道徳的動物日記

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トランプ政権について、ピーター・シンガーのコメント

 

vpoint.jp

 

 ↑ こんな記事も出ていることなので、シンガー本人はドナルド・トランプ米大統領についてどんなコメントをしているのか、簡単に調べてまとめてみた。

 

 

www.project-syndicate.org

 

 

 上述の、2017年2月1日付でProject Syndicateに発表された「トランプの最初の犠牲者」は、おそらくシンガーがトランプについてコメントしている中でも最新の記事。

 

 記事の冒頭では、トランプが当選した直後にはシンガーは抗議やデモに参加しなかった、ということが書かれている。「どれだけ悲しむべき結果がもたらされるとしても民主主義的手続きを尊重することは重要であると私は考えていたのであり、抗議の対象になるようなことをトランプ政権が行うまで待とうと思っていたのだ」。しかし、トランプが大統領に就任した数日後に、トランプ政権はさっそく非難に価することを行った。シリア難民の入国禁止と、難民受け入れの停止と、イラン・イラクリビアソマリアスーダン・シリア・イエメンの7カ国からの入国の禁止である。

 トランプは「9・11の教訓を忘れるな」と言って7カ国からの入国禁止を正当化したが、9・11の実行犯たちの国籍はエジプト、レバノンサウジアラビアアラブ首長国連邦である。この40年間、入国禁止された7カ国からのテロリストがアメリカ人を殺害したという事実はないのだ*1。また、イスラム国(ISIS)への参加者はイラン出身者よりもアメリカ出身者の方が多い。 ISISはスンニ派の組織であるし、イラン人口の90%を占めるシーア派はISISにとっては殺害の対象である。…つまり、トランプの大統領令は、テロを防いで米国の安全保障を高めるという効果を全くもたらさないのであり、非合理であるのだ。

 

 7ヶ国からの入国禁止は早速多くの人々を傷付けたが、少なくとも、傷付けられた人々の多くはテレビなどのメディアに出て自分たちの苦しみを語ることはできた。しかし、2017年の難民受け入れ総数が11万人から5万人にまで削減されたことや難民受け入れプログラムが4ヶ月間停止されたことによって苦しみを受ける人々のことを想像するのは難しい(メディアで取り上げるのも難しいので)。

 オバマ自由の女神像に刻まれている「自由の息吹を求める群衆」についての詩を取り上げながらアメリカは難民を受け入れるべきだと論じたわけだが、トランプは自由の女神の精神を裏切ったのだ*2

 大統領令に対しては早速裁判所が背いたりしている訳だが、そもそも政教分離という点でも問題を含んでいる。大統領令そのものには宗教に関する言及はないが、キリスト教徒に優先権を与えたいとトランプはTVインタビューで語っているのだ。また、言論の自由という点でもトランプは問題発言をしている。「憲法を尊重しない移民をアメリカは認めれられないし、また認めるべきでもない」「アメリカという国を支持してアメリカ国民を深く愛する人だけをアメリカに受け入れたい」とトランプは語っているのだが、現在アメリカへの永住権を持っているシンガーもトランプの基準では追い出されるかもしれない。シンガーはアメリカ憲法の欠点について論じたことがあるし、多くのアメリカ人を尊敬しているとはいえアメリカ人全体を「深く愛している」とは言えないからだ。

「私はアメリカ人の利益を常に優先する、とトランプは何度も繰り返して言っている。しかし、トランプは、他の人々に対しての利益よりもアメリカ人の利益を 無制限に 重視するつもりなのだろうか?」トランプの大統領令が引き起こした苦しみをふまえると、トランプは自分の主張を言葉通りに実践しようとしているのかもしれず、それは非倫理的でありクレイジーである、とシンガーは結論付けている。

 

 

davitrice.hatenadiary.jp

 

 …トランプが支持を得た背景には「グローバリズムのために傷付いた白人労働者階層の逆襲」みたいな現象が働いているとはよく言われるが、もともと功利主義者であり「利益に対する平等な配慮」を優先するシンガーは、アメリカ国内の人々の傷が癒えるからといってそれ以上の苦しみを他国の人に課すのは非倫理的だ、と以前から主張している。

