今回紹介するのは、エヴァ・グラスラッドという人のブログ THE HAPPY TALENTの記事。
"インターセクショナリティ"という考え方を、いわゆるリベラル・フェミニスト的な立場から批判している記事である。"インターセクショナリティ"という考え方についての好意的な立場からの説明は、以下の記事などを参照。
なぜ私たちのフェミニズムは様々なアイデンティティの交差(intersection)を前提としたものでなければならないのか(そしてそれを実践する3つの方法) - feminism matters
フェミニズムを語るうえで知っておきたい『インターセクショナリティ』とは? - UNIRO ユニーロ: 参加できる学生メディア
記事中にも書かれているが、最近では反イスラエル運動においても "インターセクショナリティ"という考え方が使われることが多いようだ。
intersectionalityと反イスラエル運動についての雑感(セルフまとめ) - Togetterまとめ
原文の記事にはかなり多くの画像が貼られているが、訳文ではいくつか省略した。
「"インターセクショナリティ"はフェミニズムとは正反対だ」 by エヴァ・グラスラッド
フェミニズムはPRに問題を抱えている。私にとっては、フェミニズムとは女性を力付けるものであり、女性が平等な配慮を期待して要求することができるようにするためのものであることは明らかだ。一部の人は、奇妙にも「男性を憎悪する」ことがフェミニズムだと考えているが*1。
私にとっては、フェミニズムとは自分自身で考えて自分で選択をするように女性を促すためのものであることは明らかだ。…赤ん坊に母乳を与えるか粉ミルクを与えるか、物理学者のキャリアを目指すかファッション業界のキャリアを目指すか、(あなたがどんな服を着ていたかということには関係なく)自分に加害を与えた性犯罪者を起訴するかそれをせずにコミュニティからの支援を求めるか、などの選択だ。…しかし、一部の人にとっては、フェミニズムとは順応・服従(conformity)を強いて批判的な思考を制限するものであるらしい。
そう、私は"インターセクショナリティ(intersectionality)"について語っている。あなたが「本物のフェミニスト」になりたいのなら、それぞれのトピックについてのあなた自身の考えや知識や経験に関係なく全ての社会的大義(soical cause)について私が信奉しているのと全く同じことをあなたも信奉しなさい、という考えだ。Everyday Feminism というwebサイトによると、私は「本物のフェミニスト」ではないらしい。なぜなら、"medical fat-shaming(医療機関が、太っていることを恥じ入らせること)"は医療制度システムの問題である、という考えに私が納得しなかったからだ*2。私は自分自身のフェミニスト的観点について実にはっきりと主張してきたのだが、私は「充分にインターセクショナルではない」らしい*3。
また、もちろん、私はフェミニストとLGBTのコミュニティが特殊な課題に直面していることを理解している。私自身は直面していないが黒人女性が直面している課題について検討することの価値は、私にも理解できる。フェミニズムとは、単純な主張からは程遠いものだ。
しかし、フェミニズムと全く関係のない別の政治問題をフェミズムと一緒くたにすることは有害だ。特に、「政治的に正しい」意見がフェミニズムそのものとフェミニズムが救おうとしている女性の両方に害をもたらす時には。
この問題の最たる例は、ラディカル・フェミニストたちが"インターセクショナリティ"の名の下にあまりにも多くの普通のフェミニストたちに反イスラエル的な姿勢を押し付けてきたことだろう。
2015年の11月には、イスラエルに対するボイコットや制裁やディスインベストメント行動を推奨することを全米女性学会(National Women's Studies Association)が可決した。中東においてはイスラエルが最も進歩的な国になっていることにも関わらずだ。イスラエルは「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」の国際協定に参加している。1948年に国家が発足して以来、イスラエルはジェンダーの平等を保証してきた。イスラエルの女性たちは、イスラエルにおける生活に能動的に参加している。イスラエル独立宣言には以下の文章が言明されている。「イスラエル国家は、宗教・人種・性別に関わらず、全ての居住者の社会的権利と政治的権利の完全な平等を保証する」。
