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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

『ガリレオの中指』、『人はなぜレイプするのか』、学問における事実とイデオロギーの関係

学問論 フェミニズム 社会運動

 

Galileo's Middle Finger: Heretics, Activists, and the Search for Justice in Science

Galileo's Middle Finger: Heretics, Activists, and the Search for Justice in Science

 

 

 

 

  今回紹介するのは、私が最近読んでいる本である、アリス・ドレガー (Alice Dreger)の著書『ガリレオの中指:異端者、活動家、正義の探求(Galileo's Middle Finger: Heretics, Activists, and the Search for Justice)』に書かれている内容。

ガリレオの中指』は、活動家や学者たちのアイデンティティやドグマやイデオロギーがいかに科学的探求を歪めてきて、不都合な科学的知見を発表する科学者を攻撃してきたか…ということについての本。ヤノマミ族を通じて人間の生得的暴力性の研究をしたナポレオン・シャグノンや、トランスジェンダーに関する理論を著作で展開したマイケル・ベイリー、人間の行動を生物学的な見地から分析する社会生物学という学問領域の始祖の一人であるE・O・ウィルソンなどが取り上げられている。著者のドレガーによる科学者たち本人へのインタビューも混じえながら、中傷や人格批判をされて様々な危険にも晒されてきた科学者たちがどれほど傷付いてきたか、ということが描写されている。

 上述した人たちの中ではマイケル・ベイリーが日本では馴染みが薄い人だろう。ベイリーは2003年に発表した著書『The Man Who Would Be Queen: The Science of Gender-Bending and Transexualism(女王になろうとした男ジェンダーの変曲とトランスセクシュアリズムの科学)』の中で、 ある人が男性から女性への性別変更を行う理由を性的欲求や自己女性化愛好症によって説明した*1。その結果、ベイリーの書いている理論を否定するトランスジェンダーの活動家に人格攻撃・糾弾・脅迫・名誉毀損などをされる羽目になった*2。『ガリレオの中指』では、「ベイリーはトランスジェンダー差別を行っている」という批判のみならず「ベイリーは研究倫理違反をした」「ベイリーは研究対象とセックスした」などの虚偽の告発までもがまたたく間に拡散してベイリーの家族や友人なども中傷・脅迫の被害にあった様子が描写されている。中傷キャンペーンがあまりに大々的であったために、著者のドレガーも含めて、ベイリーの本を実際に手にとって読んでいない人は「ベイリーはトランスジェンダー差別を行っている」という批判を疑っていなかった。ドレガーが調査に乗り出して誤解を解く記事を書き出すまでは、その状況が何年も続いていた程である。また、誤解を解く記事を書き出したために、ドレガー本人も活動家の標的になったという事態も書かれている。

 

 ただし、『ガリレオの中指』は必ずしも「社会正義を求める活動と科学は相容れない」と主張する本ではない。むしろ、社会運動を通じて正義を達成するためには科学によって明らかにされたエビデンスを用いらなければならない、事実と理性に基づいた運動だけが目的を達成して世の中を良くすることができる、というような主張をしている本である。著者のドレガーの専門は医学を中心とした科学史であり、自身の専門知識を活かした社会活動も行っている。具体的には、インターセックスの人や結合双生児の人たちに対する医者たちのパターナリスティックな介入を止めさせる運動、先天性副腎過形成症の胎児に対するデキサメタゾンを用いた介入を止めさせる運動などである*3。『ガリレオの中指』でも、インターセックスの人たちに関する事実に基づいた冷静なアプローチがいかに医者たちの考えを変えたかについて書かれている。それまでは活動家っぽく短髪でラフな格好をしていたが、医者と対話する時にレズビアンの活動家だと思われて最初から警戒され怯えられて話にならないことが多かったので、あえて女性っぽい格好をするようになったら、今度は「敵と妥協している」として仲間の活動家から批判された、というエピソードが面白い。

 

