道徳的動物日記

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『動物と、ポストモダニズムの限界』 by ゲイリー・シュタイナー

 

 哲学者のゲイリー・シュタイナー(Gary Steiner)が、本人の著書『Animals and the Limits of Postmodernism(動物と、ポストモダニズムの限界)』について短く解説している記事を紹介する。

 私はポストモダニズムにはあまり詳しくないのだが、いくつかの本やネット上の記事、学会発表などを聞いた結果、ジャック・デリダに代表されるようなポストモダニズム的な動物論や倫理学のことをかなり胡散臭く思うようになった。シュタイナーの著作を読んだのは数年前だが、彼が「気分を良くするための倫理学(feel-good ethics)」と呼んでいるポストモダニズム的な動物論や倫理学が一冊丸々かけてこき下ろされていて、読んでいて痛快だった思い出がある。

 

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 近年では、動物の道徳的地位についての文章は大衆的なものと学術的なものとの両方が大量に書かれている。アカデミックな界隈ではそれらの文章の大半が「ポストモダン」な性質を持っており、還元不可能な多様性や、動物の他者性についての私たちの捉え難い経験などについて焦点を当てて書かれているとされている。そして、それらのポストモダンな文章は、明白で曖昧でない用語を用いて動物や人間を定義したり動物と人間との境界を定義しようとする伝統的な試みを激しく非難している。動物に対する人間の道徳的優位を説く伝統的な人間主義的主張は人間と動物の両方の経験に対する還元的で過剰な単純化に基づいているのであり、その単純化は私たちの感覚的生活の経験に備わる還元不可能な豊かさに対する暴力なのである、とポストモダン作家たちは説く。主体、個体(individuality)、責任といった人間主義的な概念は経験的現象の多様性を歪めるだけでなく、その歪みは道徳的な考慮の対象から周縁的な他者を排除しようとする試みを覆い隠しているのだ、ということを多くのポストモダン作家たちが示そうとしてきた。ポストモダン作家たちは女性や有色人種といった人間の他者に対する疎外に焦点を当ててきたが、最近では一部のポストモダン作家たちがこの批判の対象を拡大しており、人間が動物に対して長年行ってきた支配に対しても批判を行おうとしている。そのようにして、デリダや他の作家たちは、多くの動物たちがロゴス(理性や言語)に携わっていること、人間の特定のロゴスには携わっていなくても他のロゴスに動物たちは携わっているのだということを示そうとしてきたのだ。

 動物たちは、人間と同じように、苦痛を感じる存在であるしやがて死ぬ運命にある存在である。そのことだけでも、動物たちは西洋の歴史において人間たちに与えられてきたものよりもずっと大きな道徳的配慮を受けるべき存在である、ということを認めるのに充分な理由となる。しかし、私たちは動物たちにどのような義務を負っているのかということについての明白で定言的な主張を、ポストモダンの思想家たちは行おうとしない。ポストモダンの思想家たちは、私が「気分を良くするための倫理学(feel-good ethics)」と呼んでいるものに安住しているのだ。道徳的な不正義に対する嫌悪を表現することを私たちに許しながら、それ程までに嫌悪している不正義に対抗するための具体的なことは全く要求せず、快適な領域から私たちを押し出さない倫理学…それが「気分を良くするための倫理学」だ。ポストモダニズムはレトリックとして魅力的になるほど道徳的に無力となる。私が著書『動物と、ポストモダニズムの限界』で論じているように、ポストモダニズムは、暗黙のうちにであり本来の意図には反しているとしても、自身が悪意のあるものとして拒絶しようとしているはずの動物やその他の周縁化された他者に対する暴力を、むしろ正当化して強化してしまうのだ。

 

 

 

Animals and the Limits of Postmodernism (Critical Perspectives on Animals)

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