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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

動物愛護運動は人間の苦痛から目を逸らすための運動?

動物愛護運動 歴史

 

階級としての動物―ヴィクトリア時代の英国人と動物たち

階級としての動物―ヴィクトリア時代の英国人と動物たち

 

 

 

 イギリスやアメリカなどで18世紀〜19世紀に行われた動物愛護運動について書かれた歴史の本はいくつかあり、特にイギリスは動物愛護運動の発祥の地ということもあってか注目度が高く、ジェイムズ・ターナー著『動物への配慮―ヴィクトリア時代精神における動物・痛み・人間性』やハリエット・リトヴォ著『階級としての動物―ヴィクトリア時代の英国人と動物たち』などが邦訳されている。

 ただ、ターナーにせよリトヴォにせよ、動物愛護運動に対して批判的に書かれているところが強い。リトヴォは動物愛護運動を主に行っていたのは中産階級であり、彼らは上流階級や下流階級の習慣を非難していたのであり動物愛護運動も階級間の闘争の一環に過ぎないのだ、という風に論じている。また、ターナーの議論は以下のようなものだ:当時のイギリスでは産業革命による工場の発達に伴い多くの労働者が都市に流入して、都市に暮らす中産階級や上流階級の人々は子供や女性を含む虐げられた労働者や身体障害者などの苦痛を目の当たりにするようになったが、工場を批判して下層階級に配慮を示すことは労働者の犠牲のうえに成り立っている自分たちの豊かな生活を否定することになるし階級社会に甘んじている自分たち自身の否定になる…だから、人々の苦痛を目にして感じた罪悪感を動物への苦痛に "転移"させて動物の苦痛を減らす動物愛護運動を行うことで、中産階級や上流階級の人々は自分たちの立場を危うくせずに安全に罪悪感を解消することができたのである。

 

 

For the Prevention of Cruelty: The History And Legacy of Animal Rights Activism in the United States

For the Prevention of Cruelty: The History And Legacy of Animal Rights Activism in the United States

 

 

 

The Animal Rights Movement in America: From Compassion to Respect (Social Movements Past and Present Series)

The Animal Rights Movement in America: From Compassion to Respect (Social Movements Past and Present Series)

 

 

 …しかし、このような議論、特にターナーの"転移"仮説は、かなり疑わしいものといっていい*1。理屈としては筋が通っているように見えても、その理屈を証明するための手続きはほとんど取られておらず、邪推と言っていいようなものなのだ。また、ターナーの主張では「動物愛護運動は人間の苦痛に対する罪悪感を動物の苦痛に転移させて、人間の苦しみを無視して罪悪感を解消するためのものだ」ということになり、動物愛護運動を行っている人は人間の弱者を対象にした運動を行わなくて済むということになるはずだが、実際には動物愛護運動を行っていた人々の多くは貧困救済運動・反奴隷運動・女性参政権運動・児童保護運動などの人間の弱者を対象にした様々な運動も並行して行っていたのだ*2。動物愛護運動を主に実践していたのは上流・中産階級であるということも、他の多くの社会運動の担い手が上流・中産階級であったことと同じく、金銭的・時間的な余裕がある層が運動の担い手になったということに過ぎないだろう。

 

  以上は昔の動物愛護運動についての議論だが、現在の運動についても「人間の苦痛から目を逸らして動物愛護運動を行っているのは偽善だ」「本当は動物への配慮が理由ではなく、価値観の押し付けをしたいんだろ」みたいな批判をしたがる人は多い。動物愛護運動についてあまり肯定的な意見を持っていない読者の多くはリトヴォやターナーの議論を好むだろうし、他の学者とか著述者とかも読者のウケがいいことを書こうと思って似たような議論を再生産しているかもしれない*3

 動物愛護運動を行っているからといって人間の苦痛に配慮していないと限らないし(人間を対象にした社会運動も並行して行っているかもしれないし、人間の問題も重要だと思っているが優先順位などを考えて動物の問題を対象にした運動を行っているのかもしれない)、倫理学的には人間の苦痛よりも動物の苦痛に優先して配慮することは必ずしも間違いとは言い切れないのだが(苦痛の質や規模が人間よりも動物の方が大きかったり、人間の苦痛よりも動物の苦痛を解消することに力を入れた方が費用対効果が良いという場合など)、それは置いておいても、他の社会運動にはあまり向けられないような言いがかりに近い批判が動物愛護運動には向けられることが多い。これも、「人間の苦痛は重大に配慮するべきことだが、動物の苦痛はどうでもいい」といった種差別的な考えを(学者を含めた)多くの人が未だに持っていることに由来するのかもしれない。

 

*1:上に挙げた本はどちらもアメリカの動物愛護運動の歴史について書かれた本だが、イギリスの動物愛護運動やターナーの主張についても取り上げられている

*2:例えば、これまたイギリスではなくアメリカの話になってしまうが、アメリカで児童保護運動を初めて起こしたのは動物愛護運動に関わっている人々であり、最初の児童保護団体も動物愛護団体から派生したものである。

davitrice.hatenadiary.jp

*3:repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192592/1/kjs_008_081.pdf 例えばこの論文も、2000年に書かれたものなのに、英語圏の他の議論は参照せずに1980年に出版されたターナーの議論に頼りきりで、どうかと思う。