イスラエルは世界で3番目に女性の大臣を選任した国だ。イスラエルの議員の18%は女性である…アメリカの女性議員の割合と等しいし、アラブ諸国の女性議員の平均割合である6%を優に上回っている。(また、イスラエルは他のどんな中東諸国よりも性的少数者に対して寛容であると考えられている、ということも記しておこう。イスラエルは同性婚を認めてもいるのだ。)
その一方で、パレスチナでは配偶者や子供の虐待、レイプ、近親相姦、そして女性に対する名誉殺人が蔓延している。
しかし、話を先に進めるために、上述したパレスチナの問題はフェミニストしての私が考える"べき"事柄ではないということにしておこう。"インターセクショナリティ"の名の下だ。それでも、イスラエル・パレスチナ紛争とは非常に複雑な問題であるということであり、どちらの側も誤った情報で溢れているという事実に変わりはない。
例えば「不法な占領」は行われていない*4。大半の人々が正確には理解していないか全く知ってもいないような、多くの歴史が存在している。もしあなたがイスラエルの行うことの"全て"を善いか悪いかの二択で考えようとするのなら、おそらく、あなたは中東で起こっていることについて何も理解していないということになるだろう。
実際、ミシガン州立大学ユダヤ人協会(Michigan State University Hillel)の委員の一人が匿名で私に伝えてくれた。「私はユダヤ人で、基本的に親イスラエルだ。しかし、イスラエルの行うことの全てを盲目的に支持することは、かなり愚かで馬鹿げていることだろう。私はイスラエルの行う政策の多くにも不満を抱いている」。
部族的・群集心理的に考えるではなく、自主的で独立な思考をしようとしている人がいることは、素晴らしいことだ。
(ミシガン州立大学ユダヤ人協会は、協会の委員たちの名前をインターネットに掲載するのを止めてしまった、ということも記しておこう。先述した委員は「調べようと思えば誰が委員であるのかを知ることができるが、情報を公開することはやめてしまったんだ。なぜなら、あまりにも多くの委員が嫌がらせを受けていて攻撃の標的にされていたからだ」と私に伝えた。)
また、パレスチナ人たちは毎日のようにイスラエルを攻撃している。「子供がイスラエル市民や兵士に石を投げた」という"些細"な事例も、イスラエルにとっては深刻な事態だ。*5。なぜなら、「石(rocks)」は小石を意味することもあればレンガの塊を意味することもあるし、「投げる」は実際には「投石器で投石する」ことを意味する場合もある。イスラエル人は「子供が石を投げた」ために死んでいるのだが、パレスチナ人たちはそれを「非暴力的」な形式の抗議だと私たちに喧伝している。
(難民キャンプにて、イスラエル兵士に投石しているパレスチナ人。AP紙:Majdi Mohammed氏の写真)
もし、イスラエルには自己防衛の権利があると私が考えたとしよう。…私はフェミニストではない、ということになるのだろうか?私はフェミニストの講演やイベントに呼ばれなくなるのだろうか?または、極端な事例であるが、レイプ被害のサバイバーを支援する集会に参加するためには、私は自分自身の一部分を黙殺しなければいけないのだろか?
結論から言うと、上記の疑問に対する答えは全てYESである。
コロンビア大学の学生団体 No Red Tape(NRT)は性的暴行についての認識を高めさせて大学におけるレイプ・カルチャーを根絶することを目指す団体だが、最近では、"インターセクショナリティ"の名の下に反イスラエル的な姿勢を公式に採択した。このことは、NRTについて以下を意味する。
1:あなたが性的暴行の被害者であったとしても、あなたがユダヤ人・親イスラエル・イスラエル人であったなら、あなたにとっての"セーフ・スペース"はNRTにはもはや用意されていない。あなたがNRTの集会に参加したとして、安心に感じられる筈がないだろう。
2:NRTはもはやサバイバーを中心にした団体ではない。大学における性的暴行を防ごうとしているニューヨークの女子学生とイスラエルに何の関係があるのだろうか?
