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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「猫戦争:自然保全の道徳的汚点」 by ウィリアム・リン

動物倫理 動物 野生動物 倫理学 環境倫理

www.huffingtonpost.com

 

 本日紹介するのは、環境や動物に関する倫理や政策を研究しているウィリアム・リン(William Lynn)が英語版ハフティントンポストに発表した記事。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

 上の記事にて紹介されている、『Cat Wars』という著作とそれを巡る議論に関する記事で、リン氏は『Cat Wars』にかなり批判的。記事の中盤はちょっと陰謀論っぽいところもあるし、訳者である私は批判の対象となっている『Cat Wars』を読んでいないのでリン氏の議論がフェアであるかどうかも判断できないのだが、後半の環境倫理と自然保全に関する議論は日本ではなかなか紹介されにくいものであると思うので、訳して紹介することにした。

 

 

「猫戦争:自然保全の道徳的汚点」 by ウィリアム・リン

 

『猫戦争:可愛い殺し屋がもたらす悲惨な結果(Cat Wars: The Devastating Consequences of a Cuddly Killer)』と題された最近の本にて、著者のピーター・マラ(Peter Marra)とクリス・サンテラ(Chris Santella)は、屋外の猫たち(野生であるか人に懐いているか、飼い主がいるかいないかに関わらず)に潜んでいる恐ろしい脅威を人々に喚起しようとしている。著者たちの大局的な結論とは、私たちは生物多様性を守るために猫に対する戦争を"いかなる手段を取っても (by any means necessary)"実行する必要がある、というものだ。残念ながら、この本の科学的推論と倫理的推論には基本的な問題が存在している…猫と生物多様性を巡るより辛辣で規模の大きな議論に例示されているような問題だ。

 

科学、猫、生物多様性

 

 生物多様性の危機は確かに存在しているし、現在は人間が地球環境に対して集団的に与えてきた負荷のために引き起こされた6度目の大絶滅が起こっている最中だ*1。海で閉ざされた太平洋の島々のように、一部の地域における生態系は外来種の捕食者に対して"敏感"であることに疑いはないし、猫は生物多様性にネガティブな影響を与えることが可能である。これらの事実を否定することは、地球が平面であると主張したり気候変動は起こっていないと主張するのと同じことだ。

 それでもなお、猫は地球を破壊する殺害兵器である、という自然保全主義者(conservationists)たちの主張の核心は間違っている。マーク・ベコフ、バーバラ・キング、ピーター・ウルフのような人たちは…いずれも、人間と動物との関係を明敏に観察してきた研究者だ…『猫戦争』の研究における事実面と分析面の具体的な問題点を指摘している*2。その問題点としては、猫の実際の頭数についての実証研究の欠如、猫による捕食率の過剰な推定、疑わしい統計、改竄された研究を扱うことの失敗、猫がより大きな捕食者によって野生の生息地から排除されること(を想定していないこと)、野良猫を捕まえて"シェルター"で殺してきた数十年間の歴史、より効率的な非致死的政策の反応が考慮されていないこと、などが含まれている。これらの論点の詳細な議論については、2012年の「屋外の猫:グローバルな観点からの科学と政策」会議のオンライン動画を見てほしい*3

 ここで私が注目しているのはさらに大局的な図であり、科学的な議論の構造そのものだ。

 科学的な主張の背後に論理的な推論が存在していることは、データを収集する方法・仮説の検証・そして結果の分析と同様に、健全な科学の基礎となるものである。マラとサンテラと彼らの支持者たちが屋外の猫について主張を行う際、彼らはまさに論理的な推論という点でもがいているのであり、科学の基本的な教義を侵害しているのだ。彼らは、特定の箇所における地域的な研究が世界全体に通じるかのように過剰に一般化している。論理学でいう「合成の誤謬」(世界中の全ての箇所は、猫や野生生物が調べられたことのある環境と同様である)と「早急な一般化」(この箇所の野生生物にとって猫が問題であるなら、全ての箇所において猫は問題であるはずだ)が含まれているのだ。

 この論理的な問題は、彼らによるデータの解釈にも影響を与えている。個々の事例研究はその地理的な文脈から抜き出されて抽象化されているが、これは文脈を無視した引用を行うことと同様である。著者たちは、アメリカ合衆国鳥類保全協会による「猫は屋内に」キャンペーンなどと同様に、地球の地表全てが太平洋の小さな島々であるかのように表現している*4。その結果、屋外の猫が与える影響が歪められて人を不安にさせる形で表現されるのだ。

