出勤前に取り急ぎ、昨日の記事の続き。
「動物はおかずだデモ」はデモの名前からして「動物はごはんじゃないデモ」のカウンターである。また、単なるカウンターではなく、「動物はごはんじゃない」デモに対するパロディや皮肉を意識しているようだ。それは、以下のようにふざけたトーンやダジャレなどが声明文に混ざっていることから判断できる。
「あい肉、そうは肉問屋がおろさない。 」
「罪を肉んで人を肉まず! けなしてはならない。中指を立ててはならない。けなす口があるなら、肉を頬張れ! 中指ではなくフランクフルトを立てよ! 右の肉を叩かれたら左の肉を出せ! 肉に勝利を!我々は心から、肉を焼く熱と光を願求禮讃するものである」
「動物はおかずだ」デモに関しては元の記事に対するTwitterやはてなブックマークのコメントを見ると賛否両論のようであり、苦言を呈している人も多くいる一方で、評価している人も多数いる。表会見を見てみると、やはり、「動物はおかずだ」デモのジョークやパロディの側面を評価しているようだ。
特にインターネットいう場所では真面目な道徳的・政治的主張や問題提起は左右問わず敬遠されたり批判されたりしやすい一方で、ジョークやパロディの形でされる主張は肯定的な評価を受けやすい。ジョークやパロディは物事を相対化していて一歩引いたメタ的な立場から見ているように受け取られて、知的でスマートなように思われる。
しかし、少数派が行う権利運動や社会運動に対して多数派がパロディやジョークを作成してその運動の問題提起を無効化しようとする、という反応は歴史を通じて見られてきたことだ。例えば、19世紀の欧米で行われてきた奴隷制廃止運動に対しても風刺画が作成されてきた。
上記のリンクに掲載されている風刺画も、19世紀当時の人々からすればパロディやジョークであり、奴隷制廃止運動を相対化したスマートで知的な答えとしてもてはやされていたかもしれない。だが、現代の社会に生きる我々からすれば、上記のような風刺はスマートでも相対化でもなんでもなく、既得権を脅かされていたマジョリティの醜悪な自己防衛反応に過ぎないことが理解できる。
動物の権利運動にするパロディやジョーク、それに対する肯定的反応も、将来的には上記の風刺画と同じようなものと見なされるかもしれない。