(訳注:イスラエルではテロリズム団体と認定されている)ハマースを支持する団体であるイスラム協会パレスチナ支部の分派団体である「パレスチナのためのアメリカ人ムスリム連合」から資金を援助され後方支援を受けている「パレスチナにおける正義のための学生連合」が、深刻な性的被害のサバイバーを政治に関係なく支援するものであった運動をハイジャックして政治化することに成功したことは、私にとってはショッキングなことだ…本当にショッキングだ!*6
また一方で…全米の大学キャンパスにおいて、差別や嫌がらせやその他の反ユダヤ主義的な行為に苦しんでいる学生がいるのに、ラディカル・フェミニストたちは彼女らに対して"インターセクショナリティ"を発揮したり同情を表明したりすることを行っていない。例えば、以下に引用するリストは、「反・名誉毀損連合」によって報告された2015年にアメリカの大学キャンパスで発生した反ユダヤ主義的な事件を集めたリストだ(このリストに掲載されていることが全てではない)*7。
(…中略。アメリカ各地の大学で発生した反ユダヤ主義的な事件について、11件の事例が記載されている。)
2015年はみんなが"マイクロアグレッション"に大騒ぎした年だったが、アメリカ中で起こっていた本物のマクロアグレッションであるユダヤ人差別について、"インターセクショナル"なフェミニストたちが何も発言しなかったことは奇妙なことだ(親イスラエルのフェミニストは歓迎しない、とは発言した訳だが)*8。
しかし、実は奇妙なことでもない。なぜなら、このような"インターセクショナリティ"とは全ての女性を力付けるためのものではないからだ。偏見と戦うためのものでもない。順応・服従を強制して、思考を制限するためのものなのだ。
フェミニズムと"インターセクショナリティ"の間に矛盾をもたらす、もう一つの複雑な問題について考えてみよう。
移民だ。
自分たちの国における暴力や悪条件から逃れてきた、アフリカ諸国とアラブ諸国からやってきた移民の集団がヨーロッパ各国で定住するようになっている。彼らはヨーロッパとはかなり異なる文化からやってきた。女性が所有物として見られていて、女性が肌を露出することは彼女に対して何をしても構わないという意思表示と思われていて、女性に対する暴力が罰されないことも頻繁にある文化だ。
当然のごとく、このことはヨーロッパの女性に問題をもたらすだろう…そして、実際に問題は起こっている!例えば、現在のドイツの人口のうち2%は移民だが、大晦日に、400人(一説によると1000人)の移民男性たちが女性たちに対する集団暴行を行った
*9。彼らは600人以上の女性たちを包囲して、公衆の場で強盗・痴漢・レイプ・傷害を行ったのだ。
これだけでも十分に酷い事態だが、同じくらい嫌悪すべきことは、この事件が少なくとも5日間は隠蔽されていたことだ。ドイツの当局とメディアは、人種間の緊張関係を刺激するか被害者となった女性たちの権利を見過ごすか、という選択を行った*10。そして、事件が隠蔽されることによって、女性たちの生命は事実上の危険に晒されていたのだ。
「潜在的なレイプ犯というスティグマを移民たちに与える」ことを恐れるために女性を危険に晒す国は、ドイツだけではない(ケルン市長のヘンリエッテ・レーカーは「知らない男性からは腕の長さ以上の距離を置くことだ」とアドバイスした)*11。
この組織的犯行は"ゲーム"として行われた疑いがある、ということが後に明らかになった。"taharrush ゲーム"という名前も付いているのだ。BBCによると、"taharrush"とは「アラブの集団制的暴行ゲーム」であり、誰かに目撃されたり干渉されないように外側にいる男性たちが見張っている間に、内側にいる男性たちが女性たちを攻撃して暴行やレイプまでをも行う、というものだ*12。"taharrush"についてはWikipediaにも説明が載っている*13。以下は、"taharrush ゲーム"がどのようなものであるかを示す動画である(警告:この動画はひどく不快で衝撃を与えるものだ。視聴すればあなたの一日が台無しになるかもしれないし、後の人生にも影響を及ぼすかもしれない)。
A rape game called ‘Taharrush’ is what might have happened in Germany during NYE assaults
ケルンの集団暴行についてインターネットで更に調べているうちに(あまりにもショッキング過ぎて信じられないような事件だ)、以下の風刺漫画が私の目に飛び込んできた。明らかに、"インターセクショナリティ"の問題点を理解している人によって描かれたものだ。
(漫画の台詞:ケルンの集団暴行事件よりも悪質なのは、この事件が起こることをイスラモフォビアたちが期待していたという事実だ)
