道徳的動物日記

人々の議論を眺めながら考えたことや読んだ本の感想など。このブログは利益や金銭目的ではなく人々に対する啓蒙のために書かれています。ありがたがれ。

読書メモ:『もてない男 - 恋愛婚を超えて』

 

もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)

もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)

 

 

 ちょうど20年も前の本だが、いまも続く「非モテ論」の先駆けとなった本のようだ。

 

・基本的には主流派のフェミニズム理論を批判しているが、著者の批判の対象は、女性のフェミニスト学者以上に男性のジェンダー学者であるように思える。たとえば、この本が出る前に別の本に収録された著者の「もてない男」論に関して、"そのほか、「男フェミニスト」からの反発ないし批判があって、これがいちばん訳がわからなかったし、答える必要もないほどぐちゃぐちゃな理屈であった。"(p.106-107)など。また、「童貞であること」を論じた第一章のなかには、次にような一説がある。

 

「とにかく男と名のつく者が、必要な場合には自分が教え手となることもあるのに、無経験でいるということは滑稽ではないか」。こういう発想全体に対して「男らしさなどというものにこだわるな」とか言うのが「男性学」者なのだが、男性学者にせよフェミニストにせよ、「四十過ぎまで童貞でも恥じることはない」とはあまり言ってくれない。じつは彼らは心の底でそういう男を軽蔑しているからだ。(p.38-39)

 

 実際、現代の「男性学」者たちの言説も、そもそもからジェンダー論に理解があったりフェミニスト的な考え方をしている男性以外にはほとんど響いていないし、むしろ反発を生じさせるものが多いような気がする。「男らしさにこだわるな」という言説は正論であるかもしれないが正論であるだけで役に立たない言説ではあるし、そんなことをいけしゃあしゃあと言ってのける奴はなんとなく信用できない、というのは今でもあるような気がする。

 もっと面白いのが、次の文章。

 

さらに私が不快なのは(もうかなりやけくそになっているが)「男フェミニスト」どもである。というのは、私の妄想かもしれないが、「男フェミニスト」には、いい男、もてそうな男が多いような気がするからである。やけくそだから実名を挙げるが、森岡正博瀬地山角宮台真司、井田広行(写真を見るかぎり大したことないのだが、「いい男」という声あり)など。私は邪推するが、彼らはきっと「女にもてる」のであろう。それで、「俺は女の扱いがうまい」から「女を理解している」と幻想し、「結婚なんて制度だから」とか言いつつ事実婚していて、フェミニスト的なことを言っていると女もさらに喝采してくれて、みたいな環境にいるのではないか。彼らは私のように、恋愛がうまくいかなかったりして女への怨恨を内攻させることもなし。逆に、フェミニスト的なことを言うともてるんじゃないか、という予測も成り立つ。確かにある程度それはある。だが、根がもてない男はそのうち破綻を来してしまうものである。(p.111-112)

 

・第六章では「強姦」が取り上げられるが、筒井康隆が1975年に『太陽』という雑誌に書いた、当時起こった大学教授二人による教え子強姦事件の被害者を非難する文章は、現代の価値観から読んでみるとちょっと信じられないくらいひどい。当時としても、かなりひどい部類だと思う。筒井康隆は最近では慰安婦像をめぐるツイートで炎上していたが、昔から下品で非倫理的なことを書いていたものだなと思った。最近の炎上を見て「失望した」「ファンをやめた」と書いていた人がちらほらいたが、昔から、擁護する価値のない作家であっただろう。

 

・結婚制度を批判したり事実婚を推進するフェミニズムは「エリート・フェミニズム」であるという指摘(p.110)は、現代的な論点を先取りしていて慧眼だと思った。

 

・20年前の議論であり、またネット上の文章ではなく書籍ということもあるだろうが、昨今の殺伐とした「非モテ論」に比べるとこの本に書かれている内容はだいぶ牧歌的だ。女性嫌悪も、さほどのレベルではない。著者は東大の大学院に進学して「才色兼美」な女性たちを何人も見てきたそうだが、仮に自分が相手にされないとしても、いわゆる"レベルの高い"女性たちと知り合っていると自ずと敬意とか憧れとかが湧いて、本格的な嫌悪には至らないものなのだろう。