道徳的動物日記

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「シンシナティ動物園の問題はゴリラを射殺したことではなく、動物園であることそのものだ」 by ローリー・グルーエン

www.washingtonpost.com

 

 今回紹介するのは、倫理学者のローリー・グルーエン(Lori Gruen)がワシントン・ポストに投稿した記事。グルーエンは霊長類保護に関するプロジェクトにも積極的に関わっている人のようであり、最近では動物や人間を監禁状態に置くことに関係する倫理問題を取り上げた論文集『 Ethics of Captivity(監禁の倫理)』を編集している。

 

 

The Ethics of Captivity

The Ethics of Captivity

 

 

 

シンシナティ動物園の問題はゴリラを射殺したことではなく、動物園であることそのものだ」  by ローリー・グルーエン

 

 シンシナティ動物園にて、柵を潜り抜けた4歳の男児がゴリラの囲いの中に落ちてしまい、絶滅危惧種のゴリラであるハランべが射殺された*1。この事件は大きなトラウマを残す出来事だった…男児にとっても、殺されずに済んだゴリラたちにとっても、目撃者たちにとっても、動物園のスタッフにとっても、そして檻に囚われている動物たちの苦境を悩ましく思っている人たちにとっても。このような悲劇が起きると、誰かが責められなければならないと感じてしまうものである。だが、非難の矛先は見当外れの方向を指している。真犯人は動物園そのものなのだ。

 動物保護団体の人々の多くが、ハランべは男児にとって脅威ではなかったと考えている。ゴリラは攻撃的にならない傾向があるし、もしハランべにそのつもりがあったなら200キロ近くの体重があるゴリラはあっという間に男児を傷付けることができたのであり、好奇心旺盛な生き物と10分間も関わっていなかっただろう。だが、動物保護団体の人々は現場にはいなかった。

 動物園のスタッフたちは、ハランべを射殺する前に彼を子供から引き離すための方策を十分に取っていたのだろうか?雌のゴリラを囮で釣って子供から離れさせることができたのに、なぜハランべは引き離せなかったのだろうか?一部の活動家たちは、ハランべの射殺は動物園のスタッフたちが無能で臆病なために起こったのだと主張している。しかし、シンシナティ動物園のスタッフたちや、別の動物園でハランべを幼児の頃から育てていたスタッフたちは、今回の事件に困惑して途方に暮れている。もしかしたら、一部のスタッフは射殺という軽率な手段に反論したのかもしれない。詳細はまだ分からないところだ。

 男児の母親を責めている人々もいる。どうして母親は自分の息子が野生動物たちの囲いの中に落ちるのを放置したのだ?なぜ母親は息子を制御していなかったのか?囲いを潜り抜けるには相当の時間がかかった筈だが、一体どれ程の時間、母親は息子を監督者がいない状態でうろつかせていたのだ?母親を自称する女性がソーシャルメディアに投稿した内容では、ハランべの死に対する自責の念は示されておらず、ただ神を讃えて彼女の息子を救った動物園の当局者への感謝の意が書かれているだけだった

*2。一部の人々は、母親はネグレクトを行っていたと法律的に認定されるべきだと主張しているし、絶滅危惧種の動物を死に至らしめた咎で訴えられるべきだとも主張している。しかし、彼女は子供を動物園に連れてくる何百万人もの母親の一人に過ぎない。この事件は酷い事故だったが、野生動物を眺めることが娯楽であると子供に教えているのは彼女だけではないのだ。

 私にとっては、責めるられべきは誰なのか、ということは問題ではない。そもそも、人間の子供一人の命と絶滅危惧種の動物一体の命との間で選択を下さなければならない、という状況が起こってしまうこと自体が問題なのだ。野生動物を監禁状態に置くことそのものが問題をはらんでいる。私たちが動物園に動物たちを閉じ込めているからこそ、今回のような悲劇的な選択が行われたのだ。

  ヨーロッパの動物園で定期的に行われている "間引き"の慣習に比べると、アメリカの動物園における動物の殺害数は少ない。とはいえ、動物園が死を引き起こす場所であることには変わらない。ハランべの生命は意図的・直接的に終わらせられたが、動物園に居る動物たちの多くは、監禁されていることそのものによって寿命を短くさせられている。シーワールドのクジラたちがその実例を示している。ゾウも、動物園では若いうちに死んでしまう*3。では、なぜ動物園は存在しているのだろうか?

 よく挙げられる理由の一つは、動物園は絶滅危惧種の野生動物を護り保全している、というものだ。生物種保全を行っている動物園は少数であるが…問題のシンシナティ動物園はその少数の中の一つである。生物種保全のための努力は賞賛に値するものであるし、今回の悲劇を受けてシンシナティ動物園がこれまで以上にローランドゴリラの保護に取り組んでくれることを私は望んでいる。ローランドゴリラたちの生息地は、他のあまりにも多くの野生動物たちの生息地と同じように、危機に瀕しているのだ。

 しかし、監禁された動物たちを"自然に帰す"ことはできない。ハランべのように、生まれた時から監禁状態で育てられた大型動物の場合は特にそうである。敏感で、賢く、寿命の長い生き物であるゴリラが、自然の中における自由を味わう機会もなく閉じ込められ続けることを運命付けられている。動物園に居る動物たちとは、せいぜいが、野生に暮らす同種の動物たちを代表するためのシンボルであるのだ。だが、動物園を訪れる客たちを楽しませるために、そのシンボルも歪められている。動物園は、素晴らしい野生動物たちについての私たちの理解を歪めてしまうし、動物たちは人間の目的のために存在しているのだという認識を与えてしまう。

 もし今回の事件について誰かを責めなければいけないとしたら、私たちは自分たちが暮らす社会そのものに目を向けるべきかもしれない。つまり、動物を監禁する制度を支持する社会だ。サンクチュアリという場所で飼われている野生動物たちは、大声をあげている群衆に見られることもなく、自分たち自身のせいではない危険に晒されることもなく生きることができる。もし動物園が今よりもサンクチュアリに近い場所であったならば、誰もハランべを殺すことを選択する必要はなかったであろう。サンクチュアリとは野生動物の幸福が最優先に配慮されている場所であり、動物たちは尊厳を持って扱われている。4歳の男児とその家族たちはIMAXの映画館でゴリラを眺めることもできたのだ。人間たちは好奇心を安全に満たせることができたし、ゴリラたちは尊厳を持って平和に生きることができていただろう。

 

 

 グルーエンに関する、当ブログの過去記事。

 

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