道徳的動物日記

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「動物の権利」と「人権」は対立する?

 

togetter.com

 

 くどいようだが、この件に関するはてなTwitterなどでの反応を眺めての雑感。

 

 今回の件に限らず、動物の権利運動に対する批判としてちらほら見られるのが、「動物に権利を与えると人権という概念の理念が損なわれる」あるいは「動物に対して道徳的配慮を行うようになると、人間全体に対する道徳的配慮が後退する」といったものだ。

 だが、このような批判は理論的にも事実的・歴史的にも間違っているように思われる。

 

 理論的に言えば、動物の権利運動のスタンダードなロジックはその他の権利運動・反差別運動とほぼ同じものであるといえる。たとえば反レイシズム運動が批判の対象とする「人種差別」とは、「白人の利益を“白人だから”という理由で 優先して、黒人には“黒人だから”という理由で配慮しない」などのことであると表現できる。フェミニズム運動が批判の対象とする「性差別」とは、「男性の利益を“男性だから”という理由で 優先して、女性には“女性だから”という理由で配慮しない」ことであると表現できる。そして、動物の権利運動が批判の対象とする「種差別」とは、「人間の利益を“人間だから”という理由で優先して、動物には“動物だから”という理由で配慮しない」ことを指す。

 動物の権利運動に対して、「いいや、人間は“人間である”という理由で配慮の対象とされるのであり、“人間である”という理由で権利を持っているのだ」と言っても、反論として成立しない。それは、反レイシズム運動に対して「いいや、白人は“白人である”という理由で配慮の対象とされるのであり、“白人である”という理由で権利を持っているのだ」と言っても反論にならないことや、フェミニズム運動に対して「いいや、男性は“男性である”という理由で配慮の対象とされるのであり、“男性である”という理由で権利を持っているのだ」 と言っても反論にならないことと同じだ。

 それに対して、「“なぜ“人間は権利を持っていて動物は権利を持たないか」ということを説明することによって反論しようとしてくるかもしれない。だがDNAを持ち出しても同語反復となるし、知能や言語能力、権利主張能力や契約能力などを持ち出すと限界事例の人たち(乳幼児や重度の精神障碍者など)にも人権がないことになってしまう。「人間は肉を食べるように進化した」などと言い出しても自然主義的誤謬だし、「差別かもしれないがそれの何が悪いんだ、私は差別を肯定する」などと開き直ってもそれはただの思考停止だ。結局、この問題についてまともに理論的に考える気のある人なら、動物にも人間と同様に何らかの権利(または、道徳的地位)を認めざるを得なくなるだろう。「じゃあ参政権まで動物に与えるのか」とか「じゃあ細菌や植物にも権利を認めなくてはならないのか」とか言い出す人も出てくるだろうが、そのテの反論に対する答えはこのブログの「動物倫理」タグの記事でいくらでも書いたり訳したりしてきた。

・・・ともかく、権利という概念や「なぜ人間は道徳的配慮の対象とされるべきなのか?」ということについて考えていけば、それを動物にも拡大しないことを正当化するのはかなり難しいということが明白になる。また、「理屈に筋が通っていなかろうが、せっかく現に“人間だから”という理由で全ての人間に権利が与えられているのだから、そこに動物を持ち込んで人権という概念を貶めるべきでない」というのも筋が悪い。フェミニズム運動に対しては「理屈に筋が通っていなかろうが、せっかく現に“男性だから”という理由で全ての男性に権利が与えられているのだから、そこに女性を持ち込んで権利という概念を貶めるべきでない」と思っていた男性がいっぱいいただろうし、反レイシズム運動に対しては「理屈に筋が通っていなかろうが、せっかく現に“白人だから”という理由で全ての白人に権利が与えられているのだから、そこに黒人を持ち込んで権利という概念を貶めるべきでない」と思っていた白人がいっぱいいただろう。

 懸念事項としては、動物の道徳的地位を主張する理論のなかでも最も代表的なピーター・シンガーの理論には障碍者差別の要素があるとの批判がなされているということと、マイノリティの文化を弾圧するために動物の権利が持ち出される場合があるということだろうか。しかし、前者については(そもそもシンガーの理論は障碍者差別であるという批判が妥当であるかどうかは置いておいても)、動物の道徳的地位と障碍者の道徳的地位を結び付けたり包摂して論じたりする理論も多数存在する(日本語で読めるものとしてはマーサ・ヌスバウムの著書『正義のフロンティア: 障碍者・外国人・動物という境界を越えて』などがある)。後者についても、多文化主義の代表的な論客であるウィル・キムリッカは著書『人と動物の政治共同体-「動物の権利」の政治理論 』にて動物の権利についても主張しているし、女性の権利を初めとした他の人権であってもマイノリティの文化を弾圧するために持ち出される場合はある、ということも指摘している。

