道徳的動物日記

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肉食を正当化する心理

 

nymag.com

 今回紹介するのは、 Science of Usというwebページにジェシ・シンガル(Jesse Singal)という人が掲載した「肉食を正当化する4つの方法(The 4 Ways People Rationalize Eating Meat)」という記事。

 

Why We Love Dogs, Eat Pigs, and Wear Cows: An Introduction to Carnism

Why We Love Dogs, Eat Pigs, and Wear Cows: An Introduction to Carnism

 

 

 心理学者のメラニー・ジョイ(Melanie Joy)の研究をふまえて、ジャレド・ピアッツァ(Jared Piazza)の研究チームが行った調査結果について書かれた記事である。メラニー・ジョイは動物の権利運動や動物愛護運動の支持者で、人々が肉食をすることやその他の動物に対して危害を与える行為をすることについて心理学的側面から分析しており、対策も研究しているようだ*1。ネット上には動物の権利団体によるジョイの本の書評やジョイへのインタビューも多く掲載されているのだが、今回はあえて動物の権利運動とは関係のない人による中立的な立場から書かれた記事を紹介することにした。

 文中ではJustificationとRationalizationの両方が出てきて、後者には「合理化」という意味もあるのだが、この記事では全て「正当化」として訳している。また、Omnivorousという言葉は「雑食」という意味だが、文中で使われている際は全て肉食について言及している文脈なので「肉食」と訳している。

 

 

「肉食を正当化する4つの方法」by ジェシ・シンガル

 

 

 あなたが菜食主義に対してどのようなスタンスをとっているとしても、肉を食べることについて本質的に存在しているパラドックスを否定するのは難しいだろう。肉を食べる人の大半は、動物に危害を与えることについての気のとがめを少なくとも "ちょっとは"感じるはずだ。肉を食べる人の多くはペットを飼っているし、多くの人は自分が食べる動物が殺される過程を見たいとは全く思わないだろうし、動物を殺す過程に自分が加わることについては言うまでもない。「肉を食べること」と「肉を食べるために必要とされる諸々の行為を原則としては否定すること」との組み合わせは、肉を食べる人たちは自分の食習慣を正当化するための心理的方法を見つけだすであろうと示唆する。 Appetiteという学術誌に掲載された最近の論文は、この論題に新しい光を当てている*2

 ランチェスター大学の心理学者であるジャレド・ピアッツァ(Jared Piazza)の研究チームは、人々が自分たち自身が肉を食べることについて正当化する方法についての知見を深めるという目的のために、社会心理学者であり『肉食主義についてのイントロダクション:なぜ私たちは犬を愛し、豚を食べて、牛の革を着るか(Why We Love Dogs, Eat Pigs, and Wear Cows: An Introduciton to Carnism)』という素晴らしい題名の本の著者であるメラニー・ジョイ(Melanie Joy)の研究を飛び越えることになった。ジョイは「肉食を正当化する3つのN」という概念を発明している。ピアッツァたちは以下のように書いている。

 

 肉食の正当化には、肉食は自然である(Natural)・普通である(Normal)・必要である(Necessary)という「正当化の3つのN」として知られるものがある。周期的に起こる社会化のプロセスを通じて、人々は以下のように考えるようになる。

 肉食は自然である:肉を食べることは人間の生物学的な特徴であり、私たちは自然に肉を欲求する。私たちは肉を食べるように進化したのだ。

  肉食は普通である:文明化された社会では大半の人々が肉を食べるし、周りの人々も私たちが肉を食べると思っている。

 肉食は必要である:生きるためや、健康で頑強な人間になるためには、少なくともある程度の量の肉を消費する必要がある。  

  上記の3つのNは広く普及しており、家族・メディア・宗教・様々な種類の民営組織や公営組織などの社会的なチャンネルによって強化される、とジョイは主張している。例えば、「肉食は必要である」という考えに関係する俗説として、充分なプロテインを含んだ食生活はある程度の量の肉を消費しなければ不可能である、というものがある。栄養に関するアメリカの組織の中でも先導的な立場にあるアメリカ栄養士会(American Dietetic Association, ADA)がそのような俗説は間違っていると伝える発表を多数行ってきたのにも関わらず、この俗説はしつこく残っている。

 

