道徳的動物日記

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読書メモ:『BOYS 男の子はなぜ「男らしく」育つか』

 

 

 男性たちが持つ「男らしさ」は先天的に備わっているものではなく、社会関係やメディア表象などを通じて後天的に身に付くものである、ということを主張する本。要するに、ジェンダー論にありがちな社会構築主義的な議論を説く本である。

「男らしさ」とか「女らしさ」とかをめぐる議論ではとかく社会構築主義が主張されがちで生物学的な要因が無視されがちであり、ちょうど一年ほど前にそのことについて文句を言う記事を書いた*1。とはいえ、「男らしさ」に社会構築的な要素がまったくない、と主張するのも馬鹿げた話ではある。男性であるわたしが自分の人生を振り返ったり知人のことを観察したりしてみても、「あの時は男らしさを押し付けされそうになってイヤだったな」とか「あいつは明らかに所属している集団の影響で男らしく振る舞おうとしているな」などと思うことは多々ある。その一方で、男性に典型的な特性や傾向を自分のなかに見出して、それがどう考えても文化や社会の影響ではなくもっと生物学的でどうしようもないものだな、と思うときもある。ケースバイケースでバランスよく考えるのが理想であるだろう。

 この本では第2章「本当に"生まれつき”?ジェンダーと性別の科学を考える」で、生物学的な男らしさ論が取り上げられて批判されている。いかにもチェリーピッキングな風味の漂う筆致であり、「ジェンダーが生得的なものであるはずがない」という著者の世界観が先にあってその世界観を補強するような論拠や資料を集めてきたという感じが強いが、まあこんなことは言い出したらキリがないしブーメランになってしまうし、まったく逆の立場で書かれた本に対しても同じようなことを思う人もいるのだろう。

 

 それよりも、この本を読んでいてわたしが「キツいなあ」と思ったのは、結局のところ著者は女性であり、他人事として無責任に好きなことを言っている感じが強いところだ。男の子や成人男性が人生において感じるプレッシャーであったり衝動であったり人間関係の緊張であったりを、著者自身が実際に体験してきたわけではない。

 同性愛者である著者が妻との間に迎えた養子の男の子の教育方針について悩んで考えたことが、著者にこの本を書かせたきっかけとなっているそうだ。「男性も女性も、男の子も女の子も、私たちみんなのために、男であることの意味を再考し、作り変えていくにはどうするべきかを考えたものである(p.21)」。しかし、この本のなかで"どうするべきか"を考えているのはあくまで女性である著者だけだ。たまに息子との交流のエピソードが引用されたりはするが、息子さんが母親の顔色を伺って母親の気に入るような振る舞いをしているんだろうなということだけが伝わってくる。

 最終章の最後の説で紹介されているエピソードが「"未来は女性だ"と書かれたシャツを着て登校してきたフェミニズム活動家の女子高校生と、彼女の活動に理解を示す男子高校生」のエピソードであることは、この本がどこに主眼を置いていてどんな人を対象読者にしているかをよく象徴しているように思える。……実際、日本語圏の感想を見る限りでは、この本に賛意を示している人の大半は女性である。

 ついでに言うと、ジェンダーの議論だけでなくことあるごとに人種やエスニシティの問題についても表面的に触れる、"お約束"感も気に入らない。

 個々の指摘については興味深いところもなくはないが(スポーツ選手だけでなくプロゲーマーやゲーム実況者も「有害な男らしさ」イメージの振りまきに関与しているという指摘は現代的であると思ったし、「男の子は弱みを見せあえないから健全な友人関係を築くことが難しい」という指摘はありがちなものであるが考えさせられるところもある)、全体的には、新たな知見や洞察を得るための本というよりもこのテの人たちの世界観を再確認するための本という感じになっている。

 わたしは読んでいて正直に「この人が自分の母親だったらイヤだな」と思った。息子や"男の子"の問題ではなく、その先にあるジェンダー平等の理想にばかり目が向いているように思えるからだ。

 

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