道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

ロブスターの福祉に配慮するのは感情的?

 

jp.reuters.com

 

 このニュースに対するネット上の様々な反応を見ての雑感。

 

 動物福祉運動や動物の権利運動に対しては批判が投げかけられることが多い。特によくあるのが「知能が人間に近いからという理由でイルカや類人猿の権利を主張して他の動物には配慮しないのは、人間中心主義的で傲慢だ」というものや、「犬や家畜やクマなどの哺乳類には配慮するのに虫や魚や爬虫類には配慮しないのは、共感できる対象や見た目が可愛い動物を優先してそうではない動物をないがしろにしているのであって、感情的で非論理的である」といったものだ。

 しかし、大概の場合、これらの批判は藁人形論法と言えるものである。動物の権利団体や運動を行なっている個人の多く、あるいは動物福祉や動物の権利の正当性を主張する理論のほとんどは、イルカや類人猿だけではなく他の動物の権利や道徳的地位も主張しているし、哺乳類や鳥類だけでなく魚類や爬虫類も配慮の対象としている。

 

 動物の生存権を主張し家畜飼育や狩猟なども(基本的には)否定する「動物の権利」の理論はともかく、家畜を飼育・屠殺したり野生動物を狩猟する際にはその対象となる動物が受ける苦痛やストレスをできる限り低くする、という「動物の福祉」の考え方は一般的にも受け入れられるようになっていると思える。特にスイスは動物福祉の観点からユダヤ教のコーシャやイスラム教のハラールに基づいた屠畜方法も規制しているようであるし、動物福祉に対する意識が高い国として昔から有名だ。

 そして、魚類や甲殻類、昆虫などのこれまでには「痛覚がない」とされてきた生物種に関する研究が深まり、彼らにも痛覚が存在するという事実(あるいは、痛覚が存在するかもしれないという可能性)を発見して、それに配慮する、というのも近年のトレンドだ。痛覚や意識の存在が未だに発見されていない(そして、今後発見される可能性もほぼないであろう)植物に対してはともかく、痛覚を持つ魚類や甲殻類などに対して哺乳類に対するのと同様の配慮を行うことは、論理的に一貫している。魚類や甲殻類は悲鳴を上げないために、彼らが苦しめられて殺害されることについての感情移入は他の動物が苦しめられて殺害されることについての感情移入よりもずっと低くなりがちだが、「魚類や甲殻類にも痛覚が存在する」という科学的知識に基づいて判断をすれば、他の動物に対してと同様の配慮が魚類や甲殻類にも必要である、という結論が導かれるのだ。要するに、「ロブスターの福祉に配慮をすべきである」という判断は、感情よりも理性や論理を優先した判断であると言えるだろう。

 

 というわけで、私としては、ロブスターの痛覚を考慮してロブスターの福祉に配慮した規制が定められることは、動物の権利運動や動物福祉運動に対して投げかけられる「人間に近い動物だけを優遇するから傲慢」あるいは「可愛い動物や共感できる動物だけを対象にしているから感情的で非論理的」といった批判に対する反証となっているように思える。

 今回のニュースに対する反応を見ていると、ロブスターの福祉に配慮することについて、一顧だにもせずに「アホらしい」とか「狂っている」と反応している人が散見される。感情的であるとして批判されるべきは、このような反応の方ではないだろうか。

 

 

魚は痛みを感じるか?

魚は痛みを感じるか?