道徳的動物日記

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グレタさん問題についての雑感

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 この一週間、グレタ・トゥーンベリさんの演説に関しては、グレタさん擁護派〜中立派の立場の人たちの幾人かが「批判派も擁護派も、彼女の"16歳の女子高生"という属性にばかりこだわり、彼女の発言の中身を見ていない」という旨のコメントをしているのを見かけた。 しかし、彼女のスピーチで指摘されている論点自体には、取り立てて目新しい点や感心できる点があるようには思われない。地球温暖化のリスクの試算、いまから対応しなければ将来世代がツケを払うことになること、現時点の対応が不十分であり各国の指導者の多くが問題から目を逸らしていること、いずれの論点もおおむね正確であると私は判断するし、同意もする。…だが、言うまでもなく、これらの論点は地球温暖化を危惧している人たちがずっと指摘し続けきたことだ。

 今回の彼女のスピーチの最大の注目点は「温暖化問題のデメリットを受けることになる将来世代の側に属している人が、将来世代を代表して、現行の世代を糾弾する」という構造になっていることだろう。となると、彼女が"16歳の少女"であることは、やはり重要な要素になる。その要素を抜きにして彼女のスピーチを評価することはできないだろう。

 もうひとつ指摘すると、彼女のスピーチの内容は問題を道徳や善悪の問題に寄せすぎているのも気になるところだ。一般論として、相手のことを「裏切り」(betrayal)を行なう「邪悪」(evil)な人間だと糾弾して、「私たちはあなたを許さないだろう」(We will never forgive you)と脅すなど、複雑な社会問題を善悪の次元に還元して語ることは推奨されない。「"悪人"だと言われた側がムカッとして意見を聞いてくれなくなるから、穏やかな単語を使った方がいい」と言うことではなくて、環境問題のように原因も複雑であれば効果的な対策を練って実行するのも一筋縄ではなく、「誰がどんな責任をどれだけ担うべきか」ということもひとくちに言えなければ「他の重要な問題への対策とのトレードオフはどうすべきか」ということを考えるのも難しい問題については、モラリズム的な言説はノイズになってしまう*1。…ことが差別問題であり、スピーチしている人が被差別当事者であれば、「強い言葉を使うな」「問題をモラリズム化するな」という批判は不当である場合が多いだろう。だが、地球温暖化問題は現行世代よりも将来世代の方が受ける被害が大きいことは事実であるとはいえ、16歳であるからといって差別問題の被害者のように直接的で緊急の被害を受ける訳ではない。冷静に論じることが可能な問題であれば、冷静に論じるべきなのだ。

 

 だが、冷静に議論しているだけではそもそも国連でスピーチなんてする機会なんて持てないし、これほど話題に挙がることがなかったのも事実である。今回のスピーチがこれほど話題になってのも「16歳の少女という属性を持った者が、怒りにふるえながら、涙ながらに、各国首脳に対して国連でスピーチをする」という一連の要素が揃っているからこそだ。となると、やはり、彼女の属性を抜きにスピーチの内容だけを議論するのもナンセンスな気がする。

 また、発言主が16歳の少女というだけで、その発言を批判する人はスタートラインから不利になっている点も指摘されるべきだろう。彼女の年齢や性別をあげつらって揶揄するタイプの批判をしている人は論外だが、スピーチの内容やスピーチの仕方を批判する人にも「大人気ない」「悪人」というレッテルが付きやすくなってしまうのは確かだ。「グレタ・トゥーンベリさんにお怒りの皆様に“コールセンター“が誕生。オトナの「赤ちゃん返り」を描き話題に」という記事に象徴されるように、批判者の側の方が愚かに見えて、揶揄されてしまうという構造がある。

 この辺りの問題は、たとえば日本であれば一昔前の「はるかぜちゃん」関連の議論で散々指摘されたことだ。そして、「はるかぜちゃん」問題のときと同じように「触らぬ神に祟りなし」という結論にならざるを得ないように思える。そもそもの議論の土台が歪んでいるのであり、冷静で建設的な議論は最初から望むべくもないからだ。

*1:地球温暖化問題をモラリズム化することのデメリットについては、下記の記事の議論を参照してほしい。

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