道徳的動物日記

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「ブルジョワ文化」が失われたことがアメリカの社会問題の原因?

www.philly.com

 今回紹介するのは、Philly.comというサイトに掲載された、ペンシルヴァニア大学のロースクールの教授であるエイミー・ワックス(Amy Wax)とサンディエゴ大学法学部の特別教授であるラリー・アレクサンダー(Larry Alexander)による「ブルジョワ文化の破綻の代償(Paying the price for breakdown of the country's bourgeois culture)」という記事。

 

 この記事の冒頭では、現代のアメリカに存在する様々な問題が羅列されている。仕事に就けるような資格を持っている人が少なすぎること、労働力年齢にある男性で実際に仕事に就いている人の割合は大恐慌時代並みの低水準であること、オピオイド系鎮痛剤中毒の蔓延、殺人や暴力犯罪の増加、婚姻していないカップルのもとに生まれたりシングルマザーによって育てられる子供の割合の増加、多くの大学生は仕事に就くための基本的なスキルも欠いていること、高校生の学力も二十ヶ国以上の他国に負けていること、などだ。

 そして、これらの問題が起こる原因はそれぞれに複雑で様々であるとはいえ、1960年代までは存在していたブルジョワ文化(bourgeois culture/資本主義文化)がアメリカから失われてしまったことが上述した全ての問題や他の問題にも関係している、というのが著者らの主張である。

 

 著者らによると、1960年代まではブルジョワ文化が人々が従うべきルールを道筋を指し示していた:子供ができるまえに結婚して、子供が生まれた後は子供のために結婚を持続させること。実りある仕事に就くために、勉強をして、努力して、怠惰を避けること。自分の雇い主や客のためにより一層働くこと。愛国者であること、善き隣人であること。公共の場では下品な言葉を使わないこと。権威を尊重すること。そして、薬物の乱用や犯罪を行わないようにすること、などだ。

 これらの文化的ルールは、1940年代後半から1960年代半ばまでのアメリカでは主流であった。この文化はほぼ普遍的に支持されていたし、どのような出身の人であってもこれらのルールに従っていた。ブルジョワ文化に人々が従っていたことが、当時における生産性や教育的成果、また社会の統一について主要な役割を担っていたのである。

 もちろん、全ての人々がこの文化に従っていた訳ではない。しかし、少なくとも、ブルジョワ文化が指し示すルールを公然と否定する人はほとんどいなかった。そして、当時には現在以上の人種差別や性差別が存在していたとはいえ、それらの差別はブルジョワ文化が主流であった時代にも徐々に弱まっていったのであり、差別反対とブルジョワ文化は矛盾するものではなかった。むしろ、ブルジョワ文化が失われたことの方が、不利な立場にある集団の社会的地位が向上することを妨げることになった。また、カップルが結婚して両親揃って子供を育てることを強調する文化が失われたことによって片親の数は急増したが、このことは、学校教育の場面で失敗して怠惰や薬物中毒や犯罪や貧困に陥る可能性が高い子供の数を増やすことになったのだ。

 

 ブルジョワ文化の破綻が始まったのは1960年代の後半からである。アメリカが豊かになったこと・ピルの普及・高等教育の拡大・ベトナム戦争を取り巻く疑念などの要因によって、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」に代表されるような反権威的で願望充足的で思春期的な理念が登場することになったのだが、それは、繁栄しており成熟した社会とは相反するものであった。また、この時代から、マーティン・ルーサー・キング牧師が行っていたような(肌の色/人種にこだわらない)カラーブラインドな目標を持つ市民権運動が退行して、人種や民族や性別や性的指向にこだわるアイデンティティ・ポリティクスが登場するようになった。…このような新たな時代において、大人たちは、礼儀正しく尊敬に値するような振る舞いをして大人らしい価値観を守るという役割を放棄するようになってしまった。また、この時代に登場したカウンターカルチャーは、(特に学者や作家や芸術家や俳優やジャーナリストなどの間において)アメリカを非難してアメリカが犯した犯罪を取り上げることが人としての美徳や教養を示すものであるという風にしてしまったのだ。