 

www.bostonglobe.com

 2017年1月3日にボストン・グローブ紙に発表した「カナダやオーストラリアに移住してはならない」という記事では、トランプの問題点を指摘する一方で、トランプ政権を嘆いてカナダやオーストラリアに移住しようと言い出した反トランプ派のアメリカ人に対して、現実逃避して逃げるのではなくアメリカ国内にとどまってトランプ政権が生じさせる悪影響が最小限になるように努力するべきだ、と叱咤している。

 この記事で私が面白いと思ったのは以下の箇所。

 

 私の考えでは、トランプ政権のメンバーたちとの対話を行う意志と、彼らを人間として扱う意志を持ったうえで、私たちは(トランプ政権に対する抵抗を)始めるべきなのだ。彼らの意見が私たちのものとは異なるものであることは疑いないが、それでも、私たちは倫理と真実を念頭に置きながら抵抗をするべきなのだ。このことについては、私の亡き友人であり共に動物の権利運動を闘った運動家でもあるヘンリー・スピラから、私は教訓を得ている。1970年代や80年代において動物実験を行う人たちと動物の権利運動家たちとの間に存在していた対立ほど激しい対立を想像することは難しいだろう。だが、動物実験に反対していた人々の多くは実際に動物の苦痛を削減することにつながる成果は何も生み出せられなかった一方で、大企業の動物虐待に対してスピラが行ったキャンペーンは成功した。動物実験に反対する人々の多くは動物実験を行う人たちは動物を虐待するサディストであると表現していたが、大企業の行為を変えさせるためには「俺たちは聖人でお前たちは罪人だ、そしてお前たちを教育するために2人から4人ほどぶちのめしてやろう」と言うことは賢明ではない、とスピラは気が付いていたのだ。自分たちの運動が働きかけている対象の人々は、大半の人々と同様に、目標を達成するためのより良い手段が示されたなら正しい行為をするであろう、という前提を常に忘れないようにしながらスピラは運動を行っていた。最終的には、動物実験の代替手段に投資するようにレヴロン、エイボンブリストル・マイヤーやその他の主要な化粧品会社を説得することにスピラは成功した。やがて、それらの会社は動物に実験を行うことを止めたのだ。

スピラと同じように、私も、運動の最初に行うべきことは対話を行うことへの意志を持つことであるべきだと考えている。時には、協調的な身振りが踏みにじられることもあるだろう。別の場合には対話が始まるかもしれないが、その対話は何の着地点も導き出さないかもしれない。そのような場合には私たちは戦略を変えるべきだ。だとしても、まず最初に対話を行うことへの意志を持っていたことは、議論することなんて何もないという前提で運動を始めた場合よりも堅固な倫理的基礎を与えてくれるのだ。

対話が失敗して、抵抗する以外に選択肢がなくなったとしても、その抵抗は倫理的な基準に従って行われるべきだ。可能な場合には常に法の範囲内で抵抗を試みるべきだし、最終的な目的は私たちが正しいのだということをマジョリティに説得することにあるのを忘れるべきではない…そして、不公平なゲリマンダー選挙制度のもとでは、私たちは過半数よりも更に多くの人々を説得する必要があるのだ。最終手段としては、私たちはガンジーマーティン・ルーサー・キングを参考にするべきだろう。市民的不服従が倫理的な政治的戦略となる可能性はあるが、それは民主主義に適した形で行われる場合に限るし、そして非暴力的なものであるべきだ。市民的不服従を行う人は法に対する尊重を示さなければならないし、逮捕されることや行為に対して法律が課している処罰を受け入れて、自分たちの目的の正しさへのコミットメントを示さなければならないのだ。

 

 要するに、トランプ政権の行っていることは非倫理的であるしトランプ支持者たちも倫理的であるとは言い難いが、それはそれとして、トランプ政権を批判する側もただ単に批判するのではなくより善い結果がもたらされるように熟慮した上で倫理的な方法で批判しなければならない、というのがシンガーの意見であるだろう。

 

 

www.project-syndicate.org

 ちなみに、2016年の8月11日に発表した「トランプを支持する緑の党?」という記事では、特殊な政治的立場を持つ政党の意見が反映されづらいアメリカの二大政党制を批判している。

 

 

 

 

Ethics into Action: Henry Spira and the Animal Rights Movement

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