道徳的動物日記

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2016年4月の世界における戦争と暴力の状況 (ジョシュア・ゴールドスティンとスティーブン・ピンカーの記事)

www.bostonglobe.com

 

 今回紹介するのは、国際関係学者のジョシュア・ゴールドスティンと心理学者のスティーブン・ピンカーが2016年の4月15日にBoston Globe誌に掲載した記事。2011年からの5年間で世界における戦争が激化し死者数も増えていたこと、だが2016年に入ってからは停戦が行われるなどして戦争と死者数が減少していること、などが書かれている。

 ピンカーは世界史レベルで見ると人間の暴力とか戦争とかは減少し続けてきたと『暴力の人類史』で論じているのだが、2011年に『暴力の人類史』の原著を出版してからも度々記事やインタビューなどでその時点での世界の暴力や戦争の状況がどうなっているかを説明したりしているようだ。

 尚、記事が発表されたのは4月15日で、その後も細かい状況は色々と変わっている可能性があるということは念頭に置いてほしい。

 

「戦争と暴力の減少」 by ジョシュア・ゴールドスティン & スティーブン・ピンカー

 

 大虐殺と大混乱のニュースは毎日のように伝わってくる。だが、静かに、2016年は世界の平和にとって良い年になろうとしている。たしかに最近の数年で戦争は拡大していたのだが、その傾向はこの瞬間にも弱まっているのだ。

 1945年から2011年までのおよそ70年間、戦争は全体的に減少し続けていた。戦争による死者数の世界的な割合は、10万人に対して22%だったのが0.3%にまで低下している。だが、シリアの内戦は私たちの世代で起こったなかでも最も血生臭い戦争となった。何十万人もの人々が殺されて、数百万もの人々が故郷を追われ、様々な外国勢力が戦争に参加したり戦争の支援を行ったりした。国連安全保障理事会はシリアの内戦にどう対処すればいいのかわからず完全に行き詰まってしまい、やがてISISが自分たちの領土を獲得した。そして、ISISの領土はイラクやさらに多くの国々へと拡大していったのだ。

 戦争は他の場所でも新しく起こってしまった。世界のなかでも最も若い国である南スーダン共和国は、部族的でグロテスクな暴力の舞台となってしまった。ナイジェリアの領土は、少女を誘拐することやその他の方法で市民を残忍に扱うことを偏好するテロ団体のボコ・ハラムに奪われてしまった。中央アフリカ共和国におけるキリスト教徒とイスラム教徒の対立は恐ろしい内戦へと発展してしまった。ロシアがウクライナからクリミアを奪ったのは明らかな国際法違反である。サウジ連合軍による不適切な空爆はイエメンを荒廃させてしまい、リビアの領土はISISを含む様々な武装集団によって分割されてしまった。そして、イスラム主義者の戦士たちがあちらこちらで爆弾を爆発させたり人を撃ったりしている。2014年(完全なデータが入手できるなかでは最新の年だ)には、戦争による死者数の世界的な割合は10万人に対して1.4%にまで上昇してしまった。それでも冷戦の時代に比べると遥かに小さい数字ではあるのだが、平和への道を進んできた世界が困ったことにUターンをしてしまったのも確かである。

 上述した戦争の大半がまだ終わっていないこと、そして派手で恐ろしいテロ攻撃が世界中の至る所で行われていることもあって、2016年の最初の3ヶ月間に起こった歓迎すべき事態にはほとんど全ての人が気付いていない。実は、戦争における暴力の程度は著しく低下しているのだ。その大きな理由は、シリアの内戦が一時的に停戦して、その停戦が6週間続いていることにある。 ISISやアル=ヌスラ戦線との戦いは継続しており、停戦違反も頻発しているとはいえ、シリアの大半の人々は安心してほっと一息をついているのだ。人道的支援へのアクセスも実質的に拡大している。シリア人権監視団によると、停戦が始まってからは人々が殺害される割合は以前の半分近くにまで低下している。つまり、最初の一ヶ月でおよそ2000人の命が助かったのだ。シリアで行われている戦争は現在の世界のなかでも最も大きな戦争であるから、シリアにおける戦争による死者数が減少したことは、世界全体における戦争による死者数の割合にも大きく影響することになる。

