道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「道徳の秩序」と「政治の秩序」(読書メモ:『資本主義に徳はあるか』)

 

資本主義に徳はあるか

資本主義に徳はあるか

 

 

 フランス人の哲学者である著者の講演に基づいて書かれた本。元々が講演であるせいか、内容は薄く感じられた。

 著者は物事の秩序を「経済-技術-科学の秩序」「法-政治の秩序」「道徳の秩序」「倫理の秩序、あるいは愛の秩序」の四種に分ける*1。そして、会社や資本主義に関わる秩序は前者の二つだけであり、道徳や倫理は資本主義とは無縁だと論じる。…これだけだと過激・逆張り的な主張のように聞こえるが、結局は「企業や政府は道徳的主体ではないから、私たちひとりひとりが道徳や倫理に関する判断をしましょう」という、穏当でなんのこともない主張に落ち着く*2。資本主義や経済に対する分析も、いかにも人文系の学者が経済学のなかでも思想の部分だけを参照して論じたという感じで、浅い。資本主義と道徳・倫理というテーマについての本なら、『資本主義が嫌いな人のための経済学』を読む方がずっと良い。

 

 ただし、物事を四種類の秩序に分類してそれを軸として論じる構成には、興味深い部分もある。たとえば技術に任せるべき領域に道徳を持ち込んだり、あるいは道徳の領域の問題として捉えるべきことを法的や政治的な問題として捉えることなど、人々が犯しがちな間違いが様々な例を挙げながら論じられている。技術と法・政治と道徳とのそれぞれの領域や互いの関係について理解しておくこと、経験的・実証的な問いと規範的な問いとを分けることなどは、学問的に考えるうえでは基本的で必須なことではあるのだが、改めて整理されるとそれはそれで気付かされることもある。

 著者は、1968年世代(学生運動の世代)の人々に存在していた思考形式を"「すべてが政治」のイデオロギー"(p.14)と呼び、道徳の秩序で物事をとらえることが軽視されていたと分析する。そして、現代(といっても原著は2004年)ではむしろ道徳の秩序が重視されるあまり政治の秩序からの物事をとらえる視点が後退してしまっている、と論じる。現在の日本でも、(実際には特定の立場にとって有利となるような偏向を生じさせる)「政治的中立」が叫ばれていて、本来なら政治が解決すべき問題がボランティア団体などにアウトソースされたり個人の自己責任で解決すべき問題とされてしまっているなど、政治の秩序の視点は軽視されていると言えるかもしれない。

 

 しかし、道徳の秩序と法律や政治の秩序の関係も、一筋縄ではいかないところがある。時として、ある問題をどちらの秩序に分類するかという線引き自体が、主義主張やイデオロギーの争いの最前線となる。たとえば「中絶の是非について論じることは道徳の領域の問題であり、法律は中絶の是非について関わるべきではないから、法律は中絶を禁止すべきでない」という主張は、胎児の生きる権利を主張する中絶反対派からすればたまったものではないだろう。「中絶の是非は個人の価値観に委ねられるべきだ」という主張は、裏返すと、「胎児の生きる権利は法的に保証されるべきほど重要なものではない」という主張になるからだ。

 動物の権利や安楽死の権利、あるいはアファーマティブ・アクションポリティカル・コレクトネスなどなど、様々な論点について同様のことが言える。ある問題…特になんらかの権利に関わる問題について、「その問題は個々人の価値観に関わる問題であり、法律や政治が関わるべき問題ではない」と主張することは、実際には「その問題は重要ではない」と言い放つのと同じであることが多々あるのだ。

*1:この本のなかでは、「道徳」という言葉は「価値観」という言葉と同じような意味合いで使われていることが多い。

*2:より具体的にまとめると、「企業は集団の論理という重力に従い非倫理的な方向に下降していくものであり、その重力に逆らって倫理的な方向に押し上げることは個々人にしかできない」という感じだ。しかし、個人の倫理的判断が集団に対して発揮できる力はきわめて僅かなのであり、個人にお依存しなくとも集団レベルで倫理的判断をさせるために企業倫理とかCSRとかコンプライアンスなどの諸々が考慮されている、というのが今の時代であろう。著者の主張はかなり時代錯誤なものに聞こえる。