道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

科学や理性はなぜ人々や社会の道徳的向上をもたらすか(宗教はなぜ人々や社会の道徳的向上をもたらさないか)

 

The Moral Arc: How Science Makes Us Better People

The Moral Arc: How Science Makes Us Better People

 

 

 

 これまでにも何度か紹介しているマイケル・シャーマーの『 The Moral Arc: How Science and Reason Lead Humanity toward Truth, Justice, and Freedom (道徳の弧:科学と理性はいかにして私たちを真実と正義と自由に導くか)』について、『道徳の弧』の内容についてシャーマー自身が答えているインタビューも参照しながら、また紹介してみたい。

 

www.huffingtonpost.com

 

『道徳の弧』で行なわれている主な主張は、「人類は科学的で理性的な思考方法を発達させるにつれて、道徳的にも発達してきた」というものであり、現代的な啓蒙主義とも言えるものである(同様の主張はスティーブン・ピンカーなども行っている)。

 

ごく簡単に要約してみると、

(1):物事を抽象化して理性的に考えることは、ある行為において道徳的に重要で本質的な事項とそうではない事項との区別を付けること可能にする。例えば、人を鞭打つという行為において道徳的に重要で本質的な事項は「鞭打たれる人は痛みを感じる」ということである。「鞭打たれる人は白人であるか」「鞭打たれる人は黒人であるか」ということは、白人であろうが黒人であろうが鞭打たれれば等しく痛みを感じるという事実を踏まえれば、重要ではない。だから、「相手を鞭打つか、鞭打たないか」という判断を下す際には「鞭打たれた相手は痛みを感じる」という事項に基づいて考えるべきであり、「相手が白人であるか、黒人であるか」に基づいて考えるべきではない。…非理性的・非抽象的な思考をしてしまうと、人種などの非本質的な要素に注目して「白人を鞭打ってはならないが、黒人は鞭打ってよい」などの非合理的で差別的な判断を行ってしまうことになるが、理性的・抽象的に考えれば「問題となるのは何か」ということを偏見なく発見して合理的で公平な判断を行うことができるのである。

(2):科学的な思考方法が発達したり科学的知識が発達することは、物事の事実や因果関係についての正確な理解を抱くことを可能にする。中世のヨーロッパ人などは「疫病が蔓延する原因」についての科学的に正確な理解をしていなかったために「疫病が蔓延する原因は、魔女が呪いを放っているからだ」という誤った事実認識を抱いて、「魔女を殺せば、疫病が無くなる」という誤った因果関係を想定して、それに基づいて魔女狩りという非道徳的な行為をしてしまった。魔女狩りが行われた理由は、当時の人々が非道徳的であったからというよりも、当時の人々には科学的な思考方法や科学的知識が足りなかったからことに由来している。…科学的な思考方法や知識が蓄積されるにつれて、誤った事実認識を抱くことや因果関係の判断をすることは予防されるようになるのであり、それによって非道徳的な行為が行われることも予防される。

 

 …そして、啓蒙主義や科学革命を通じて理性的思考や科学的知識を身に付けるようになった人類は、個人としても道徳的な判断や行為を行えるようになっただけでなく、総体としての社会としても政策という形で道徳的な判断や行為を実践するようになった。疫病の蔓延は、理性的思考によって疫病の原因が発見された後に科学的知識やテクノロジーに基づいた様々な政策を実行することによって、対処されて予防されるようになった。シャーマーが「道徳の公衆衛生モデル」と呼んでいる議論によると、疫病にされたのと同様の対処がその他の様々な道徳問題にもされるべきであるし、また実際にされてきた、ということになる。つまり、様々な差別問題(人種差別や女性差別に同性愛者差別、また動物に対する差別)や、殺人や児童虐待などの暴力問題は、疫病と同じように誰かを理不尽に傷付けて不幸をもたらすために対処されるべき問題であるのだが、そもそも差別や暴力が非道徳的であるということ自体を発見するためには理性的思考が必要となり、そして社会科学の知識に基づくことによってそれらの非道徳的な差別や暴力を防ぐための様々な政策も実行できる、ということだ。

 

 さて、上述のように理性的思考や科学的知識の発達によって人類は個人としても社会としても道徳的に向上してきたとすれば、理性的思考や科学的知識を妨げてきた宗教は人類の道徳的向上にとっても邪魔な障害物である、ともシャーマーは主張している。

