道徳的動物日記

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動物倫理における宗教・文化の扱いについて

togetter.com

 

 上記のTogetterは2016年のものだが、なぜか最近になってブクマが集まっているようだ。このTogetterの内容は基本的には「アニマルライツは宗教よりも重要ではない」と考えているまとめ主が自身の見解や自身に近い見解を持つ人の主張をまとめて掲載するというもので、中立的なまとめというよりかは一方の側の意見に偏ったものである。という訳で、バランスをとるためにも、「宗教はアニマルライツよりも重要ではない」または「宗教や文化は、動物の道徳的地位や動物への倫理的配慮を無視する理由にはならない」などなどの意見やそれに関連するものとして、私が過去に書いたり訳したりした記事やその他の英語記事についてざっと紹介しておこう。

 

 

● 政治哲学者のウィル・キムリッカがスー・ドナルドソンという人と共著して書いた論文の内容を紹介している記事。キムリッカは多文化主義を主張していることで有名だが、すべての文化や宗教的営みが認められるとは主張しておらず、人権侵害を含むものであれば文化や宗教であっても認められない、という主張をしている。そしてキムリッカは人間の権利と同じく動物の権利も認めているので、動物の権利侵害を含むものであれば文化や宗教であっても認められない、ということになる(実際にはもっとニュアンスがあって複雑な主張をしているのだが、概ねこんな感じ)。

 

davitrice.hatenadiary.jp

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● 動物の問題に限らず、「文化や宗教に由来する営みであるからといって倫理的に認められるとは限らない、文化や宗教であっても道徳的批判の対象となる」ということや「宗教や文化に依らない方法で道徳を考えよう」という旨の議論をしている記事。

 

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● 無神論者による動物倫理の議論。シャーマーの記事へのコメントとしても書いているが、無神論者が動物倫理の問題について積極的に発言するのは、文化や宗教に依らない世俗的・科学的な前提に基づいた倫理や道徳を考える際には、動物の問題について言及しない訳にはいかない、ということが大きいのだろう。

 

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richarddawkins.net

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 The unfair treatment of the animal rights movement « Why Evolution Is True

 

● 上記のTogetter記事でも論じられている、ハラールやカシュルートなどの宗教的な理由による屠殺方法に関する倫理的議論や動物福祉への懸念としては、以下のような記事がある。ピーター・シンガーにせよ上述のキムリッカにせよ、「屠殺方法云々の以前にそもそも肉食自体が認められない。イスラム教徒であろうがユダヤ教徒であろうがその他の教徒であろうが無神論者であろうがみんなベジタリアンになるべき」という趣旨の議論を行っている。

 

theconversation.com

 

www.theguardian.com

 

www.theguardian.com

 

 

⚫︎ 最後に私の雑感を短く書いてみると、このテの複雑で厄介で様々な論点があり、そして様々な対処法や妥協案が考えられる現在進行形の倫理的問題に関しては、「権利」という言葉にあまりこだわって論じることは不毛で非生産的であるように思える。

 「人間の誰かが属する文化や誰かが信仰する宗教は尊重されるべきである」「文化的営みや宗教的営みが妨害、疎外されることがあってはならない」という意見や規範は比較的広く受け入られているだろうが、「動物を殺害することは許されるとしても、動物に与える苦痛はできるだけ少なくされるべきだ」「動物にはできるだけ苦痛を与えない方が良い」という意見や規範も比較的広く受け入られているだろう。「動物が人間の食事のために殺害されることはあってはならない」と考えている人は少数派だろうが「動物が人間の娯楽のために殺害されることはあってはならない」と考えている人は多いだろうし、「動物が人間の文化的営みや宗教的営みのために殺害されることはあってはならない」という価値観を抱いている人もそれなりにいるように思える。 実際にはどちらの考えが客観的・理論的に正しいかという倫理学的な議論をさておいても、一般論として、世の中に異なった意見や価値観を抱いている人々がいてそれらの価値観が互いに衝突しかねない場合には妥協案や折衷案が見出されるべきだろう。しかし、「人間には自分の属する文化や自分の信仰する宗教が尊重される権利がある」「人間には文化的営みや宗教的営みを妨害、疎外されない権利がある」あるいは「動物には無用に苦痛を与えられない権利がある」「動物には文化的営みや宗教的営みのために殺害されない権利がある」という考え方をしてしまうと、どちらかの権利を認めたらもう片方の権利を否認せざるをえなくなり妥協案や折衷案も成立しなくなって対処の仕様がなくなるのだ。このような議論においては、「権利」という言葉にこだわらない功利主義帰結主義の有効さが実に明白であるように思える。

 

 

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