 猫と生物多様性についての個々の事例研究が正しかったとしても、その研究結果を世界全体に反映させることは間違いであるということには留意するべきだ。彼らの大げさな警告(alarmism)に対しては、あまりにも多くの変数が存在している…生物多様性に対する人間による略奪行為(猫による行為よりも遥かに重大である)、猫が発見される生態学的文脈の多様性、個々の猫の性格と行動の違い、など*5。猫に対する戦争を支持する人たちはあらかじめ決定された結論を作り上げて、蓄積されてきた事例研究の中から都合の良いものを選ぶことで自分たちの主張を補強しているのだ。

 

倫理と、猫に対する戦争

 

  彼らの研究の倫理面に目を向けると、二つの問題点がすぐに見つかる。その一つは『猫戦争』という著作を生み出した研究の公正さに関するものである。二つ目は、猫に対する世界的な戦争の倫理的正当化に関するものだ。まず、研究の公正さという問題から論じよう。

 猫に関する様々な研究を行った人たちの大半がその研究を公正さを保って行ったことを疑う理由はない。確かに、近隣の猫を自分で毒殺しようとしたり他人が毒殺することを推奨した科学者のニコ・ドーフィンやジャーナリストのテッド・ウィリアムズのような、反・猫活動家(anti-cat advocate)の邪な例も存在する*6。しかし、彼らは例外だ。

 更に、学術的著作の著者たちは、その著作に費やした時間と労力を補償されるべきだ。その補償とは、一般的には、コストをカバーするための立替金や補助金、研究と執筆に専念するために他の仕事の時間を買い取ること、学術的な成果に基づく給料の増加、そして著作の販売から得られるロイヤリティなどだ。これらの補償の重要な点とは資金元の透明性であり、その透明性は経済的・イデオロギー的な利害の政治的争いをコントロールするために必要なのである。

 猫に関する学術的著作の著者の片方がトラベルライター兼マーケティングコンサルタントであるというのは、一般的なことではない*7。『猫戦争』のストーリーを成り立たせるために使用されたインタビューの大半を行ったのはサンテラである。猫と生物多様性の問題についてサンテラが非常にコミットしたことがない限り、サンテラがマラと共作したことについて私は疑問を抱かざるを得ない。サンテラは彼の時間と労力の対価が支払われたゴーストライターなのか?だとすれば、誰がサンテラに支払ったのか?

 スミソニアン博物館は「ピーター・マラの著作スミソニアンの従業員の義務の一部として書かれたものはないし、スミソニアンが資金を供給したプロジェクトでもない」と明白な声明を出している。この情報は、情報公開法に基づいた要求への返答として公開されたスミソニアン評議会のオフィスからのレターに掲載されたものである。マラはスミソニアン国立動物園の渡り鳥研究センターの所長であるが、著作の題材とは明らかに関係のある役職であるし、おそらく資金や労力も関連しているだろう*8。だから、この点についてスミソニアン博物館がマラから距離を取っているのは奇妙なことなのだ。

『猫戦争』という著作は特定の観点を正当化するために科学の外見を装った党派的なレトリックの一つとして構想されて資金を得た著作であるのか、という疑問を投げかけることは正当であるだろう。この著作を生み出すために、誰がどんな目的で資金を用意したのか?『猫戦争』を出版することに同意した時、プリンストン大学はこの著作を巡って起こり得る利益の衝突に関する問題について充分に知っていたのだろうか?

『猫戦争』に関するこのような問題についての情報開示は行われていないので、私はこれらの疑問への答えを持っていない。著者たちはそのような情報開示は必要ないと主張するかもしれないし、彼らが正しい可能性もある。私や他の人たちも、この点に関する理由や証拠について開放的であるべきだ。だが、上述の奇妙な状況は経済的・イデオロギー的な利害に関する疑問を引き起こすものだし、それは提出されて答えられるべき疑問なのだ。

 

倫理的な(間違った)正当化

 

『猫戦争』のさらなる問題点とは、猫に対する戦争を"いかなる手段を取っても"…明らかに、狩り・毒・罠やその他の見境のない致死的な方法による"管理"を意味している言葉だ…実施することについての一貫した倫理学的分析が不在であることだ。『猫戦争』の中には、倫理学への短い言及がまばらに書かれてはいる。その大半はアルド・レポルドの「土地倫理」に賛意を示しているものであり、J・ベアード・キャリコットやホームズ・ロールストンと行った環境哲学者たちの著作からの断片的な抜き出しと共に並べられている*9。レオポルドは、倫理とは私たちが生存する能力を高めるために進化した社会集団の特徴である、と仮定した。私たちの福祉(well-being)は自然界…レオポルドが"土地(the land)と呼んだもの…にも依存しているのだから、自然とも倫理的な関係を持つ必要がある、とレオポルドは考えたのだ。

