道徳的動物日記

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読書メモ:『ポジティブ病の国、アメリカ』

 

ポジティブ病の国、アメリカ

ポジティブ病の国、アメリカ

 

 

 内容はタイトル通り、アメリカに蔓延するポジティブ・シンキングや楽観主義を批判する本。

 著者によるポジティブ・シンキングの批判点は「ポジティブ・シンキングはカルト化しやすい」ということと「ポジティブ・シンキング野放図な資本主義を肯定して、経営者や資本家にとって都合よく、過剰労働や経済的不平等を助長する考え方だ」という二点。

 

 ポジティブ・シンキングのカルト化とは、「笑っていればガンが治癒する」式な似非科学やエセ医療方法、また悪名高い『引き寄せの法則』や「コーチング」など。

 エセ医療が有害なのは私も同感だが、引き寄せの法則とかコーチングなんかはやりたい奴には好きにやらせてやってもいいじゃないか、という気がする。だが著者のエーレンライクは昔ながらの偏屈な知識人というタイプの人であるらしく、「引き寄せの法則」まわりに漂う「おためごかし」感をかなり嫌っているようで、徹底的に批判する。

 最近、エーレンライクは「こんまり」への嫌悪感を表明したツイートをしたために猛批判を受けた*1Twitterなどで事件に対する感想を調べてみると「リベラル派として優れた著作を残してきたエーレンライクが人種差別的なツイートをするなんてショックだ」という感想が多々あったが、『ポジティブ病の国、アメリカ』を読んでいると「そりゃエーレンライクはこんまりも嫌いだろうなあ」という気はしてくる(「片付けをしたら人生が変わる」なんてのもポジティブ・カルトの一種と言えなくもないだろう)。近年では知識人と大衆との間の垣根が低くなっているために、大衆の間での反知性的なくだらないブームを肯定したり乗っかったりする知識人も増えてきているが、エーレンライクのような偏屈さを持ってブームに水を差したり否定したりすることが、本来の知識人に求められる役割なのだ。知識人であるならタピオカを食べてはいけないし、Netflixの番組はこき下ろすべきである。

 

 従業員に過剰労働をさせたり、低賃金やリストラをごまかす「おためごかし」としても、ポジティブ・シンキングは用いられる。『ポジティブ病の国、アメリカ』の原著は2009年に出版されたが、それから10年後の現在となっても、シリコン・バレーやそれに憧れる日米の有象無象のベンチャー企業では「ポジティブ・シンキングによる、不当な労働環境や賃金のごまかし」という現象は増加し続けているように思われる。

 たとえば、「モチベーション」という言葉はおためごかしの一環として使用されやすい。日本ではモチベーションアップ株式会社の悪名高いポスターのおかげで「モチベーション」という単語もすっかりイメージが悪くなったが、元はと言えばアメリカ発祥であったようだ*2。なぜ労働現場におけるポジティブ・シンキングが不当な過剰労働につながるかというと「自分を信じて頑張ればもっと成果が出せる!」「仕事が楽しめないのは、自分のなかのネガティブな考え方を追い払えていないからだ!」というタイプの精神論を招き寄せてしまうからである。また、ビジネスにおけるポジティブ・シンキングは『チーズはどこに消えた?』などの自己啓発本自己啓発セミナーを介してアムウェイなどのカルトに吸い寄せられていく。

 近年の映画『ザ・サークル』では、シリコンバレーの企業ではいかにポジティブ・シンキングが違法行為や不当労働をごまかすお為ごかしとて使われているかがたっぷり描かれていた(映画自体はつまらないけど)*3。私自身の経験や周りの人の経験を見聞した限りでも、外資系やベンチャー系の企業のカルチャーは「ごまかされてるなあ」と思うことが多々ある。労働者の立場としては、常にネガティヴ・シンキングをして会社や上司の言葉の裏を疑ってかかるくらいが自己防衛として適しているのだろう。

 

 なお、この本の6章では主にマーティン・セリグマンが槍玉に挙げられて、ポジティブ心理学が徹底的に批判される*4。しかし、この章でのエーレンライクの論旨にはとうてい賛同できなかった。

 エーレンライクによるポジティブ心理学批判の要点は、「ポジティブ心理学は幸福の要因として個人レベルの習慣や考え方や気質ばかりを強調して、環境が幸福に与える影響を低く見積もる。そのために、経済格差や差別問題などの社会問題が人々の幸福を減らしていることを看過してしまう。自己責任論的で現状維持的な主張だ」と言うもの。しかし、これはいかにも左翼知識人的な、何の役にも立たない不毛な批判であると思う。

 まず、科学的に研究した結果「環境よりも個人差の方が幸福に与える影響が大きい」と言う結論が出たんだから、それは事実として認めなければならない(エーレンライクはポジティブ心理学が「科学的」「客観性」を目指すことに対しても皮肉を書いているが、科学性や客観性という単語は疑って批判するというのもダメなタイプの知識人にありがちだ)。「ポジティブ心理学は"結婚した方が人は幸せになる"など"宗教を信じている方が人は幸せになる"などの、保守的で右派的な価値観を肯定する結論を出すことが多い」というタイプの批判も行なっているが、これも事実としてそうなんだったら仕方がないだろう(そもそも、事実として人を幸福にする価値観であるからこそ、長く社会に残ってきた価値観となった、とも考えられる)。

 また、社会環境を変えたくても個人レベルの努力には限界があるし、すぐに変えられる訳でもない。不当な経済格差や差別問題を解決するという努力をすることと、個人の習慣や考え方を変えて自分の幸福度を上げようとすることは、両立するだろう。現状の問題に対処する考え方に対して「現状維持だ」と批判するのは不毛もいいところだ。現実性のない革命的な考え方ばかりを肯定して、現実に対処するための漸進的な考え方を否定するというのは、ほんと左翼的知識人にありがちなパターンである*5

 …という訳で、『ポジティブ病の国、アメリカ』は良くも悪くも、偏屈でお高くとまった知識人による社会批評本の典型といえる。知識人が大衆に媚びる最近の日本では「偏屈でお高くとまった知識人」自体が絶滅しかねないので、こういう本も珍しくなっていくかもしれない。

 

*1:

headlines.yahoo.co.jp

*2:

matomame.jp

*3:

gaga.ne.jp

*4:

 

ポジティブ心理学の挑戦 “幸福

ポジティブ心理学の挑戦 “幸福"から“持続的幸福"へ

 

 

*5:「現状を肯定するからダメ」というタイプの批判は「効果的利他主義」に対してもよく寄せられるものだ。

davitrice.hatenadiary.jp