 今回の記事では、前半はランディ・ソーンヒルとクレイグ・パーマーの著書『人はなぜレイプするのかー進化生物学が 解き明かす (Natural History of Rape)』を巡る事情について、『ガリレオの中指』で書かれているエピソードに沿いながら紹介する。後半では、科学における事実の探求とイデオロギーと の関係についての、ドレガー自身の考えを紹介する*4。引用部分は、いちいち引用枠に入れると文字が斜めになってしまって読みにくいので、『』で括っている。

 

 

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす

  • 作者: ランディ・ソーンヒル,クレイグ・パーマー,望月弘子
  • 出版社/メーカー: 青灯社
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本
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 『人はなぜレイプするのか』出版当初から、パーマーとソーンヒルは批判の的となってきた。批判者の多くは、パーマーとソーンヒルが「レイプ犯がレイプをした理由は遺伝子に動かされていたからであるので、レイプ犯は免責されて許されるべきだ。また、女性も自身の遺伝子に動かされていたために、男性を誘ってレイプを求めていたのだ」と主張している、という理由で批判していた。だが、実際にはパーマーとソーンヒルは上記のような主張は行っていなかった。

 

『ランディ・ソーンヒルとクレイグ・パーマーが主張したのは、レイプには性的な構成要素もある、ということだ。…レイプとは権力の発露であり他の要素は混じっていない、という一部のフェミニストの主張には反している。ソーンヒルとパーマーは、人間を含む一部の種類の生物種の間では、ある種の性的な強要行為は一部の男性の繁殖成功度を増す可能性がある、ということを示す証拠を集めて整理した。また、人間のレイプ犯は一般的には妊娠可能な年齢の女性を性的に魅力的であると感じて行為の対象とする、ということを示す証拠もソーンヒルとパーマーは集めた。特に注目するべきは、ソーンヒルとパーマーがレイプ犯が女性に与えた危害について真剣に捉えていて、レイプの被害者を本当にケアするということは性的な強要に生物学的な要素が影響を与えている可能性について真剣に考えことである、と論じていたことだ。ソーンヒルとパーマーの業績はレイプについて説明することを可能にするかもしれなかったが、それだけでなく、レイプを予防してレイプ犯を告訴することについても自分たちの業績が役に立つことを著者たちは願っていたのだ。間違いなく、彼らはレイプを免責したり、容赦したり、許したりはしていなかった。生物学者のジョアン・ラフガーデンによる非難に反して、彼らは「犯罪的な行動を免責するための"進化が俺にこの行為をやらせんだ"論の最新版」を用意したのではなかったのである。』

 

フェミニストの著者であり活動家であるスーザン・ブランミラーは、特に激しく怒っていたようだったが、それも不思議なことではない。レイプは性欲の問題ではなく本質的に権力と支配についての問題である、というブラウンミラーの非常に影響力の強い主張をランディとクレイグは著書の中で直接取り上げていたからだ。』

 

 そもそも著者たちに『人はなぜレイプするのか』を書かせることになった理由の一つは、ブランミラーやその他のフェミニストたちが主張しているような「レイプは家父長制的な権力や支配が原因であり、性欲が原因ではない」という理論がアカデミズムやフェミニズム界隈での議論を超えて実社会に影響を及ぼしていたからである。例えば、以下はある日にクレイグ・パーマーの下にアリゾナ州の州検察官が電話をしてきた時についてのエピソードである。

 

『「私(クレイグ)が最初に思ったのは、アリゾナ州から引っ越す前に返し忘れていた図書館の本を数年以上延滞でもしてしまったのかな、ということだ。だが、実際には、私が引っ越す前に住んでいた近所で起こったレイプ殺人事件の裁判が近づいていて、レイプ殺人の犠牲者となった女の子と容疑者として告発された男性の間で喧嘩が起こっているところを見たことがある人を探すために、その検察官は事件が起こった近所に住んでいたことのある人たち全員に連絡を取っていたんだ」。クレイグは検察官に提供できる情報は持ってなかった。「なぜ被害者と容疑者の間との喧嘩という特定の事柄を報告する必要があるんだろうと、私は興味を持った。だから、私はその検察官に質問したんだ。"その男は被害者の女の子に性的に惹かれていたが、その女の子が喜んで自分とセックスしてくれることは絶対に有り得ないということもその男は知っていた、と論じることはできないのか?"」。その州検察官は、動機は性的なものであり殺人はレイプを隠蔽するために行われたのだ、と仮定することはできなかったのだろうか? 