 レオポルドは自然のことを"土地"として集合的に語ったために、生態系の道徳的価値を強調することが彼の思想の主要な解釈となっている。倫理学の用語では「環境中心的全体論ホーリズム)」と呼ばれるものだ*10。自然には生態コミュニティ…頭数、生物種、そして生態系など…のレベルに本質的(内在的/instric)な価値が存在する、というのがこの言葉の意味だ。対照的に、個々の生き物には本質的な価値が存在しない*11。個々の生き物たちは、生体コミュニティの一部である限りにおいて道徳的な価値を持つのである。ハンマーはそれ自体は道徳的価値を持たないが、人間という本質的な価値を持つ存在のために家を建てることに使用することができるという点で価値を持つ、ということと同様である。この観点は、反猫派の自然保全主義者たちが屋外の猫の殺害を快活に正当化することができる理由でもある。彼らの道徳的観点からすれば、猫は大して価値を持たない…あるいは、全く価値を持たない。これこそが、伝統的な自然保全の標準的なイデオロギーなのだ*12。  

 
悲劇的な善(Sad-Goods)

 

 猫に対する戦争を正当化するために、著者たちはレオポルドの土地倫理だけではなく動物と環境の倫理についての私の研究も利用している*13。それは、アメリカ合衆国野生動物庁によるアメリカフクロウや北マダラフクロウの管理という文脈に関するものだ*14。生息地の消失という重篤な危険のために、北マダラフクロウはその領土を奪ったアメリカフクロウよりも遥かに深刻な絶滅の危機に晒されている。アメリカフクロウの致死的なコントロールを考えた野生動物庁は、フクロウを殺すことによって生じる倫理的な問題を検討するため、アメリカフクロウ・ステークホルダー委員会(Barred Owl Stakeholder Group)を設置した。私は倫理学者としてアドバイスを行い議論を促進するために、委員会に雇われたのだ。倫理的な問題について徹底的に審査した末に、アメリカフクロウの影響を和らげるための非致死的な手段が存在しないことをふまえて、一部のアメリカフクロウを致死的な手段を用いて排除することは正当である旨を委員会は全会一致した。私による"悲劇的な善(sad-goods)"という概念は、委員会の結論を導く鍵となるものだった。マラとサンテラは全ての猫を自然から根絶することを正当化するために、この"悲劇的な善"という概念を用いている(115~117ページ)。猫たちを殺すことによって生じる悲劇を一まとめにしたとしても、猫たちを殺すことによって生態系にもたらされる善の方が悲劇を上回る、と著者たちは論じているのだ。  

 私の友人や同僚たちにとっては残念なことに、私は純粋な動物の権利主義者ではない*15。死や捕食は自然なことであるのだから、限られた時や場所においては動物を殺害することが道徳的に正当化される、と私は考えている。"悲劇的な善"とはそのような状況を説明するための概念だ。例えば、鹿が狼や自給自足のハンターに狩られる場合においては、三者の全て…鹿、狼、そして人間…が本質的な道徳的価値を持っている。鹿が狩られて死ぬことは、生きている存在であり人間ではない人格(non-human person)が失われるということであるのだから、"悲劇"である。しかし、同時に、鹿の死は"善"でもある。弱く、病んだ、年老いた仲間が群れから消えるという点で他の鹿にとって善である。自分たちの家族を養うための食物を供給してくれるという点で、狼やハンターにとっても鹿の死は善だ。悲惨で痛ましくても、それは"悲劇的な善"なのである。

 だが、"悲劇的な善"とは、動物を殺すことのお手軽な言い訳として考えられた概念では全くない。アメリカフクロウの管理に関する倫理についてのアメリカ野生動物庁に対する私の返答が明確にしているように、"悲劇的な善"という概念は、問題となっている動物たちの本質的な道徳的価値を充分に認識すること、その動物たちに対する人間の直接的な義務を理解すること、可能な場合には何よりも優先して非致死的な手段を取ること、そして致死的な管理は限られた時と場所においてしか用いないように制限することを要求する*16。マラとサンテラの議論は上述した条件を何一つ満たしておらず、猫に対する戦争を正当化するものとしての"悲劇的な善"という概念の彼らによる解釈と用法を、私は否定しなければならない。

