道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「子供のワクチン接種を拒否することは、脱税に等しい罪である」 by アルベルト・ジュリビーニ

 

 久しぶりにオックスフォードのPractical Ethicsブログから、イタリアの倫理学者であるアルベルト・ジュリビーニ(Alberto Giubilini)の記事を訳して紹介。元記事の公開日は2017年10月31日。記事中に貼られている資料などへのリンクは割愛した。

 

blog.practicalethics.ox.ac.uk

「ワクチン接種を拒否することは脱税と同様だ」 by アルベルト・ジュリビーニ

 

 近年における麻疹の流行、および一部の国々で厳格なワクチン接種政策が導入されたことにより、ワクチン接種は最近数か月のメディアにおいてかなりの注目を集めている。この議論の最中、風変わりな事件がメディアで取り上げられた。報道によると、ミシガン州在住のある女性は、自分の息子にワクチンを接種させることを宗教的な理由に基づいて拒否したために、7日間の懲役刑に課されたのだ。この事件を報道する新聞の見出しは、(事実を書いているとはいえ)やや誤解を招きかねないようなものだった。たとえば、「ミシガン州にて、自分の息子にワクチンを打たせることを拒否した母親が懲役刑を課される」または「ミシガン州にて、自分の息子にワクチンを打たせなかった母親が投獄される」といったものだ。

 なぜこれらの見出しが誤解を招きかねないかというと、ミシガン州では自分の子供にワクチンを打たせなかったというだけで懲役刑が課されることがある、と読者に思わせてしまうからだ。これは、事実ではない。子供にワクチンを接種させることは米国では義務となっているが、それはあくまで、子供を託児所に入所させたり学校に入学させたりする際の必要条件としての義務ということだ。ワクチンを接種させたくない親たちには家庭でのホームスクールという選択肢が残っているし、その場合にはペナルティを受けることもない。さらに、(カリフォルニア・ミシシッピ・ウェストヴァージニアを除いた)大半の州では、各個人の哲学的・道徳的・宗教的ないずれかの理由(州によって異なる)に基づいてワクチン接種の義務を拒否することが認められている。ワクチン接種に対する「良心的拒否」とも呼ばれる制度だ。問題となっているミシガン州でも良心的拒否は認められているが、拒否を申請する親たちにはワクチン接種がもたらす利益について学ぶための教育セッションに参加することが要請される。つまり、自分の子供にワクチン接種をさせないことを求める書類を申請する権利が、問題となっている母親にはあったのだ。改めて強調しておくが、自分の子供にワクチンを打たせないという選択に罰が与えられることはない。では、問題となっている母親に懲役刑が課された理由は何だろうか?

 彼女が問われた罪とは、法廷侮辱罪である。息子の親権に関して離婚した元夫との間と合意の条件の一つとして、息子にワクチン接種をさせることが過去に裁判所命令として出されていたのだ。彼女が罰を受けた理由は、息子のワクチン接種を拒否したことそのものではなくて、裁判所命令に従わず元夫との合意を破ったことにある。要するに、彼女が破った合意事項が息子のワクチン接種に関する件であったこと自体は重要ではないのだ。他のものであっても、元夫との合意事項を破れば彼女は罪に問われるであろう。そのため、女性は自分の子供にワクチンを打たせなかったために懲役刑を課されたと書くことは、事実だけを見れば確かに正しいが、誤解を招きかねない書き方なのである。アメリカでは、ワクチン接種を拒否すること自体に対して、懲役やその他の法的な罰則が課されることはない。また、(アメリカや他の国々などで)ワクチン接種をしていない子供が託児所や学校に通うことが禁止されているのは、子供にワクチンを接種させないことを選択した親に対する罰則を意図している訳ではない。そうではなく、(医療上の理由でワクチンを接種することができない子供などの)他の子供たちを感染症から守るための安全対策なのである。

 しかしながら、上述したような誤解を招く見出しは、興味深いものである。なぜなら、子供に対してワクチンを接種しなかった親たちには(場合によっては投獄を含んだ)罰則が課せられるべきか、という問題を投げかけているからだ。以下では、この命題に対して賛成する理由と反対する理由をそれぞれ検討してみたい。ワクチン接種を拒否することは、「ワクチンを接種したくてもできない人や接種しても効果がない人の健康に対して深刻な脅威を与えるから」という理由とは異なる他の理由からも、法的処罰を与えられるべき行為であると見なされるかもしれない。ワクチンを接種させないことは処罰の対象であると見なされる理由は、自分の子供にワクチンを接種させない人々は「集団免疫など、共同体内の弱者を守る公益(public good, 公共の福祉)に対して、公平な寄与を行う」という義務を果たしていないことにあるかもしれない。集団免疫とは、人口のうちの大多数…多くの場合には 90%から95%…の人々がワクチンを接種しており、感染症が拡散する可能性が非常に低くなっている状況のことを指す。

