

「Black Lives Matter は警察について間違っている」 by デビッド・フレンチ

 

「Black Lives Matter(黒人の命も大事)」運動が爆発的に流行して以来、黒人男性たちは特殊で危険な脅威に直面しているのだ、という主張をアメリカ人たちは聞かされ続けている。ここでいう黒人男性たちが直面している脅威とは、彼らが暮らすコミュニティの仲間からの脅威ではなく、「市民を保護し市民を守る」ことを誓っているはずの警察官による(訳注:銃を用いた)法執行のことである。SNSにおける#DrivingWhileBlack(黒人でありながら運転すること)や#WalkingWhileBlack(黒人でありながら歩くこと)のようなハッシュタグは、黒人のアメリカ人は単に彼らの肌の色が黒いからという理由で警察官に撃ち殺されるリスクを抱えているのだ、という物語を不朽にしてしまった。警察官が誤った行動をした件についての逸話を持ち出したり、もはや信用を失った「Hands up, don't shoot(手を挙げている、撃つな)」という掛け声を叫ぶことによって、Black Lives Matter 運動はアメリカの警察はコントロールを失って暴走しているという主張を打ち立てた*2

 警察への批判に対する保守派の応答は明確だ。警察が完璧な存在であるとは誰も思っていないが、全体的に見れば、警官たちによる銃を用いた法執行は警官自身と他人の命を保護することを適切に行うために用いられている場合が多い。更に、警察によって銃が用いられる割合は相手の人種によって大きく差があるという事実は、犯罪を犯す割合が人種によって大きく差があるという事実によって大半が説明されるのだ。同じアメリカ人たちでも、それぞれの人の人口統計学上の属性が違えば犯罪を犯す割合も変わってくる。そして、より多くの犯罪を犯す人たちがより頻繁に警察と対面することになるのは理に適ったことなのだ。もちろん、一部の悪質な警官たちも存在しているだろう…そして、悪質な警官たちは起訴されるべきだ。それでも、警察は私たちの社会を善くする力となっているのだ。

 Black Lives Matter 運動の活動家たちによる主張に応答して、ワシントン・ポスト紙は警察による銃撃についての一件ずつの事例研究という先例のない調査を開始した*3。1年間の調査の末にデータが揃ったが、その内容は保守派の主張を裏付けるものであった。警官が銃を用いたのは人命を守るためであった場合が主であり、武装していない容疑者に対して銃が用いられたのは稀であった。そして、黒人のアメリカ人に対する銃の使用は、暴力犯罪の比率における黒人のアメリカ人の割合と大体比例していたのである。

 2015年12月24日のワシントン・ポスト紙によると、2015年にアメリカの警察は合計で965件の射殺を行った(独自の調査を行っている最中のガーディアン紙は、ワシントン・ポスト紙よりもわずかに多くの射殺件数を報告している)*4。射殺された人たちのうち564人は銃で武装しており、281人は銃以外の武器で武装しており、90人が非武装であった。また、射殺件数のうち4分の3以上の場合で「警官は自分自身が攻撃されている最中であったか、攻撃されている他人を守っていた」*5

 では、人種についてはどうなっているのだろうか?Black Lives Matter 運動を起こすことになったような種類の射殺…白人の警官による非武装の黒人の男性の射殺…は「警官による射殺全体のうちの4%以下」である。ワシントン・ポスト紙は「黒人男性はアメリカ合衆国全体の人口のうち6%しかいないのに、2015年に警官に射殺された非武装の男性のうちの40%を占めている」と主張することで、自分たちが集めた統計から人種間の不正義を誇大に読み取って宣伝しようとしている。だが、事例の件数を計測すれば、ワシントン・ポスト紙の主張はミスリーディングであるのだ。

 犯罪を人口統計的に分類すると、均衡した比例にはならない。犯罪者の圧倒的多数が男性であり(昨年に警察が射殺した女性の数はごく僅かだが、警察による法執行は性差別的であると主張する人はいない)、暴力犯罪を犯すの人の割合は黒人に偏っている。事実として、黒人は「白人とヒスパニックが殺人を犯す割合のほぼ8倍の割合で殺人を犯す」*6。更に悪いことに「14歳から17歳までの年齢の男性が殺人を犯す割合の人種間の差はおよそ10倍である」。例えば、2014年にはアメリカの人口で黒人が占める割合は(訳注:男女合わせて)13%であったが、殺人と強盗の罪で逮捕された人の最多数が黒人であった*7。また、黒人コミュニティにおける銃による死亡のうち82%が殺人によるものである*8。一方で、白人が銃で死亡する場合、その77%は自殺によるものだ。

 これらの不穏な不均衡をふまえると、理性的な人間であれば、警察による射殺は人口統計上の割合(訳注:人種間の人数差)と正確に一致しているはずだとは考えないだろう。警官の仕事は犯罪を追うことであるのだから、警官は犯罪頻度が高い地域で仕事をすることが多くなるのだ。人種間における犯罪比率をふまえて統計を調整した後にもまだ警官による銃の使用に人種差が見受けられるのであったとしたら、それは警戒すべき事態であろう。だが、ワシントン・ポスト紙の報告は人種間における犯罪比率の区別は導入していない。銃を振り回すなどの行為よりも「脅威が少ない行動」を示した黒人とヒスパニックが射殺される比率は「5分の3(3 in 5)」であり「非常に偏っている」とはいえ、その比率も暴力犯罪を犯す比率からは外れていないのである。

 ワシントン・ポスト紙の調査は、法執行を行った警官がマシな行動を取ることができた筈の地域を強調している。例えば、逃走しようとする容疑者や精神異常を抱えた容疑者に対処する方法を教えるトレーニングを改良していれば、その容疑者たちを殺さずに済んだかもしれない*9。それに、一般的には警官は責任を果たして銃を使用しているとはいえ、そのことは警官による銃の使用の全てが正当であることを意味しない。個人として人種差別的な警官は存在しているし、警察のなかには腐敗した同僚同士で一致団結してしまっている部局もあるだろう。それでも、無実の黒人男性が人種差別的な警官に射殺される可能性は無いに等しいくらい少ない。この事実は良いニュースではないか?

 私は虚偽の物語に基づいた社会運動を好まないが、Black Lives Matter 運動がワシントン・ポスト紙をインスパイアして価値ある研究を実施させたことも確かだ。公平に読まれたとすれば、国中に存在する緊張を緩和させる筈の調査結果である。だが、実際には緊張が緩和することはないだろう。物語はあまりにも強烈なのであり、人種間の緊張を拡大していくことであまりにも得をしてしまうあまりにも多くの有力な人たちが存在している。という訳で Black Lives Matter 運動はこれからも行われていくだろう。これからも更に多くの黒人のアメリカ人たちが、警官や法執行を憎んで恐れることを教えられることになるだろう。彼ら自身の国に対する嘘に基づいた憎しみと恐怖である。アメリカは彼らが信じ込まされているよりも良い場所であるのだ。ラディカルな人種の政治はアメリカを悪くするだけである。