道徳的動物日記

『21世紀の道徳』発売中です。amzn.asia/d/1QVJJSj

読書メモ:『資本主義が嫌いな人のための経済学』など

 

私たちはなぜ働くのか マルクスと考える資本と労働の経済学

私たちはなぜ働くのか マルクスと考える資本と労働の経済学

 

 

「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学

「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学

 

 

 

 半月ほど前になるが、資本主義やネオリベラリズムを批判するタイプの書籍をまとめて読んでいたタイミングがあった。

『私たちはなぜ働くのか マルクスと考える資本と労働の経済学』は、タイトル通り、マルクス主義における労働についての考え方を解説した本。タイトルから期待したほど「私たちはなぜ働くのか」というテーマについて面白い答えが得られた訳ではなかったが、まあ哲学の解説書としてはよかった。『「自己責任論」をのりこえる』は、これもタイトル通り、イラク日本人人質事件や貧困バッシングにあらわれるような、世間に蔓延する自己責任論を批判する本。

 私自身、俗流の自己責任論は視野が狭く浅はかな考え方であると思うし、根拠も薄弱で規範的にも到底認められる訳ではないと思う。なので、『「自己責任論」をのりこえる』で主張されていることにも大体は同意できた…のだが、単純に読んでいてつまらなく、虚しくすらあった。おそらく、この本を手に取る人のほとんど大半はこの本を読む前から自己責任論に対して批判的であるだろうし、この本を読むことで自分の意見を補強したり思想的な裏付けを得るなどのことはあっても、それまで知らなかったような新鮮な考え方や異なる意見を知ることはほとんどないだろう。そして、自己責任論に批判的でない人の多くはこの本を手に取らないだろうし、そもそもそういうタイプの読者に向けて書かれているような本でもなかった。要するに、自己責任論に賛同的であるか中立的であるような人の意見を変えさせられるほどの強度を持たない、同じような意見や価値観を持っている人同士でのパンフレット的な本に思えたのだ。しかし、世の中にはそういう本がごまんとあるし、そのような本の大半に比べたら学術的にもしっかり丁寧に誠実に書かれている本ではあると思うので、批判するのも酷かもしれない*1

 まあともかく、上記のような本を読んでいてもイマイチ物足りなく不満に思っていたところで、ジョセフ・ヒースの『資本主義が嫌いな人のための経済学』を再読すると、かなり面白かった。

 

 

資本主義が嫌いな人のための経済学

資本主義が嫌いな人のための経済学

 

 

『資本主義が嫌いな人のための経済学』の良いところは、この本が「同じような意見や価値観を持っている人同士でのパンフレット的な本」とは正反対である、というところだ。

 まず、著者は経済学に関する様々な誤謬を右派と左派の二つに分ける。そして、本の前半では右派の間で見受けられる誤謬(「自由市場は全てを解決する」「反グローバリゼーション」「自己責任論」など)に反駁して、本の後半では左派の間で見受けられる誤謬(「公正価格を実現するための価格操作」「最低賃金の上昇」「レベリング・ダウンによる格差是正」など)に反駁する、という構成を取っている。つまり、右派か左派(または、自由主義者社会主義者)のいずれの読者にとっても、半分ほどの内容には気分良く賛成できる一方で、半分ほどの内容には苦々しい抵抗感を抱かざるを得ない。そのおかげで、大半の人にとって、自分がこれまで知らなかった考え方に出会ったり自分の考えを改める必要に迫らされる著作になっていると言える。

 各種の誤謬に対する著者の反駁はかなり念入りでねちっこいが、統計やデータはほとんど持ち出さず論理の矛盾を鋭く指摘して本質を抉るタイプの論じ方をしてくれるので、知的な快感が得られる。ある意味、哲学の本道を往くタイプの著作と言えるだろう。

 

 先ほどの自己責任論の話に戻すと、自己責任論が批判されるべき考え方であるのは当たり前であって、それを単に批判する本は必要なのかもしれないが読んでいて面白くはない、ということだ。例えば、自己責任論が発生してしまう心理学的・社会学的メカニズムを明らかにするなど、単に批判するだけではなくて物事の背景を分析するものであればより面白くなると思う。

 さらにヒースの本に話を戻すと、第5章の「すべてにおいて競争力がない:なぜ国際競争力は重要ではないのか」(右派による反グローバリゼーションの議論に反駁する章)と第10章の「同一賃金:なぜあらゆる面で残念な仕事がなくてはいけないのか」(左派による賃金平等論や最低賃金上昇論に反駁する章)が特に白眉であるように感じられた。反グローバリゼーション論も最低賃金上昇論のどちらも、現在の日本でも熱心に論じられている主張だ。最低賃金上昇論の方には私も基本的に同意はしているのだが、いずれにしても、分析や議論の結果というよりも道徳的直観に基づいたスローガンのような主張の方が目立っていることは否めない。すこし立ち止まって見て、根底となる考え方について議論している本やその問題点について論じている本を読んでみるのもいいものだと思う。

*1:ついでに書くと、安楽死に賛成する議論をネオリベラリズムと結びつけて批判する箇所があって、かなりイラっとしたところもあった。以前にも論じたが、私は、日本の左派における安楽死否定論は現実から乖離したイデオロギー議論であると思っている。左派の著作であるからといって左派の間と定番となっている主張を安易に持ち出されると、思考停止している感があってイヤである。