 

伝統的な自然保全の汚点

 

 個々の動物に対して正しいことを行うことに関わる道徳的懸念を払いのけようとするのは、マラとサンテラに限ったことではない。自然保全主義者の間では、レオポルドの土地倫理の背景にあるような環境中心的全体論は、批判的な倫理的思考を促進するものとしてではなく、信仰を告白して正しさを言い張るものとして機能することが大半である。科学的・倫理的な別の可能性を無視して、致死的な方法を動物に対して用いるというあらかじめ決定された結論を正当化するために、しばしば土地倫理は用いられるのだ。この事態の証拠は、文字通りどこからでも見つけることができる…オーストラリアにおける猫に対する戦争、アフリカのトロフィー・ハンティングの正当化、アメリカにおける狼や他の捕食動物の管理など*17。具体例は嫌になるほど挙げられる。

『猫戦争』の著者たちが科学的推論と倫理的推論に失敗していることは、屋外の猫たちが生態系に与える影響を無視することを正当化する訳ではない。むしろ、著者たちはより厳格な科学を促進するべきであり、より深い倫理的考慮を行い、猫たちに対する拙速で非人道的な行為に対して警告をするべきなのだ。

 そして、ここに問題の核心が存在する。『猫戦争』とそれが代表している観点は、不完全な科学と道徳的な正当さの不在だけに基づいているのではない。個々の動物の生命を矮小化する世界観に基づいているのだ。このことは、自然保全と野生動物の管理に関する伝統的なアプローチの汚点である…生物多様性への道程を殺しによって埋め尽くすことであり、それは大規模なブラッドスポーツでしかないのだ。

 

 

 関連記事:

davitrice.hatenadiary.jp

 

 

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*1:

 

6度目の大絶滅

6度目の大絶滅

 

 

*2:

Facts, Myths in Cat Wars Book | The Best Friends Blog 

The Wars on Wolves, Cats, and Other Animals: It's Time to Forever Close Down the Killing Fields | Huffington Post

New Book, Cat Wars, Looks At What To Do With Free-Ranging Cats : 13.7: Cosmos And Culture : NPR

“By Any Means Necessary”: War is Declared on U.S. Cats » Vox Felina – Feral/free-roaming cats and trap-neuter-return/TNR: critiquing the opposition

マーク・ベコフとバーバラ・キングは著書が邦訳されている

 

 

死を悼む動物たち

死を悼む動物たち

 

 

*3:

Past Conferences : The Humane Society of the United States

*4:

Cats and Birds | American Bird Conservancy

*5:

Biodiversity: The ravages of guns, nets and bulldozers : Nature News & Comment

Invasive species will save us: The new way we must think about the environment now - Salon.com

Feral cats weapon of choice for some residents facing influx of rats - Chicago Tribune

* PDF http://www.kittycams.uga.edu/other/Loyd%20et%20al%202013.pdf

*6:

National Zoo employee found guilty of attempted animal cruelty - The Washington Post

Writer's Call to Kill Feral Cats Sparks Outcry

*7:

About Chris Santella

*8:

Smithsonian Migratory Bird Center

*9:

 

野生のうたが聞こえる (講談社学術文庫)

野生のうたが聞こえる (講談社学術文庫)

 

 

*10:

* PDF:  htttp://www.williamlynn.net/pdf/lynn-2015-being-animal.pdf

*11:

* PDF: htttp://www.williamlynn.net/pdf/lynn-1998-contested-moralities.pdf

*12:

* PDF: http://www.ifaw.org/sites/default/files/gaining-ground/ifaw-gaining-ground-chapter-01.pdf

*13:* PDF:

http://www.williamlynn.net/pdf/lynn-2006-between-science-ethics.pdf

*14:

OFWO - Barred Owl Threat

*15:

* PDF: http://www.williamlynn.net/pdf/lynn-2005-finding-common-ground.pdf

*16:* PDF: http://www.williamlynn.net/pdf/lynn-2011-barred-owls.pdf

*17:

Australia’s war on feral cats: shaky science, missing ethics

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/conl.12254/abstract

*PDF: http://www.williamlynn.net/pdf/lynn-2010-discourse-wolves.pdf

"EXPOSED: America's Secret War on Wildlife" from Predator Defense Films