 チャールズ・スタート大学やオックスフォード大学の同僚たちと共著した二つの論文にて、自分の子供に対するワクチン接種の免除が認められた親たちには、公益に対する寄与を行わったことについて社会に償うことが要求されるべきだ、と我々は論じた。具体的に言えば、自分たちによるワクチン接種の拒否が他の人々にもたらすリスク(各地域におけるワクチン接種率の割合から導かれる)に比例した金銭的寄与を行うことか、特定の疾病が治療されることを目標とする慈善団体の募金活動に参加するなど公衆衛生を改善するための行為をワクチン接種の代わりに行うことが、ワクチン接種を拒否した親たちに求められるべきだと我々は提案したのである。

 上述した二つの提案のどちらも、ワクチン接種を拒否した親たちを罰するためのものではない。どちらも、集団免疫のような公益に対する寄与を行ったことについて社会に対して償うための方法として提案されているのである。この議論は、軍隊に対する良心的拒否からの類推に基づいている。通常、国家の防衛に対する軍事的寄与を行うことを拒否した人々は、他の方法によって社会の維持に寄与することが求められる。しかしながら、新聞に書かれた物語が暗示しているように、ワクチン接種を拒否した親たちには補償行為を求めるだけでなく実際的な罰則が課されるべきではないか、と論じることもできるだろう。通常、法的な罰則とは罰金刑か懲役刑のどちらかである。

 では、自分の子供に対するワクチン接種を拒否した親たちは罰金刑か(短期間の)懲役刑によって罰されるべきだろうか?実のところ、一部の国々ではワクチン接種の拒否に対する法的な処罰が既に実施されている。たとえば、イタリアでは学齢期の子供に対する予防接種を拒否した親たちには罰金刑が課される。子供に対するワクチン接種を拒否した親を罰すること、つまりワクチン拒否を犯罪と見なすことを倫理的に正当化する根拠とは何であるだろうか?

 自分の子供にワクチンを接種させることは、税金を払うことと同じようなことである。私たちには社会の維持と公益(公衆衛生や国家防衛など)に寄与する道徳的・法的な義務があるために、納税することについての道徳的・法的な義務が私たちにはあるのである。納税が道徳的な義務であるのは、1)納税は各個人にとっては比較的少ないコストで行える、2)納税が集合的に行われたら、大きなベネフィットが社会に与えられる、3)共同体に大きなベネフィットをもたらす物事に対して全ての人が寄与を行うことは公正である、からだ。また、社会を維持して機能させるには納税が不可欠であるために、そして社会の維持と機能に対する寄与を全ての人に法的に要求することは公正であるから、納税は法的な義務でもある。言い換えれば、社会の機能と個人の福祉のどちらにとっても不可欠である公益の維持に納税は寄与するのだ。

 納税と同じように、私たちには自分の子供にワクチンを接種させる道徳的義務がある。ワクチン接種は、集団免疫のような重要な公益に小さなコストで寄与する行為であるのだ。つまり、自分の子供にワクチンを接種させることと納税は同じ理由で道徳的義務である。そして、自分の子供にワクチンを接種させることは納税と全く同じ理由で法的義務ともされるべきだ。集合的なワクチン接種は集団免疫のように社会の機能と個人の福祉のどちらにとっても不可欠である公益を守るのであり、そのように重要な公益に対して寄与を行うことを全ての人々に法的に求めることは公正である。

 こうしてみると、納税とワクチン接種は、社会の機能と個人の福祉にとってそれほど重要でもない公益への寄与とは異なっている。たとえば、花火大会は公益であるが、花火大会に対して金銭的寄与を行う道徳的義務は存在しないし、そのため法的な義務も存在するべきではない。しかし、納税とワクチン接種によって守られる公益の重要性は、個々人がその公益に寄与を行うことを法的に要求することを正当化するのに充分である。したがって、脱税が罰金や場合によっては懲役による処罰の対象となる犯罪だと見なされているのと全く同じように、脱税に関して用いられる原則をワクチン拒否にも適用して、ワクチン拒否は一定程度までの処罰の対象となる犯罪とされるべきだ、と主張することができるかもしれない。

 ある公益に対して寄与をしないことを正当化する際には「個人の自律(individual autonomy)」が持ち出されることが多々あるが、通常、公正な量の納税を拒否することについて「個人の自律」は妥当な理由であるとは見なされない。そして、子供にワクチンを接種させることを拒否することについても、同様の考慮を当てはめるべきだ。なぜなら、納税とワクチン接種はどちらも法的義務とされるべきであり、そして、ただ個人の自律を訴えることによって法的義務を免除されることはできないのだ。もしそんなことが可能なら、法的義務なんてものは成立しなくなってしまう。

