道徳的動物日記

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伴野準一『イルカ漁は残酷か』

 

イルカ漁は残酷か (平凡社新書)

イルカ漁は残酷か (平凡社新書)

 

 

 ジャーナリストの著者による、和歌山県太地町を中心とした、イルカ漁と反イルカ漁運動について書かれた新書である。

 本の構成としては、第1章から第3章までは太地町を中心としたイルカ漁の歴史、第4章から第6章までが反イルカ漁運動の歴史的経緯、第7章以降は現代のイルカ漁と反イルカ漁に関係する諸々の問題が扱われている。

 歴史的経緯だけでなく、現在イルカ漁や反イルカ漁運動に関わっている人たちへのインタビューが多く使用されており、当事者である人々の実感や意見を知ることができる、というところが本書の特徴だろうか。

 

 歴史的経緯については、イルカ漁・反イルカ漁運動の両方について客観的に書かれており、参考になる。

 現在の人々のインタビューについては、イルカ漁師や水族館関係者などイルカ漁に関わる人々に関しては著者の好意的な感想が付されていることが多い。一方で、反イルカ漁運動の関係者については、運動においてイルカ漁関係者に対するハラスメントを行っていることや太地町について虚偽を交えたネガティブイメージを宣伝していることが指摘されており、個々の運動家についても好意的には書かれていない

 全体としては、中立的というよりかはイルカ漁に好意的・反イルカ漁運動に対して否定的な本であると思う。

 

 タイトルは『イルカ漁は残酷か』だが、「イルカ漁は残酷であるのか、残酷でないのか」という問いを深く探るというよりも、太地町を中心としたイルカ漁の歴史的経緯と、「太地町周辺の、イルカ漁・反イルカ漁運動に関わる人たちは、イルカ漁についてどう思っているか」ということが主題となっている。

 私のように動物倫理や動物福祉の議論をある程度勉強してきた身からすると、「イルカ漁は残酷か」という問いについては、「イルカ漁に関わる人がどう思っているか」ということ以上に「イルカ漁の対象となるイルカが感じる苦痛」について考えることの方が重要であると思ってしまう(イルカの認知能力などをふまえたうえで、追い込み漁やその他の方法のイルカ漁が捕獲されるイルカに与える肉体的苦痛・精神的苦痛はどのようなものであるか、イルカ漁がイルカに与える苦痛は他の漁業や狩猟が魚や他の動物に与える苦痛と比べて重大であるかどうか、養殖や畜産と比較したらどうか……など)。

 この本では、動物福祉については終章で軽く触れられるに留まり、「動物により高度な福祉を与えようという動きはグローバルなもので、解決できない矛盾と少々の滑稽さを含みながらも、決して止まることのない大きな潮流」(p.260)として、賛否はともかく無視はできない風潮、という感じに紹介されている。

 

 「まえがき」で「私が見出した事実は、実に驚くべきものだった」( p.7)と前振りがされているが、イルカ漁・反イルカ漁運動について素人ながらに多少は調べてきた私が読んだ感想としては、細かい事実や情報については新しいものを知ったりすることができたが、全体としてそれほど新鮮であったり驚くべきことが書かれている訳ではなく、物足りない本ではあった。

 

 私がこの本を評価する点としては、イルカ漁関係者と反イルカ漁運動関係者との対立について、人種対立や国家間対立にこじつけて煽るような、センセーショナルな見方を否定している点である。

 例えば、1980年に反イルカ漁運動家であるデクスター・ケイトが起こした壱岐イルカ事件について、当時の朝日新聞の編集委員であった本多勝一が書いた「なぜアメリカ人はイルカだけを特別視するのか」「反イルカ漁は”アメリカ的覇権主義”である」という文章が取り上げられて、以下のように批判されている。

 

 ケイトらの行動の背景にアメリカ的覇権主義があるとするなら、この反論の底流にあるのは、グローバリズムとは対極にあるローカリズムであり島国根性である。(P.128)

 

 外国人運動家の主張に対してアメリカ的覇権主義や人種差別的感情が根底にあると決めつけ、イルカの殺処分について動物福祉的・道徳的な問題の存在を一切認めようとしない日本側。事実関係をないがしろにしてすれ違う双方の主張。今日まで三〇年以上にわたって継続する長い不毛な論争のすべてがここにある。(P.129)

 

 著者は、現在太地町で行われている反イルカ漁運動についてはハランスメントや虚偽を行っているという点を批判し、独善で傲慢であり漁師に対する「テロリズムが潜んでいる」とまで批判しているが(P.237)、"運動家は白人であるから、人種差別的感情から日本人の漁師を攻撃しているのだ”という類の分析はしていない。

 また、著者が評価を下しているのは著者自身が取材した対象が主であり、例えば世界中で行われている反捕鯨運動や動物の権利運動などに関してはほぼ言及していない。ピーター・シンガーの名前は何度か登場するが、「動物の権利」や「動物福祉」に関する哲学・倫理学的な理論については殆ど書かれていない。

 

 日本で出版されている、反イルカ漁・反捕鯨運動や動物の権利運動に関する本は、安易に運動を「人種差別的」「文化帝国主義的」だと決めつけたり、倫理学的な「動物の権利」論に対して的外れな批判をしているものが多い。

 『イルカ漁は残酷か』では、不用意に論じる対象を拡げたり、根拠のない分析や推測を挟んだりすることもなく、和歌山県太地町周辺のイルカ漁と反イルカ漁運動にほぼテーマを限定して、著者による調査結果やインタビューに基づいて、無難に書かれている。そのあたりは、この新書の物足りなさにもつながってしまうのだが、誠実に書かれているということでもある。