 

  また、歴史的・事実的な問題としても、動物の権利運動が他の反差別運動・権利運動を後退させたり、ある国で動物の権利なり道徳的地位なりが制度的に認められることがマイノリティの人権を損なう、ということはないように思われる。

 ナチス政権下における動物愛護政策などの例外があるとはいえ、基本的には、マイノリティへの人権拡大と動物への権利や保護の拡大は歩調を合わせていることの方が多い。たとえば、スティーブン・ピンカーの著書『暴力の人類史』では、アフリカ系アメリカ人などの人種マイノリティ・女性・児童・同性愛者などのマイノリティの権利が特に20世紀後半に各国で認められるようになり、それらのマイノリティに対する暴力が減少していったことを「権利革命」現象と称して論じており、そして動物保護運動や動物の権利運動も他のマイノリティの権利に関する運動と同時並行的に起こったことが記されている。また、たとえばアメリカの最初期の動物の権利団体の創始者たちは奴隷解放運動や女性の権利運動にも関わっていたし、動物の権利団体から派生する形で児童の権利団体が創設された。現代においても、欧州やアメリカの都市部など、基本的にはリベラルでマイノリティの権利保護に対する意識が高い地域の方が動物保護政策や動物の権利運動に対する意識も高いといえる(スイスでロブスターの福祉に関する法律が制定されたことに対して「行き過ぎたポリコレ」「ポリコレの行き着く先だ」という反応が散見されたが、ポリティカル・コレクトネスとは基本的にはマイノリティの保護・権利擁護を目指すものであることをふまえれば、このような反応自体が動物の権利概念と人権概念との親和性を示しているともいえるだろう)。シンガーは『輪の拡大』にて個人や社会が道徳について理性的に取り組めば取り組むほど道徳的配慮の対象はマイノリティや動物へと拡大していくと説いたが、『暴力の人類史』やマイケル・シャーマーの『道徳の弧』は歴史的事実を記しながらシンガーの主張を立証した本であると見なすことができる。

 上記したようなことをふまえれば、「動物の権利を支持すると、人間のマイノリティの権利が後退する」といったゼロサムゲーム的な社会運動観や権利観は持つ必要がないであろうと思われる。

 

 私はいわゆるインターセクショナリティ理論は嫌いであるし、「ある特定のマイノリティの権利を支持していたり、ある特定の社会運動に取り組んでいる人は、その他のマイノリティの権利や社会運動も積極的に支持しなければならない」というタイプの言説は苦手である。ある人がどういう問題に対して意識的・積極的に取り組むかというのはその人の個人的な生い立ちや人生経験や興味関心などに左右されるものだし、全ての問題に関心を持って積極的に取り組まなければ本物の左派/フェミニストではない、というタイプの主張は非生産的な気がする。

 しかし、少なくとも理論的に見れば、動物の権利や道徳的地位を積極的に否定したり消極的にも肯定しないことは、マイノリティの権利を支持したり左派でありたいと思っている人々にとってはまずいことであると思う。種差別に対する批判はロジックのレベルでは性差別や人種差別に対する批判と同型であるし、動物の権利運動に対して投げかけられる批判や非難は多かれ少なかれ人間のマイノリティの権利運動に対しても転用できるものだからだ。

 

 最後に、以前にも紹介した、動物の権利の支持者でもありフェミニストであるローリー・グルーエンがアメリカでの黒人男性サミュエル・デュボースの射殺事件とアフリカでのライオン「セシル」射殺事件について書いた文章を抜粋して紹介しておこう。

 

 …ショックや悲しみに恐怖の感情がメディアで表現されたのとほぼ同時に、それらの感情に対する批判が登場した。その批判はいつも通りのものだった:白人は黒人よりもライオンのことを気にかける、人々は黒人男性よりも黒人女性の方を気にかける、家畜よりも野生動物の方を気にかける、貧困や暴力や差別による日々の苦しみよりも殺人の方を気にかける、などなど。

 

「ある一つの不正義に対して抗議することは、その不正義を他の不正義に比べて特別扱いすることだ」というゼロサムゲーム的な考え方について、私は常々疑い深く思っている。これは、社会を変革するための努力を貶める、手軽で的外れな言説だ。世の中を良くしようと戦っている人たち同士が争っていたら、誰が得するだろうか?自分自身が保持している人種的な特権や性的な特権を手放す気の無い、世の中を理想的でない状態のままにしていたいと思っている人が得をするのだ。…

 

  

動物倫理入門

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