道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

読書メモ:『感性は感動しない』

 

 

感性は感動しないー美術の見方、批評の作法 (教養みらい選書)

感性は感動しないー美術の見方、批評の作法 (教養みらい選書)

  • 作者:椹木 野衣
  • 発売日: 2018/07/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

  美術評論家のおじさんが書いたエッセイ集。第一部「絵の見方、味わい方」は著者なりの"批評"観や"美術"観が出ていてそれなりに面白かったが、第二部「本の読み方、批評の書き方」では読書や文章についての益体のない語りがダラダラと続くし("読書とはなにか"とか"文章を書くとはどういうことか"ということについて書かれた文章って他に書くことがなにもない人が紙幅を埋めるために仕方なく書きました、という感じのする文章が多い)、第三部の「批評の目となる記憶と生活」は「おじさんの思い出話」以外のなにものでもない(作家とか役者ならまだしも、さほど高名でもない批評家風情の思い出話に誰が興味を持つというのだろう?)。

 このエッセイを読む限りでは、著者は育ちが良くて人柄も良いが俗物的な要素も強い平凡な人物だという印象だ。特に「秩父と京都の反骨精神」という章がひどくて、「同志社の輩出する人材というのは、どこか一匹狼的です。」(p.150)と書いたり、京都のことを「死者と生者の境があいまいで」(p.152)と評したりする感性は完全に凡人のそれである*1。ただまあこれくらい大衆的で一般化された感性であるほうがキュレーターとしてはちょうどいいのかもしれない。

 

 それはそれとして、表題にもなっている「感性は感動しない」という章はよかった。

 

 美術大学で教えている手前、言いにくくはあるのだが、大学で美術を教えるのはひどくむずかしい。とにかく、ほかの学問分野のようにおよそ体型といったものがない。教えられるのはせいぜい美術の歴史をめぐる基本的な知識や、美術という制度をめぐる様々な社会的背景くらいではないか。しかし美術史や美学を修めたからといって、画家がよい絵を描くわけではない。彫刻家が見事な造形をなせるわけではない。むしろ、それに絡めとられ、わけがわからなくなってしまうことも少なくない。

…(中略)…

そして、どんな絵に心が揺さぶられるかは、結局のところ、その人にしかわからない。誰にもわかってもらえない。ましてや共有などできるはずがない。感性がみがけないというのは、煎じ詰めればそういうことだ。

つまり、芸術における感性とは、あくまで見る側の心の自由にある。決して、高められるような代物ではない。その代わり、貶められることもない、その人がその人であるということ、それだけが感性の根拠だからだ。

(p.4-7)

 

また、「美術批評家になるには」という章もよかった。

 

たとえば、批評家には認定試験のようなものはいっさいありません。それ見たことか、そんなのは信用できないよ、と思うかもしれません。しかしこれが、まったく逆なのです。批評家には、そういう資格のような公的なものがあってはいけないのです。

…(中略)…

個人の自由な表現で作られたものは、個人の自由な判断に任せるしかないのです。この場合の後者のうち、その「評」が社会のなかで、ある程度の信頼性を得ているのが批評家と呼ばれる人たちです。この信頼感というのが大事です。資格ではないのです。漠然としていますが、信頼というのは法的な拘束とは違うので、実は広く長く得ることはもっとむずかしいのです。試験勉強をすれば得られるというものではありません。地道に判断を積み重ね、その一つひとつが注目を浴びるようになり(いまではそれはブログやツイッターを含むかもしれません)、著作で思いを世に問うようになり、それがまた読者を得て、発言の場所や機会が広がっていく。そういう自発性がもっとも重んじられます。

(p.39-40)

 

「売り文句を疑う」という章からもちょっと引用しよう。

 

どんなに人が連日行列を作って並んでいる展覧会でも、自分がつまらないと感じれば、それが正しい。逆に、どんなにガラガラで閑古鳥が鳴いており、ネットでもどこでも話題になっていなくても、自分がおもしろいと思えれば、批評家としてはそれが絶対的に正しいのです。

(p.43)

 

 こうして引用してみると、よくある言説というか大したことが書かれていない気もするが、近頃の問題はこういう素朴で当たり前な批評観に対する「逆張り」が強くなり過ぎていることだ。ネット民というものは感性や感情を疑って、理論や合理性を信奉するものである。判断基準が明確でない物事はとかく毛嫌いするし、子供時代にガリ勉だったせいで「非合理な学校教育」に苦しめられたという被害者マインドな人も多いから、「美術鑑賞では最終的には個人の感性を大切にするしかない」という意見すら毛嫌いする人が多いのだ。その代わりに、美術史や美術理論の教育はやたらと持ち上げられて、「理論や背景知識がなければ美術の良さがわかるはずがない」という意見ばかりが横行する。

 ……「感性」派と「知識」派とのどっちが絶対的に正しいということもないだろうし、感性も知識もどっちも大事で中庸がいちばん良いのだろうが、ネット言説では「知識」派の金切り声ばっかりが聞こえてくるので疲れてしまう。そんななかでこの本に書かれているような素朴な意見は久しぶりに目にしたから、癒されたという感じである。

*1:わたしの定義では、「◯◯大学の人材にはこんな傾向があって〜」とか大学の「学風」でなく素朴に語ったりしてしまうような人間は、すべて批評性を欠いた凡人となる。