 ウクライナで昨年から行われている事実上の停戦は定期的に破られてはいるが、それも小規模であり、停戦以前に行われていた虐殺には及びもつかないものである。 南スーダン共和国でも、ある程度の戦争はまだ継続しているとはいえ、最近に統一政府が設立されたことは希望となるだろう。中央アフリカ共和国の内戦は終了し、首相選挙は首尾よく完了した。ナイジェリアではボコ・ハラムが小規模な攻撃を行い続けているとはいえ、彼らも主要な領土からは追い出されてしまった。パキスタンではテロ攻撃が継続しているが、数年前に行われていた主要な紛争は減退している。イエメンではつい最近に停戦が行われたところだ。捕虜の交換はすでに完了しており、来週にも和平交渉が行われる予定となっている。

 上述したような進歩は不安定で当てにならないものであるし、不完全でもある。 モザンビークアゼルバイジャンの事例のように、長きに渡った停戦でさえも決裂する可能性がある。イラクにおける死者数は減少しているように見えるが、喜ぶにはあまりにも不確かな事態だ。アフガニスタンにおける戦争が一段楽する兆しは全く見えてこない。

 しかし、ありがたいことに、主要な戦争が終わった後から新しい戦争が取って代わって起こるという事態にはなっていない。各国の統一された国家軍同士が戦う戦争は行われていない、という状況が現在でも続いていることは特に注目されるべきだ。各国の国家軍の兵士を合計すると2千万人を超えるし、彼らは頭からつま先まで武装された存在である。だが、最後に国家軍同士が争った戦争は2003年のイラク戦争まで遡る。たしかに、現在でも国家間同士の小競り合いは行われている。最近のアルメニアアゼルバイジャンの間の衝突、トルコによるロシア軍戦闘機の撃墜、北朝鮮と韓国との間の衝突などだ。だが、これらの小競り合いで生じる死者数は数十人程度であり、数十万人や数百万人ではない。数十万人や数百万人とは、イラン・イラク戦争やインド・パキスタン戦争など、歴史上で国民国家同士による全面戦争が行われた場合に出てきた死者数のことである。

 戦争が行われている地域の範囲も減少し続けている。コロンビア政府とコロンビア武装革命軍との間で行われた停戦は、西半球において起こっていた最後の政治的な武力衝突を終わらせたのだ。西ヨーロッパや東アジアは戦争が広汎に行われている状況から平和が永続的に続く状況へと移行した地域であるが、アメリカ大陸もそれらの地域の仲間入りを果たしたのである。

 実は、現在の世界で戦争が行われている全ての地域が、ナイジェリアとパキスタンを結ぶ弧形の範囲に収まっている。その範囲に含まれている人口は全世界の6分の1以下である。悲観主義者は「世界は戦争の真っ最中だ」と言いたがるが、それは事実からは程遠いのだ。もちろん、世界は戦争以外の種類の暴力に苦しまされ続けている。数十人を殺害するテロリストの爆弾、数千人を殺害するドラッグ・ギャングたち、そして数十万人が殺人の犠牲者となっている。だが、暴力の中でも最も重大な事態である戦争は、最近の5年間では拡大していたとはいえ、また改めて減退しているのだ。私たちはこの事実に注目するべきであるし、歓迎するべきである。

 今日に現れている微かの希望の光も、それが現れたのと同じくらいの速さで消え去ってしまう可能性はある。しかし、最近に行われた停戦や和平交渉は戦争による暴力を減少させることが可能であることを証明している、と数学者のように言うことができるだろう。暴力を減少させるための方策をさらに強く実施することで、平和はさらに堅強になる。国際社会は、2016年を過去5年間に広まってしまった戦争熱がついに止む年にすることができるかもしれないのだ。

  

 

暴力の人類史 下

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