道徳的動物日記

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読書メモ:『生きづらい明治社会』、余談

 

 会社での労働やお金稼ぎ、ネオリベ的な言説などなどに嫌気が差してしまい、そういうのを批判してくれそうな本をまとめて図書館で借りて読んだ。その中でも特に気に入った本についてメモを残しておく。

 

 

 

『生きづらい明治社会-不安と競争の時代』は、弱者に対する蔑視や自己責任論、お金持ちになるために他人を蹴落としたり倫理をかなぐり捨てても立身出世しようとする人々など、現代にも存在する社会問題が明治の頃からあったことを示す本。豊富な実例が示されている。

 著者の松沢さん自身が自己責任論や競争社会を嫌がっているというのもあって、それらの犠牲になっていた弱者に対して優しい筆致で書かれている。私も共感して読むことができた。特に気に入ったのは以下の部分。

 

たしかに大倉喜八郎は、努力をして、果敢に行動し、その結果成功を掴んだのでしょう。しかし私は、何もそこまでしなくとも、人生なんとかならないものかと思うのです。

 

私がこの本のなかでこれから述べることは、不安の中を生きた明治時代の人たちは、ある種の「わな」にはまってしまったということです。人は不安だとついついやたらとがんばったりしてしまいます。みんなが不安だとみんながやたらとがんばりだすので、取り残されるんじゃないかと不安になり、ますますがんばってしまったりします。これは、実は「わな」です。なぜなら、世の中は努力すればかならず報われるようにはできていないからです。

 

 私自身も、著者と同じような感性を持っていると思う。がんばるのは嫌いだし、あくせく競争して勝ち抜くことを目指すのが当たり前みたいな価値観や人生観にはついていけない。

 ここからは本の内容とはあまり関係のない余談になるが、10年弱前に大学生をしていた頃は周りの同級生も大なり小なり似たような考えを抱いていたし、はてなブログなんかを読んでも競争社会やネオリベラリズムを批判する論調の記事が多かったものだが、昨今ではなりをひそめてしまったような感じがある。「自分はどうやって稼いできたか」とか「これからの時代で生き残っていくにはどうすればいいか」みたいなキャリアやお金に関する記事がトップに来ることが多くなっており、世知辛いなあ、という感じがする。

 また、東京に来て会社で働くようになると、同僚もそのほかの場で知り合う人もみんなやたらとがんばっているので、ますます世間と自分との乖離を感じるようになった。結婚していたり子供がいたりする人が家族を養うために必死で働くことはもちろん、若い人たちも残業や資格勉強などで余裕なくあくせくして生きている。私の世代はちょうど就活の直前にリーマンショックがあって、つまりそれ以前まではわりと好景気だったのでのんびり楽観的に生きていてリーマンショック後にもその価値観を切り替えられらなかった人が多い感じなのだが、私の世代から5歳も年下になると大学入学前から不況や競争や弱肉強食が当たり前のようであり、話していると世界観がだいぶ違うなと思わされる(関西と関東との違いもあるかもしれないが)。

 稼ぎまくって起業しまくって投資しまくって、という社長タイプの人とももちろん話が合うわけもない。

 ともかく、それぞれに事情があるとはいえ上述のような人がやたらとがんばるせいで、人並みに生きるために必要とされる努力の量の基準値が引き上げられてしまい、がんばらない私が割を食って低収入で生きる羽目になるのだ。勘弁してほしい。