道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

ひとこと感想:『ステレオタイプの科学:「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』

 

 

 本の題名だけ見ると、わたしたちが"他人"に対してどのようなステレオタイプを抱いているか、わたしたちが抱く「偏見」の正体はなんであるか、ということを扱った本のようにも思えてしまうが、……実際には副題に書かれている「社会の刷り込み」のほうが本題であり、ステレオタイプがわたしたち"自身"に対して抱く影響について書かれている。つまり、「女性は男性に比べて数学の成績が良くない」「白人の方が黒人よりも成績が良い」といった社会通念がテスト問題を解くときに女性や黒人の集中力に作用して成績にもたらす影響…その名も「ステレオタイプ脅威」に関する議論がメインとなっている。著者たちは、この「ステレオタイプ脅威」を最初に実験で再現して論文化した社会心理学者だ。

ステレオタイプ脅威」はきわめて社会心理学的な概念であり、進化心理学的な概念とはある意味で対極的な概念だ。たとえば現行の社会では「女性は男性に比べて数学の成績が良くない」となっているとして、社会心理学ならその理由を「"女性は男性に比べて数学の成績が良くない"というステレオタイプ脅威がテスト問題を解く女性のパフォーマンスに影響を与えることで、女性の成績が下がり、結果として"女性は男性に比べて数学の成績が良くない"という通念がさらに強まるのだ」と説明することになる("予言の自己成就"的な考え方でもあり、実に社会学っぽい)。一方で進化心理学なら「実際に、女性は男性に比べて数学が先天的に得意ではないのだ」とか「女性と男性との間に数学の能力の本質的な差はないが、女性には理数系を避けて人文系を志向する先天的な傾向があるので、結果的に男性の方が数学の成績が高い状況になっている」という風な説明をするだろう。

 どっちにも一理あって「そうかもしれない」と思えるかもしれないし、どっちも胡散臭い説明かもしれない。この本ではステレオタイプ脅威の存在を示す様々な実験の内容がちゃんと示されてはいる。それでも、現実の社会における複雑な事象に対して、限定された環境で得られる実験結果を安易に適用し過ぎているきらいがある。進化心理学的な仮説の退け方もちょっと粗雑な気がする。

ステレオタイプ脅威」は実在しており、だからこそ平等や公正を実現するために学校や企業や社会は「ステレオタイプ脅威」を排除するための施策を行わなければいけない、という主張は真っ当であり文句の付けようもないが……女性と男性との成績格差や白人と黒人との成績格差がそれだけで説明できるかというと、やはり違うだろうとは思う。先天的な差を持ち出さなくても、家庭やコミュニティの環境や学習に関する規範、興味関心の志向性などの方がずっと影響していそうなものだ。

 案の定、「ステレオタイプ脅威」という概念や実験の手法などには批判も行われているようである*1