道徳的動物日記

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ひとこと感想:『格差は心を壊す:比較という呪縛』

 

 

 タイトル通り、経済の格差がわたしたちの心や健康にもたらす悪影響について論じて、経済格差が広がると社会的分断も広まって政治にも文化にも悪影響が生じて自然環境も悪くなって…と、とにかく「格差」がもたらす悪影響をひたすら羅列した本。

 外国のこのテの本ではたまにあるスタイルなのだが、2ページに1個か2個かの割合で、なんらかの研究結果が紹介される。だから情報量はすごくて贅沢な本ではあるのだが、羅列感が強くなり、読み物としては単調でちょっと面白くない。わたしが以前から「経済格差の悪影響」に興味を持っていてそれに関する本をいくつか読んできたために、「知ってるよ」という情報が大半であったこともマイナスだ。能力主義の幻想とか「人間は利己的である」という幻想に対して反論する章の内容も、他の本で言われ尽くされていることではあったし。

 とはいえ、経済格差がもたらす悪影響をここまで大量に示されると、圧巻の説得力はある(「他の原因で生じているかもしれない悪影響をなんでもかんでも無理矢理に経済のせいにしていないか?」と思わなくもないけど)。

 

 経済格差を問題する議論については、「金持ちが1000万円稼いで貧乏人が200万円しか稼げない社会より、金持ちが3000万円稼いで貧乏人も300万円稼げる社会の方が、後者の方が経済格差が広がっていてもみんな豊かになるんだからいいだろう。大事なのは効率性や生産性であって、平等を絶対視するべきではない」というタイプの反論をすることができる。わたしも、原理的には、このタイプの反論は間違ってはいないと思う。しかし、この本に限らずにアンガス・ディートンの『大脱出』とかロバート・フランクの諸々の本とかは、経済格差によって生じる民主主義の機能不全や人々の心身に対する悪影響を示しているのだ。お金だけの問題じゃないのである。

 

 また、この本では「格差が激しい社会では格差の下側の人だけでなく格差の上側の人の心身にも悪影響が生じる」ということが強調されている。

 格差の激しい社会ほど、能力主義が蔓延して、地位や序列に対するこだわりが強くなる。そのために人々は他人に対して心を打ち明けてのびのびと接することが難しくなるし、格差の上側にいる人も自分の地位がいつ奪われるかという不安を抱えて生きてしまうことになる。そして、ヴェブレンが論じたような顕示的消費が拡大することにより、人々は無意味なものを買うためのお金を稼ぐことに躍起になって消耗する。

 

 なお、経済格差がひどい国の代表は言うまでもなくアメリカであるが、この本のなかでは日本(と北欧とドイツ)が経済格差の少ない国の代表格のように扱われている。そのために日本の読者としてはちょっとハシゴを外されるというか、「うそん」という感じになっている。

 

 この本のなかでは第七章「上流の文化はすべて一流であるという誤解」がいちばん面白かった。

『暴力の人類史』でもおなじみ、ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』でなされていた議論が紙幅を割いて紹介されるところがいい。

 また、「エリートの美的感覚は本当に客観的で優れているのか」という節も、なかなか示唆的な内容となっている。

 

審美的な感覚の世界は、階級的な偏見や差別に全くとらわれない自由な領域である。一般大衆の好みは、“下品”、やぼ、低俗、どぎつい、けばけばしい、感傷的などと評されることが多い。しかし、エリートの美的趣味は、本当に洗練されたものであり、後天的に身についた条件反射というより、客観的な美的感覚に基づいたものだと主張する人がいる。あるアクセントが“不恰好だ”と見なされる一方で、別の言葉遣いやテーブル・ナイフの持ち方が “エレガントだ”と考えられている。

こうしたどうでもよい差別は社会的差別というよりも美的感覚の問題だというのは、全くのごまかしだ。階級差別のある社会では、階層の低い人々の特徴は何であれ見下される傾向にある。行動上の特徴、皮膚の色、宗教、言語についても、社会的地位に関連する場合は同じことが言える。

(p.331)

 

 日本の場合では「箸の持ち方」に関する議論がすぐに連想できるだろう。他の国に比べたら階級の差が少ないはずの日本ではあるが、「金持ちというものは人格的にも精神的にも優れていることが多いし、貧乏人というものは人格的に精神的にも問題があるものだ」という言説は昔からよく耳に入ってくる。

 また、お正月などに放映される「格付け」番組とそのなかでのもGACKTの扱いも、考えてみると「エリートなら審美的感覚も優れているはずだ」という俗情を巧みにエンタメ化したものだと言えるかもしれない。