 また、公益を享受しているが税金は払わないフリーライダーが少数いたとしても社会は機能するのと同じように、充分な数の人々がワクチンを接種すれば一部の少数の人々がワクチンを接種しなくても集団免疫は機能するかもしれない。だが、前者の事実は、公正な量の納税から一部の人を免除する理由になるとは見なされない。そして、子供にワクチンを接種させることを拒否することについても、同様の考慮を当てはめるべきなのだ。

 最後に、納税に対する「良心的拒否」は法的に認められていない。たとえば、私が自分の国の軍事政策に同意していないとしても、そのことは納税を拒否する理由にはならない。同様に、ある人が倫理的または宗教的にワクチンに反対しているからといって、それだけを理由にして自分の子どもにワクチンを接種させることを拒否することが認められるべきではない。納税に対する良心的拒否は法的に認められるべきだ(したがって、ワクチン接種に対する良心的拒否も認められるべきだ)と主張する人もいるかもしれないが、彼はその主張を正当化しなければならない。そして、上述したように、個人の自律に訴えるだけでは脱税やワクチン拒否を正当化するのに充分な理由にはならないのである。

 つまり、ワクチン接種の拒否を脱税と同様に扱い、法律による処罰の対象である犯罪として扱うことには、もっともな理由があるのだ。アメリカの法律では、「いかなる課税または税金の支払いを回避または却下しようと意図的に試みる者は(…中略…)法律によって定められた他の罰則に加えて、重罪を犯したものとして有罪判決を受けるほか、 10万ドル以下(企業の場合には50万ドル以下)の罰金または5年以下の懲役、またはその両方が課され、加えて起訴の費用が請求される」となっている。自分の子供にワクチンを接種させないことについて、同じような罰則…少なくとも罰金が課されるべきでない理由はない。脱税とワクチン拒否のどちらにおいても、それを行う人は公益に対して意義のある寄与を行うという義務に失敗しているからだ。実際、オーストラリアでは自分の子供にワクチンを打たせない人に対する金銭的なペナルティを既に実施している。罰金は課さないが、児童手当の支給が停止されるのだ。このことは、多くの点で罰金に相当している 。

 ワクチン接種は子供に対しても親に対しても大きなコストがかかるから、ワクチン接種は法的に要求されるべきではない、と反論することはできるかもしれない。医者に赴くこと、注射の際に痛みを感じること、または副作用の(ごく僅かな)リスクがもたらされること、などなどのコストだ。現時点での最良の科学的証拠に基づいて考えれば、ワクチン接種の安全面に対する懸念には正当性がなく、公共政策を検討するうえで考慮に入れるべきものではない。何度も繰り返し証明されているように、ワクチンの副作用のリスクは非常に少なく、副作用が起こったとしてもその程度は非常に軽く、そしてワクチンが個々人にもたらすベネフィットはワクチン接種のリスクを大幅に上回っているのだ。例えば、ワクチン接種で起こり得る最も重篤な副作用であるアナフィラキシー反応は、ワクチン接種をした100万人につき1人よりも少ない割合でしか起こらない。一方で、麻疹を患った子供は1000人につき2人の割合で死亡し、100人につき1人が脳炎を発症する。また、20人につき1人は麻疹の合併症として肺炎を引き起こすが、肺炎は若い子供たちに麻疹が死亡をもたらす最大の原因である。医者に赴かなければならないことや注射の際のごく短時間の痛みなどはかなり小さなコストであるように思えるため、ワクチン接種を拒否することに対して罰を与えないことを正当化する理由にはならない。税金を払うという行為も一定のコストを人々に課すが、それでも、人々は公益に寄与するために一定程度の妥当な量の税金を支払わなければならない。納税に伴うコストに対するのと同様の考慮が、ワクチン接種に伴うコストにも当てはめられるべきだ。

 自分の子供にワクチンを接種させるかしないかは個人的な選択の範囲に留まる事柄ではないのであり、親の自主性に任せるべき問題ではない。自分の子供にワクチンを打たせることは市民的な義務であり、共同体に対して私たちが負っている責任の一種なのだ。そのため、ワクチン接種は道徳的義務であり、そして私が論じてきたように、法的義務ともされるべきだ。集団免疫が既に存在しており、個々人のワクチン接種が集団免疫に対して寄与する度合いが無視できるほど小さな場合でも、ワクチン接種は義務なのである。子供に対してワクチンを打たせない親たちは、他者のために自分が僅かに犠牲になる気持ちがないのであって、共同体に対する分別をわきまえていない。したがって、脱税者が処罰されるのと全く同様に、ワクチン接種を拒否する親たちも、少なくとも実質的な罰金によって処罰されるべきなのだ。

 

(脱税が特に悪質である場合、脱税者は投獄される。ワクチン接種の拒否に関しては、一般的に、一人がワクチン接種を拒否しても社会に対して致命的な影響を生じさせることはない。しかし、疾病の予期せぬ流行が起こった場合には、ワクチンを接種していない人々を隔離しなければならない時もあるし、それは一種の禁固である。幸いなことに、そのような疾病の流行は西洋では近年起こっていない)