 州検察官は、基本的には自分たちもその議論を行おうとしていた、と答えた。しかし、「弁護側は"レイプは性的な動機では行われない、と科学者たちが証明している。その代わりに、レイプは暴力や支配や権力の欲求に基づいているのだ"というようなことを言ったんだ。だから、暴力や支配や権力という動機で事件が起こったことを立証する必要があるんだ」。クレイグはかなりのフラストレーションを感じた。レイプは性的な行為ではない、という主張が道理にかなっている筈があるのだろうか?特に、まともに立証もされていないようなその主張が、レイプと殺人を犯した犯罪者を裁くことに支障を与えているとしたら?ポピュリストたちのドグマが「殺人者やレイプ犯たちを自由にしている可能性もあったんだ」と、クレイグは私に語った。』 

 

 ブラウンミラーのような主張は他の場面でも影響を与えていた。カリフォルニア大学デイビス校で行われていたレイプ予防教育プログラムで配布されていたパンフレットには「事実:性的暴行は物理的・感情的な暴力による行為であり、性的欲求を満たすための行為ではない。レイプ犯は女性を支配・中傷・コントロール・侮辱・恐怖・汚すために性的暴行を行う。レイプの主要な原因は権力と怒りである、と研究が示している」や「事実:性的暴行の被害者の年齢の範囲は幼児から高齢者にまで渡る。女性の外見や魅力は事件とは無関係である。レイプ犯は手近にいて弱そうな女性に性的暴行を与える」などと書かれていた。これらの主張はソーンヒルやパーマーが研究して明らかにした事実とはかけ離れているわけだが、事実よりもイデオロギーに基づいた主張が犯罪を予防するための教育という形で広められていたのである。


 また、ソーンヒルとパーマーは「レイプは進化生物学という観点だけで説明できる」と主張したわけでもなければ「レイプの原因は全て性欲である」と主張したわけでもなかった。人間の性的行動やセクシュアリティに進化が与える影響の強さを認識した上で、男性による女性へのレイプの一部は性欲によって説明できる、と主張したのである。だが、『人はなぜレイプするのか』は、出版直後からメディアでもアカデミズムでも単純化した解釈をされて取り上げられた。「被害者が性的に魅力的に見えることは、レイプ事件に影響する」などの事実を受け入れるのを拒んだ人たちは、単純な善と悪との物語の中に『人はなぜレイプするのか』を当てはめて、ソーンヒルとパーマーはレイプ犯を擁護するミソジニストの悪人であると断定した。批判はメディアや学会にとどまらず、ソーンヒルとパーマーの下にはヘイト・メールや脅迫電話が届くようになった。脅迫電話はあまりにも危険に聞こえたために、地元の警察が出動することになった。脅迫電話を聞いた警察は実際に危険は深刻であると判断して、車に乗る前には爆弾が仕掛けられていないか確認するようにパーマーに忠告した程である。

 当時のことを振り返りながら、パーマーはドレガーに伝えた。

『「これらの事態のおかげで、人間という生物がなぜ集団リンチを行ったりジェノサイドなどの行為を行ったりするのかということについて学ぶことができたよ。そんな知識を学べて嬉しい、とは言い難いけどね。私の経験はメディアというものに対する私の評価を下げさせたか、と同僚が聞いてきたことがある。いいや、と私は答えた。私の経験は人間という生物に対する評価を下げさせたんだ」。』

 