「全ての文化は平等ではない」と著者らは書く。「少なくとも、発達した経済において生産的になれるような状態に人々を整える、ということについては全ての文化は平等ではない」。つまり、たとえば平原のインディアンたちの文化は遊牧民狩猟社会のためにデザインされた文化であって、21世紀の先進国に適した文化ではないということだ。同様に、片親で子供を育てることも21世紀の先進国に適していないし、一部の白人の労働階級に見られる反社会的行動も、スラム街の黒人たちの「白人のように振る舞うこと」に反対するラップカルチャーも、一部の南米系移民たちの間にある反-同化主義的な考えも、いずれの文化もが現代の自由市場経済や民主主義には不適合であるし、アメリカ人たちの間の連帯感や相互の助け合いを破壊しているのである。そして、過去のアメリカに存在していたブルジョワ文化を復活させることができないとすれば、事態は更に悪化する可能性があるのだ。

 

 現代のアメリカにおいても未だにブルジョワ文化のルールに従って生きている人々の間では、そうでない人々の間に比べて、殺人・薬物中毒・貧困などの割合は低い。教育や収入の度合いに関わらず、である。数十年前までは一般的であった素朴な規範を人々が受け入れるだけで、(直ちに豊かになったりより良い仕事に就ける訳ではないとしても)地域や学校は安全になり、学生たちは建設的な雇用や民主主義的な政治参加に向けた教育をされることになって、人々の生活の質はぐっと向上するのだ。…しかし、ブルジョワ文化の復活を実現するためには、学者やメディアやハリウッドなど文化的影響力の高い存在がまず変わらなければならないのであり、ブルジョワ文化に対する多文化主義的な批判に反論して、弱者の味方であると誇らしげに自称する人々を打倒しなければならない…というのが著者らの結論である。

 

 …と、ここまでがこの記事の要約なのだが、この記事は公開された後にかなりの物議を醸したようで、著者の一人であるエイミー・ワックスが所属するペンシルヴァニア大学の学内紙サイトでは54人の学生・卒業生が署名した抗議文が公開されることになった。記事の公開日の数日後にシャーロッツビルで事件が起こったことを絡めながら、ワックスらの主張は白人至上主義を支持するヘイトスピーチであって人種差別主義的でヘテロ家父長主義的である、などなどと批判して、ペンシルヴァニア大学の教授陣にもワックスらを弾劾することを呼びかけたものである。それを受けて、ペンシルヴァニア大学法学部の教授陣33名が署名したワックスへの批判文も発表された。

 

 また、HeterodoxAcademyというサイトには、ワックスらの主張を支持する文章と批判する文章の両方が掲載された。

 

heterodoxacademy.org

 

 ワックスらの主張を支持する文章は社会心理学者のジョナサン・ハイト(Jonathan Hiadt)が書いたもの。ハイト自身が参加した近年の調査や社会学者かつ議員であったダニエル・パトリック・モイニハンによる黒人家庭の研究などを紹介しながら、「文化(特に婚姻や子育てに関する文化)が貧困の原因となる場合がある、という主張は事実に即している」「貧困を避けるということや現代のアメリカで成功するということにおいて、全ての文化は平等ではなく、ある文化は他の文化よりも優れている、と主張することに問題はない」という風に評価しながら、ワックスらの記事に対する白人至上主義という批判は不当である、議論の中身に対して反論するのでもなく(政治的に正しくないとされる)特定の主張を書いたことを理由にして同僚の教授を弾劾するのは学問の理念に反する、などと論じている。

 

heterodoxacademy.org

 一方、ワックスらに対する批判文に署名したペンシルヴァニア大学の法学部の教授であるジョナサン・クリック(Jonathan Klick)は、ワックスらの主張に反する経験的データやエビデンスを挙げながら、ワックスらの主張は裏付けに乏しく説得力に欠けるものだと論じている。