今日のように残虐な"インターセクショナリティ"が登場する前の時代には、指導者たちが女性の権利を守ることよりも非常に慎重になることを優先する、という事態はあっただろうか?おそらく、無いだろう。2009年から2011年にかけて、ノルウェーでは移民による一連のレイプ事件が起こっていた。そして、ノルウェーは西洋の価値観というものをまるでわかっていない移民たちへの対策を行った。移民たちに文化的規範を教える自発的教育プログラムを設立して、性的暴行やその他の暴力犯罪の予防を行ったのだ。
当時ですら、ノルウェーの対策は物議を醸すものであった。「茶色い肌をした男性はみんなレイプ犯である、と示唆するものだ」と反論されたのだ。常識なんて忘れてしまえ!彼ら茶色い肌をした男性たちは実際に極度に保守的で非常に隔離された社会からやってきたのだ、ということも忘れよう!彼らは公衆の場でカップルがイチャつくのを一度も見たことがない、ということも忘れてしまおう。ニューヨークタイムス紙によると「ある地域の人々は、ミニスカートを履いた女性を一度も見たことがない。ブルカを着た女性しか見たことがないのだ」*14。
海外留学プログラムに参加する全ての学生は、例えその留学が一週間や二週間だけのものであったとしても、事前にオリエンテーション・説明会・ワークショップに何度も参加させられて「留学先の新しい文化では何が期待されていて、どのようにすれば安全に過ごすことができるか」ということを教え込まれる(私はオーストラリアとオックスフォードに留学した。どちらも英語を喋る白人に溢れている社会だが、それでも、オリエンテーションはためになるものだった)。「二週間だけモロッコに留学するアメリカ人の学生は、みんな、モロッコの文化について学ばなければいけない。モロッコのジェンダーロールがアメリカとはどう違っていて、外に出るときはどのような服を着なければいけないか、ということも学ぶべきだ。…しかし、残りの人生の全てをヨーロッパで過ごすことになるアフリカ諸国・アラブ諸国の人たちに、ヨーロッパでは何が期待されているかということやヨーロッパへの適応を早めるにはどうすればいいかということを教えるのは、全く許されないことだ」なんて言うのは、奇妙なダブル・スタンダードだ。
(留学先ではラクダ・カンガルー・ツカツクリやその他の野生動物を狩猟することになる、と私は教えられた。狩猟の間には何をすべきで何をすべきでないか、ということも教えられた…私の身の安全のためでもあるし、マチュ人の人々に適切に敬意を示すことを保証するためでもあった。)
ノルウェーで実施されているようなプログラムは、2016年のヨーロッパで起きているような事態("taharrush")に対処するには充分ではないとしても、全ての人にとって利益となるようなものだ。新しくヨーロッパにやってくる人たちには、彼らの人生を社会的にも職業的にも成功させるための方法を教えてくれる。コミュニティにおける機会やリソースと移民を結び付けるのだ。そして、疑うことを知らない女性たちが危害に遭うことも、プログラムは防いでくれる。
繰り返そう。フェミニズムは異なる人種や異なるセクシュアリティの人にも影響を与えるのだから、そのことについてフェミニズムを見直すことは大切なことだろう。当然だ!しかし、現在は、フェミニストの価値観と"文化的寛容"が正面から矛盾しているという奇怪な状況である。政治家とメディアは"インターセクショナル"なフェミニストたちや"ポリティカル・コレクトネス"を恐れて身動きがとれなくなり、臭いものに蓋をするように問題を隠してしまった。誰にとっても有害な事態だ。女性を守り、ミソジニーに対抗するための方策が取られなかったのだ。そして、ノルウェーで行われているようなプログラムがあったなら助けられた人たちが、ただ放って置かれていたのだ。
ノルウェーで行われているようなプログラムについて「物議を醸すものだ」と見なす理由はないし、このようなプログラムは行われるべきでないと考える理由もない。
だが、自分のことを"レイシスト"であると見られるのを恐れる人たちが、このプログラムに反対する。自分が充分に"インターセクショナル"でないことを恐れている人たちだ。しかし、かなり自信を持って言うが、もしあなたがドイツの大晦日で起こった事件に心からショックを受けていないのなら…事件の後にも、移民問題と女性の安全との"インターセクション(交差)"について真剣に考え直さないのなら…あなたは物事について考えていないのだ。あなたは、危険で非生産的なドグマに盲目的に従っているだけなのだ。
要するに、"インターセクショナリティ"は暴走している。"インターセクショナリティ"は特定の人に対する寛容を選択的に促進しつつ、同意しない人たちを孤立させて排斥しているのだ。
なぜ、フェミニズムは"選択"に関するものではなくなったのだろう?支援の対象である多様な人々を一つの大義にまとめて、全ての物事についての同意を多様な人々に対して強制して、同意しない人に対しては非難する…いつからフェミニズムはそうなったのだろう?