  しかし、ソーンヒルとパーマーには自分たちの著書が最終的には被害者を減らし女性を助けることになる、という確信もあった。『人はなぜレイプするのか』の出版後には、実際のレイプ事件の被害者から感謝の手紙が届いた。エリザベス・エクスタインという被害者は新聞記事上で公然とソーンヒルとパーマーを賞賛した。「レイプは権力や支配のために起こるのであり、性欲が原因で起こるのではない」という理論が虚偽であると実感していた被害者たちも存在していたのである。更には、刑務所に服役しているあるレイプ犯がソーンヒルとパーマーの記事を読んで、自分自身も刑務所内の他のレイプ犯たちも動機は制欲であったと告白している、と伝える手紙をパーマーに送った。「レイプ犯はどんな女性でも襲う、なんてくだらない迷信だ」とその手紙には書かれていた。パーマーに見せてもらった手紙を読んだドレガーは、以下のように書いている。

 

『この手紙を読んだことで、私は未だに恐怖を感じている。いくつかの恐怖の組み合わせ、と言うべきかもしれない。恐怖の一部は、この手紙を書いたようなレイプ犯の男性に対する恐怖だ。女性が鍵を拾うために身を屈めるだけで性的な誘いを見出してしまうような男性に対する恐怖だ。恐怖の一部は、フェミニズムのようなイデオロギーに対する恐怖だ。私のような理性的で進歩的な人を、心地よく感じられて便利な主張を守るために、故意ではなくても誰かを傷付けることに導いてしまうかもしれないイデオロギーだ。そして、恐怖の一部は、私が発言することの全てが私自身を攻撃するために使われることになるかもしれない、という事態への恐怖だ。クレイグに起こったような事態のことだ。』

 

 以下は、マイケル・ベイリーやクレイグ・パーマーたちへの取材を通じてアリス・ドレガーが至った結論である。

 

マイケル・ベイリーやクレイグ・パーマー、そしてその他数多くの白人でストレートで男性の科学者について、彼らは有害で危険な知見を生み出しているのだ、という物語を私は聞かされてきた。人文学におけるアカデミックなフェミニストとして、私が好んで聞きたがっていた物語だ。彼らは抑圧的な体制のために働く兵士に過ぎないのであり私たちのような善人が戦わなければならない敵である、という物語だ。彼らは人間の本性についての旧来のドグマから登場したのであるが、私たちは進歩と社会正義の下から登場したのだから、私たちの方が勝つべきなのだ。しかし、私は、彼らのような科学者たちはトランスジェンダーの人々やレイプの被害者の権利という点で政治的に進歩的な考えを持っているだけでなく、自分たち自身を苦境に陥らせるような事実を発見することに意欲的である、という事実に直面することになった。彼らは進歩のことも社会正義のことにも充分に気にしていたのだが、まず第一に、何が真実であるかということを知ることを気にしていたのだ。

 そのことは、彼らのような科学者(あるいは私や他の誰でも)はバイアスを持たない存在である、ということを意味しない。彼らの業績が政治やイデオロギーや権威に影響されることは一度もない、ということを意味するのではない。他の人たちからは最優先されていなかった政治的ではない知的なアジェンダから彼らは離れなかった、ということを意味するのだ。根拠のない権威から自分の解答を引き出しているだけでは正しい科学を営むことはできない、ということを彼らは理解していたのだ。正しい学問であるなら、真実の追求を第一に据えるべきであり、社会正義の探求はその次に行うべきなのだ。
 ミズーリで、この順番には実際的な理由があるということを私は理解した。持続的な正義は、世界において何が真実であるのかという知識を私たちが得ない限りは達成することができないのだ(レイプはいつ・どこで・なぜ起こるのかを理解しない限り、レイプを効果的に告訴して予防することは不可能である)。しかし、真実の探求を第一に置くことには更に本質的な理由がある。真実の探求を行うことは、学者である私たちが本来行うべきことであるのだ。ミズーリ州のコロンビアから東へと向かう小さなプロペラ飛行機のなかで私は確信を得たのだ。私たち学者は証拠を追求することを他の何よりも優先するべきなのだ。例えその証拠が私たちが目にしたくない物事を指し示しているとしても。世界は私たちという実例が存在することを必要としているのだ。思想の自由・研究の自由・言論の自由が保たれている世界、学び続け疑問を抱き続ける世界を維持するために、私たちが必要とされているのだ。
 それでも、私の同僚の人文学者たちの多くは同意しないだろう、ということはわかっていた。頭上で回転しているプロペラの音にも関わらず、フェイクレザーの窮屈な椅子に座って私たちを囲んでいる同僚の人文学者たちが私に大声で反論しているところが耳に聞こえるようだった。私たちの学者としての特権は社会的弱者のために行使されなければならない。私たちはベイリーやパーマーのような人たちに世界についての真実を言わせるままにしておくことはできない。私たちは弱者たちに声と力を与えて、何が真実であるかを彼らに言わせなければならない。科学は他の人間の営みの全てと同じようにバイアスがかかっているのだから、私たちは力を持たない人たちに力を与えなければならない、そして常に彼らとともに語らなければいけない。