 一般的なイメージとしては宗教と道徳は強く結び付いているように思えるし、そもそもシャーマーの本の題名の『道徳の弧』も、黒人差別に反対してアメリカの公民権運動を牽引してきたマーティン・ルーサー・キング牧師の演説から引用されたものだ。また、反植民地運動で名高いマハトマ・ガンディーも宗教家である。…しかし、キングの行っていた反差別運動にせよガンディーの行っていた反植民地運動にせよ、それらの運動が20世紀以降に活発したことについて、宗教が特に貢献している訳ではない。キングにせよガンディーにせよ彼らの主張は根本的には啓蒙主義的な自然人権論に基づいているのであり、彼らの演説に含まれる宗教的な要素はレトリックやフレーバーに過ぎないのだ。

 そして、キング牧師やガンディーはむしろ例外なのであり、宗教的な権威や組織や人々は、これまでの歴史においても現在においても反差別運動や反暴力運動などの社会改良運動に対する障害として立ち塞がっている。黒人奴隷制や植民地を支持する人々はその根拠を聖書に見出してきて反対運動は神の意志に逆らっていると批判してきたし、現在でも同性愛者や中絶を望む女性を苦しめているのは宗教だ。…宗教的思考と科学的思考とを分ける要素は様々にあるが、その最たるものは、宗教的思考は権威主義的である一方で科学的思考は反権威主義的であるということだ。宗教的思考においては「黒人は白人よりも劣っている」「同性愛は罪である」「胎児にも魂がある」という"事実"が、「聖書にそう書いてあるから」「教会がそう言っているから」という根拠に基づいて主張される。"本当に"黒人は劣っていると言えるのか、"なぜ"同性愛は罪であるのかと疑問を持って確かめようとしても、それらの主張の最終的な正当化は教会や聖書に基づくのであり、教会や聖書自体に疑問を持つことは許されない。…他方で、"なぜ"そうであると言えるのかということや"本当に"そうであるのかということを確かめることは、科学的思考の本質である。科学的思考においてはどんな主張も疑問や反論の対象となるし、主流派の主張であっても、反証されたり問題となっている事柄についてより正確で妥当な説明が登場したりした場合には取り下げられることになる。…かくして、宗教的思考は基本的には現状維持をもたらすのであり、「黒人は白人よりも劣っている」や「同性愛は罪である」という主張が支配的である状況においては、それらの主張が取り下げられたり改められたりする見込みがない。一方で、物事に対して疑問を持つことを是とする科学的思考は現状の変革を求めるのであり、事実とは異なる主張を取り下げさせて「黒人と白人は平等である」や「同性愛は罪ではない」などの事実に基づいた新たな主張を登場させることになる。

 ガンディーやキング牧師に限らず、欧米の奴隷制反対運動や女性差別反対運動などについてもそれらの運動に加わった宗教家や宗派の人々のことを取り上げて、「宗教は人々の道徳的向上に貢献してきた、宗教がなければ奴隷制が撤廃されることも女性への差別がなくなることもなかった」と主張する人は多い。だが、『道徳の弧』では様々な社会改良運動が取り上げられながら、いずれの社会運動もまず最初にそれらの運動を始めた人々は宗教ではなく理性や科学や啓蒙の側に立つ世俗的な人々であったという歴史的事実が指摘されている。世俗的な人々による運動がある程度メジャーになって説得力を増してくると、宗教の側からも良心的な人々はその運動に加わるようになるが、頑固な宗教的権威は依然として立ち塞がり、奴隷制女性差別などをあの手この手で正当化しようとしてくる。…やがては奴隷制反対運動から女性差別反対運動が宗教的権威を打ち負かして勝利を収める訳だが、しばらく時が過ぎると、宗教の側に立つ人々は、大半の宗教家が奴隷制女性差別を正当化していたという事実を都合よく忘れてごく一部の比較的良心的な宗教家だけを取り上げて、「宗教がなければ奴隷制が撤廃されることも女性への差別がなくなることもなかった」と主張し始めるのだ。…周知の通り、現在でも宗教は同性愛者に対する差別を正当化しているが、現在進行している反同性愛運動がやがて勝利を収めてしばらく経った後には、宗教の側に立つ人々は例によって「宗教がなければ同性愛者への差別がなくなることもなかった」と言い出すことだろう、とシャーマーは皮肉っぽく予想している。

 

 もちろん、宗教の何から何までもが悪いということではなく、例えば現在の欧米のキリスト教は比較的平和な宗教となっており、過去のように戦争や虐殺をもたらすことはない。キリスト教会が慈善事業やボランティアを行うことで貧困層や弱者を助けていることなどはシャーマーも評価している。しかし、そもそもキリスト教が比較的平和になったこと自体が啓蒙主義によってもたらされた変化であるし、啓蒙主義を経ていないイスラム教は依然として野蛮であり様々な戦争や虐殺をもたらしている。結局、人々や社会の道徳的向上を牽引してきたのは常に科学や理性だったのであり、宗教はそれに逆らうか後追いをするかしかしてこなかった、というのがシャーマーの主張の概ねだ。

 

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