 ピアッツァの研究チームは(聞いた後に振り返って考えると明白に思えるような)4つ目のNを付け加えた。肉を食べることはナイスである(Nice)、というものだ。つまり…複雑でアカデミックな用語を使うことになって申し訳ないのだが…ハンバーガーは美味しい、ということだ。過去の研究で「ナイス」が無視されたのは、正当化の根拠としてはあまりにも薄弱であるように聞こえるからだ、とピアッツァたちは考えている。つまり、他の大半の文脈では、正当化されない限りは道徳的に問題となる行為を「だってこれは気分がいいんだよ!」と言って正当化しようとはしないだろう、ということだ。だが、肉食という文脈では「ナイス」という正当化も一般的である、とピアッツァたちは推測した。だから彼らは4つ目のNを加えたのだ。

 そして、ピアッツァたちは論文のために一連の調査を行った。最初の2つの調査では、2つのサンプルの回答者たち(ペンシルベニア大学の学部生176人と、アメリカンメカニカルタークで募集された107人)に「なぜ肉を食べることに問題はないのか」ということについての理由を3つ挙げてくださいという、単純な質問を行った。研究の目的のために、質問は制限のない自由回答として提起されて、回答者たちには何らかの情報が与えられないようにされていた。

 

 結果は以下の通りである(訳注:原文では円グラフが掲載されている)。

 

1回目:必要36%、ナイス18%、自然17%、普通12%、人道的屠殺3%、宗教1%、サステナビリティ1%、その他12%

 

2回目:必要42%、自然23%、普通10%、ナイス16%、人道的屠殺1%、宗教3%、サステナビリティ1%、その他4%

 

  ご覧の通り、回答のうちの大多数が4つのNによって占めている。また、「必要」が肉食の理由として最も頻繁に持ち出されていることにも注目すべきだ。「必要」という信念は実証的に否定するのが最も容易いものである。一方で、これ程までに多くの人が肉を食べることについて間違った情報を持っているというのは興味深いことでもある(ピアッツァたちが注記で書いているように、異なった文化では人々はどのようにして肉を食べることを正当化するかということを明らかにするのも重要であろう)。

 ピアッツァたちは「健康で環境的にサステナブルな食習慣を促進することを目的とした、肉の消費を削減するキャンペーンにとって、4つのNの中でもどの正当化が特に大きな障害となっているのか」ということを知るのは役立つかもしれないと書いている。また、最も多くの人が行っている「必要」という議論による肉食の正当化は、最も「手強い」ものであるかもしれないとピアッツァたちは書いている。つまり、「必要」という議論は肉食を止めることに対しての抵抗力を持っているということだ。

 活動家たちが「必要」という議論に対して反論を行うであろうことは簡単に予想できる。「必要」という信念は最も多くの人に抱かれているものであるのなら、ターゲットにして反論した際の効果が最も大きい信念であるということにもなるのではないか?そして、ほんの少しググるだけで、菜食主義の支持者たちが「必要」という議論に焦点を当てているのを見ることができる*3。このアプローチの問題点とは、人間が行動を変えることについての知見をふまえると、単に「肉は必要ではない」と伝えるだけでは食習慣を持続的に変える見込みは少ない、ということだ*4。「必要」という議論は肉を食べることを正当化するために人々が最初に思いつく議論ではあるが、実際には人々が肉を食べる理由は栄養的な利点よりもずっと根深いものである(ピアッツァたちは「必要」という信念は「結局、最もしつこいものであるし覆すのが難しいものであるかもしれない」と考えている)。

 他の行動と同じように、肉を食べることも社会的な規範や習慣の網の中に根付いているものであるし、注意深く合理的な思考よりも感情のレベルに位置する諸々のことに根付いている。肉の消費を削減しようと目指している人は、冷たくて血の通っていない事実を示すよりも、行動に影響する社会的な規範や感情などを標的にした方が成功するかもしれない。

 

 

 

*1:

http://www.carnism.org/ ジョイが代表である「Beyon Carnism(肉食主義を超える)」というホームページ

*2:

Rationalizing meat consumption. The 4Ns

*3:

Catching Up With Science: Burying the "Humans Need Meat" Argument -

動物の権利団体による、「人間は肉を必要とする」という議論に対しての反論

*4:

http://nymag.com/scienceofus/2014/07/awareness-is-overrated.html

情報や何らかの問題に対する注意などが人間の行動を変えることは少ない、というようなことを論じた記事