道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

読書メモ:『日本の分断:切り離される非大卒若者たち』

 

 

 内容は悪くなかったのだが、以下のような文章が頻出する点は少し気になった。

 

……あなたがこの1週間の間に、仕事や私生活で会話を交わしたり、連絡を取ったりした人をすべて思い浮かべてください。

そのなかに、非大卒層、とりわけ若年非大卒男性はどれくらいいますか?

あなた自身が大卒者である場合、ほとんどいない、という人がけっこういるのではないでしょうか。

(p.218-219)

 

 この本は現在の日本社会に生きる人々を「男性/女性」「若年/壮年」「大卒/非大卒」の三つのセグメントによって8つのタイプにカテゴライズして、それぞれの人々の経済や生活の状況がどんなものであるかとかキャリアや人生のプランはどのようになっているかとか心理状態はどうなっているかということを、社会調査のデータを用いて分析したり解説したりするものである。そして、若年非大卒層…そのなかでも男性が特にキツい立場に立たされており、なおかつ行政的な支援が最も行き届いていない層であることが論じている。

 J・D・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジーアメリカの繁栄から取り残された白人たち~』やR・パットナムの『われらの子ども:米国における機会格差の拡大 』などとアメリカで論じられているような格差社会論が、別の形をとって日本にも当てはまることを示した本であると言えるだろう。また、ネットで根強い人気の「弱者男性論」にも通じるというか統計的裏付けを与えてくれる本ではある。

 しかし、たしかに社会調査のデータが大卒と非大卒との量的で統計的な「分断」を示すといえど、わたしたちが空間的に分断されているかどうかはまた別の話だ。この本ではところどころで「こんな堅そうな内容の新書を手にとって読む人は大卒層であるに決まっており、彼らにとって非大卒層(特に若年非大卒男性層)はまったくの他人であるだろう」という決めつけが目に余るところがある。

 だが、たとえばわたしは大学院を出た後に二年半にわたってフリーターをしており、その職場の同僚の過半数以上は非大卒の若者であった。昨年末まで勤めていた職場は東京都内のベンチャー企業であったが、非大卒の同僚もちらほらといた。また、高校や大学からの友人のなかにも、わたしと同様に非大卒が多数派である職場で働いていた/働いている人はそれなりにいる。わたしも含めてそのような人の多くは新卒で就活をしていない/就活に失敗したという経緯があり、そういう点ではたしかに大卒の"典型"とは言えないのだが、だからと言って無視できるほどに少数派であるとも思えない。その逆として、堅い内容の新書本に興味を示して手に取る非大卒だって、少数派であるとしてもそれなりにはいるだろう。たしかにこの本のなかでも「非大卒は大卒に比べて本を読むことが少ない」ということを示す箇所はあるのだが、それはあくまで数字にあらわれた傾向であり、個々の読者にとっては別のことなのだ。

 

 とはいえ、この本を読んでいて個人的に身につまされたのは、「大卒」であっても就活やキャリアプランなどにおいて失敗や間違いを犯してそれをカバーする軌道修正もできなければ、様々な点で「非大卒」に近づくのだなということである。それは収入という直接的な問題だけではない。この本では「ポジティブ感情」やそれと対比しての「不安定性」、「社会的活動の積極性」に「政治的積極性」に「健康志向」や「教養・アカデミズム」などの内面的な部分も社会調査のデータに基づいて比較されている。

 その比較結果に基づいて考えてみると、自分自身についても自分の周りにいる"典型的でない"コースを歩んでしてしまっているほかの大卒男性についても、収入などの外面的な部分のみならず内面的な部分でも大卒男性の典型よりもむしろ非大卒男性の典型の方に傾いているところが多いのだ。ポジティブ感情が減って不安が増すのはもちろんのことだが、わかりやすい居場所や属性がないということは政治や社会的活動への積極性を減らす要因となる。また、周りのなかにはセルフネグレクトの傾向があって健康を無視している人もいる。…逆に、大卒男性としての典型的なライフコースを歩んでいる友人がわたしにはほとんどいない始末である(大学院まで修了したわけなので会話したことがあって名前や顔を互いに知り合っている"知人"レベルであればいっぱいいるが、いつしか彼らとは連絡も取り合わなくなっているということだ)。

 学部生の頃はけっこう他人事感を持って「格差社会」や「社会の分断」に関する議論を読んだり学んだりしていたわけだが、気が付いたらあっという間に当事者の側の立場になってしまったのである。