もはや、私も本物のフェミニストではない。なぜなら、私は大学における言論の自由を支持しているからだ*15。
もはや、私は本物のフェミニストではない。ペニスの生えている人たちとロッカールームを共有することがどれくらい快適なのか、まだ決めかねているからだ。このことは私を差別的な人にする訳ではないだろう。ゾッとするような危険に数多く遭遇してきた女性としては普通のことなのだ。また、私は違う国籍・宗教であったり違った背景を持つ女性に影響する、明らかに非常に複雑である問題についても判断を決めていない。
もはや、私は本物のフェミニストではない。なぜなら、私はブリトーや中国料理を食べるが、これらの料理に関する文化や歴史や植民地性について充分に理解をしていなかったり敬意を払っていなかったりするからだ*16。更に悪いことに、私は何度かヨガの教室に参加している。あまりにも多くの文化的簒奪(Cultral Appropriation)を行ってしまっている!
私の他にも、本物のフェミニストではない人がいる。歌手のテイラー・スウィフトだ。彼女は音楽業界の中でも最もパワフルな女性であり、多くの慈善活動を行ってきて、自分自身のセクシーさやセクシュアリティではなく自分自身の才能に強固な信念を抱いているが、彼女は本物のフェミニストではない。彼女は以下のような素晴らしい言葉を発言しているが、それでも彼女は本物のフェミニストではないのだ。
(あまりにも多くの女の子たちが「私はフェミニストじゃない」と言っている。怒りっぽくて、恨みがましくて、不満たらたらな人たちのことをフェミニストだと思っているからだ。また、フェミニストと聞くと、女の子たちは暴動やデモを想像してしまう。しかし、フェミニストは女の子たちが想像しているようなものとは全く違う。フェミニストとは、単に、女性と男性は平等な権利を持つべきであり平等な機会に恵まれているべきである、という信念を持っていることを意味している。)
(男性が何人もの恋人を作って自分を愛している人をフってしまうことは、お茶目で楽しくてセクシーなことだと思われる。しかし、女性が8年間で3人か4人の男性と付き合ったなら、彼女はデート魔で尻軽女だと12歳の子供にネットに書き込まれる。男はそんな目にあわない。それが事実だ。)
(男の子を叩く歌ばかり歌っている、と私はたまに言われる。失恋についての歌を「男の子を叩く歌」呼ばわりするのは、本当に性差別的だ)
Everyday Feminismによると、テイラー・スウィフトは本物のフェミニストではない*17。「実生活においても歌のPVにおいても、テイラーがいままで恋愛の対象としてきた人は、全て、ストレートでシス・ジェンダーで健常者で体型のバランスが良くて中産階級か上流階級の白人である」(彼女の実際の恋愛の対象はどんな人なのか、ということは忘れてしまえ!彼女の歌のPVは彼女自身の個人的経験についてのものだということも忘れるんだ!芸術作品としての完成度も気にするな!彼女はゲイでトランスで障害者で太っていて貧しい黒人と付き合うべきなのだ、そうだろう?)。
テイラー・スウィフトは本物のフェミニストではない。彼女のバックダンサーは、人種的に非常に多様な才能ある女性たちの集団だが、テイラーはバックダンサーたちの「本当の友人ではない」のだ。テイラーが一緒に踊っている有色人の女性たちは"マイノリティの代用品(token minorities)"であるらしい。
そして、テイラー・スウィフトは本物のフェミニストではない。彼女の最近のミュージック・ビデオはアフリカを舞台にしているが、ビデオのなかで彼女は歴史を書き換えていないからだ。そして、彼女はビデオの収入を全て「アフリカ公園財団アメリカ支部」に寄付しているからだ。
その他いろいろ。
この記事を書いていて、私はあることを理解した。私が充分に"インターセクショナル"ではない、ということが問題なのではない。"インターセクショナリティ"というブランドはフェミニズムとは正反対である、ということが問題なのだ。もし、私の考えのうちのいくつかがあなたの考えと異なっていて、あなたには本当に受け入れられないとして…そして、自分のお気に入りの大義がフェミニズムの中心である"べき"だ、というあなたの考えに私が必ずしも賛同しないとしても…本物のフェミニストではないのは、私ではなくてあなたなのだ。
さて、以前の記事で書いた通り…「あなたが同意しないことを私が書いたとしても…私のフォローを外したり、友人リストから私を削除せずに、ただコメントを残してくれればいい(一部の人とは違って、スパムを貼ったり嫌がらせをしない限り、私はコメントを削除しない)。また、私に連絡して自分のゲスト投稿記事を掲載することを提案してくれてもいい。私は、自分が社会的で開放的な考えを持つ大人として育つことを楽しみにしている。あなたも同じように思っていてくれれば嬉しい」*18。
*1:
Dear Dudes: If You Think Women Are The Problem, YOU Are The Problem. - The Happy Talent
*2:
訳注:19歳の太った女性の肺ガンを医者が診断しなかったことは"medical fat-shaming"であると批判するEveryday Feminism の記事について、著者が「医者が肺ガンを診断しなかったのは、肺ガンがティーンエイジャーにとっては非常に珍しい病気だからであって、medical fat-shamingではない」という趣旨の反論をEveryday FeminismのFacebookページにコメントしたら、コメントが削除されてブロックされた、というエピソードについての記事。
*3:
10 Things to Remind Your Daughter to Do Every Day That Are More Important Than Brushing Her Hair - The Happy Talent 訳注:他にも複数の記事へのリンクが貼られている(いずれも著者がこれまでに書いてきたフェミニズム的な主張をしている記事)
*4:
*5:
Netanyahu hints at easing rules on firing at Palestinian stone-throwers | World news | The Guardian
*6:
Bastardization of black feminist theory propels Israel-bashing on campus | The Times of Israel
*7:
Anti-Semitic Incidents on College Campuses in 2015
*8:
Why I Dressed as Microaggressions for Halloween - The Happy Talent
訳注:イェール大学で起こった、ハロウィンの仮装はマイノリティ文化の人たちへのマイクロアグレッションになる、という議論についての記事。
「被害者性の文化」と「マイクロアグレッション」 - 道徳的動物日記
グレッグ・ルキアノフ, ジョナサン・ハイト 「アメリカン・マインドの甘やかし:トリガー警告はいかにキャンパスの精神的健康を傷付けているか」 - 道徳的動物日記
↑ 私が訳した、"マイクロアグレッション"について批判的に説明している記事。
*9:
Scale of Cologne New Year attacks grows as more than 600 complaints filed
*10:
Why We Can’t Stay Silent on Germany’s Mass Sex Assaults - The Daily Beast
*11:
Twitter storm as Cologne mayor suggests women stay at ′arm′s length′ from strangers | News | DW.COM | 05.01.2016 訳注:ケルン市長の発言は被害者非難であると批判されているようだ
【ケルン集団暴行事件】毅然とした対応を取らないのは左派の自滅行為だ | Bonny Brooks
*12:
Cologne attackers were of migrant origin - minister - BBC News
*13:
Mass sexual assault in Egypt - Wikipedia, the free encyclopedia
*14:
*15:
When Did Colleges Become Preschools? Why Students Should Stop Bitching About The Yale Email - The Happy Talent 訳注:イェール大学で起こったPCに関する事件などについての、著者の記事
*16:
I'm Not Appropriating Your Culture. I'm Just Eating My Burrito. - The Happy Talent 訳注:著者が、Everyday Feminismの「文化的簒奪(Cultral Appropriation)を行うことなくグルメになるためのフェミニズム的ガイド」という記事に対して反論している記事。
*17:
5 Ways Taylor Swift Exemplifies White Feminism – And Why That's a Problem — Everyday Feminism
*18:
The Top Happy Talent Posts of 2015... And What's Next in 2016. - The Happy Talent