道徳的動物日記

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読書メモ:「ペットとの関係の、二層功利主義における分析」

 

 

 

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 このブログでも何度か紹介したことのある『Pesonhood, Ethics, and Animal Cognition: Situating Animals in Hare's Two-level Utilitarianism(人格、倫理学、動物の認識能力:ヘアの二層功利主義で動物を位置付ける)』という本を書いた、Gary Varner(ゲイリー・ヴァーナー)という人の論文。上記の本で行なっている議論を前提としながら、ペットの問題について特化して分析した文章だ。

 

 功利主義なので、「ペットを飼育すること」が飼育する側の人間と飼育される側のペットそれぞれに与える利益が着目される*1。そして、ペット側の利益という点を考慮すれば、犬や猫などのコンパニオンアニマルや馬などの家畜を飼うことに比べてエキゾチックアニマルを飼うことは推奨されない。コンパニオンアニマルや家畜は人間と共に暮らすことに適応した進化を遂げてきており、人間と共同生活を行うことで幸福を感じられるようになっているが、家畜化されていないエキゾチックアニマルはそうではないからだ。

 そして、法律・専門家倫理・一般道徳など、社会における各段階での倫理コードが、ペットを飼う人間とペットとして変われる動物の利益を増させる方に変えられるべきだ、となる。例えば法律のレベルではペットに適さないエキゾチックアニマルの飼育には様々な制限を設けられるべきだし、一般道徳としてはエキゾチックアニマルを飼うことは望ましくないことであり犬や猫を飼うことは望ましいことであるという規範を推奨していくべきである、ということだ。

 また、ペットの飼い主の中にはペットを「代替可能」な存在と見なして、買っているペットが死んだら同じ品種のペットをすぐに新しく買うタイプの人がいるが、功利主義の観点からしても自分のペットを「代替可能」とみなす事は望ましくない。飼っているペットは「かけがえのない存在」と見なして一匹一匹に愛情を抱いてい真剣な絆を結んでいく方が、飼われているペットの側の幸福も飼い主である人間の側の幸福も増すからである。功利主義は「愛情」とかいうウェットな要素を無視しがちであると思われるが、幸福や利益を考える思想である以上はウェットな感情を無視する思想ではない、というのがミソだ。

 

*1:この論文では「ペットを飼育すること」という慣習が存在するために発生するペットビジネスや捨て犬捨て猫の殺処分問題などの、マクロな構造についての議論は取り上げられておらず、飼い主-ペットのミクロの関係についての議論のみが取り上げられている