 意識せずに頭を振りながら、私は反論するのだ。「正義は単に社会的立場によって決定されるものではない。 政治的目標に"真実"を決定させていても、正義を促進することはできない。学者たちのように非常識なまでの量の特権を持っている人間だけが、何が事実かも知らないのに何が正しいかを決定することを良い考えだと思えるのだ。非常識なまでの量の特権のおかげで、腐敗した警官が自分の家のドアを叩くことを恐れる必要のない人間だけが、罪と無罪は事実ではなくアイデンティティによって決定されるべきだなんて思えるのだ*5。科学とは証拠の探求であり、 "物事を知るための数多くの方法の中の一つ "ではない。互いに検証を行い、理論や実験を検証し、事実に対する主張を検証し、事実に対する別の事実も検証する、方法に伴ったプロセスこそが科学なのだ。科学は完璧ではないが、しかし、科学が私たちにもたらしたものを見てみればいい。抗生物質エイズの説明と治療方法、ホロコーストについての信頼性のある歴史、犯罪に関する虚偽の告発をされた人の無実をDNA分析を通じて証明すること、火星の表面に辿り着いた宇宙船、そして現在私たちが乗っていて空を飛んでいるこの飛行機だ」。』

 

 蛇足になるが、ベイリーとドレガーを糾弾したトランスジェンダーフェミニストの活動家・学者たちに関するドレガーの感想も紹介しておこう。

 

『…当然のごとく、私の立場に関する、予測できるような抗議がされた。私はクィアではない人だから、クィアの人々のリアリティを絶対に理解することができない。私の業績は、私が持っているということにされている特権を持たないトランス女性たちをアカデミズム内で沈黙させてしまう可能性がある。次から次へと、アイデンティというカードが投げ出されていった…単にアイデンティティというカードを最も多く保有している人が勝利する場所である " フェミニスト " たちの部屋の中でしか通じない行為だ。私は、ウーメン・スタディーズは磁石でおもちゃの魚を釣るゲーム程にしか洗練されいないのではないか、と思うようになってしまった。』

 

関連記事:

davitrice.hatenadiary.jp

 

*1:

www.amazon.com

*2:日本語で説明されている webページ

あるジェンダー理論への批判:血祭りになった一人の学者1 - Anno Job Log

*3:ドレガーの各活動や研究内容についての具体的な情報が載っているページ

Progress and Politics in the Intersex Rights Movement: Feminist Theory in Action | Alice Domurat Dreger

One of Us: Conjoined Twins and the Future of Normal | Alice Domurat Dreger

Prenatal Dexamethasone for Congenital Adrenal Hyperplasia

*4:ガリレオの中指』の原文の一部はネット上にもアップされていて、今回私が引用する部分はほぼ全て以下の webページに含まれている。非公式のwebページっぽいので著作権的にはマズいかもしれないが、私の翻訳が気になるとか疑わしいとか思う人は参照すればいい

physicshead: Alice Dreger: The Craig case

*5:共産政権時代のポーランドに暮らしていたドレガーの親戚は秘密警察を恐れていた、というエピソードに関係した文章