Voters deserve responsible nationalism not reflex globalism
社会心理学者のジョナサン・ハイトがCenter for Humans & Natureに掲載した「グローバリズム、ナショナリズム、愛国心の倫理」や、ハイトの記事内で引用されている経済学者のローレンス・サマーズの「有権者たちは、反射的なグローバリズムではなく責任あるナショナリズムに値する」という記事、あとジェフリー・サックスの「貿易の真実」という記事、あと以前に自分が訳した記事などを読んだ上での雑感。
2016年は、イギリス国民はBrexitでEU離脱に投票し、アメリカではポピュリストで反-移民的な政策をウリにしたドナルド・トランプが大統領に当選して、その他の先進国でも極右政党が力を伸ばしたりと、グローバリズムに対する反発とナショナリズムへの揺り戻しが目立った年だった。移民反対を唱えたり極右政党を支持する人々なんてただの偏狭な人種差別主義者だ、と言う左派もいるかもしれないが、そのような人々が少数派である時ならまだしも多数派になってきている現状では単に人種差別主義者だと言って切り捨てて無視することはできないだろう。
先進国の庶民がグローバリズムに反対するのは、グローバリズムは全体的に見れば世界を豊かにして途上国の貧困を減らすかもしれないが、先進国内では格差を広げているということにあるようだ。私は経済学が苦手で国際貿易のメカニズムとかTPPの内容とか各国でどんな経済政策が行われているのかもよく知らないのだが、サックスの記事によると「理想的なグローバリズムであれば、1)途上国の国民にとっては純粋に利益になる 2)先進国の富裕層にとっても利益になるが、先進国の労働者階級にとっては不利益である 3)しかし先進国の富裕層が得られる利益は労働者階級に分け与えても有り余るものだから、再分配すればいい … しかし、オバマ政権が行っていたようなグローバリズムとかTPPは多国籍企業に所得転移とか税金逃れを許してしまうので、富裕層が得た利益を労働者階級に再分配することが全くできていないのでダメ」ということのようだ。
自分が損をしているとすれば怒るのは当たり前だし、民主主義である以上は自分にとっての利益を代表してくれる方に投票するのは当たり前なので、労働者階級とかがグローバリズムに反対してトランプに投票するのも当たり前かもしれない(トランプが実行しようとている政策は本当に労働者階級にとっての利益になるかどうかとかヒラリーのそれに比べてどうだったかとかは知らないが)。
一方で、私はピーター・シンガーが主張しているような平等主義・功利主義の考え方にも影響を受けているので、例えばグローバリズムの流れが停止することで途上国の経済発展のスピードが緩んでしまい、貧困から脱出できずに苦しむ人が増えるとすればそれは悲しむべきことだと思う。アメリカ国内で貧困であることも十分に苦しいことだろうし自分の国内に利益を貪る金持ちがいるということについての憤りとか不公平感もあるだろうが、インフラや医療が整っていなかったり色んな物事のリスクが高いであろう途上国で貧困であることは日々を生き延びることすらも難しくするだろうから、アメリカで貧困であること以上に苦痛が大きくなるだろう。
ハイトは、国内の人々を優先的に道徳的配慮の対象とする価値観を「ナショナリストの道徳」と呼び、世界中の人々を平等に道徳的配慮の対象とする価値観を「グローバリストの道徳」と呼んでいる。近年、先進国の人々はエリート層は「グローバリストの道徳」を増していったが、2016年に起こったのはグローバリストに対するナショナリストの反乱である、とハイトは論じている。近年の事態を受けて、「国内のマジョリティにも配慮しなければならない。国内のマイノリティとマジョリティを結び付ける何らかの愛国心のようなものを主張しなければならない」と考える左派も増えているようだが、一方でイギリスの代表的な左派であるジョージ・モンビオットという人は、愛国心は国内での敵対関係は緩和するとしても国家間の敵対関係をむしろ悪化させると指摘しながら「愛国心というもののは101人のコンゴ人よりも100人のイギリス人を優先する考え方であり、国籍に基づいて人の価値に優劣を付ける非平等主義的な考えだから、常に非倫理的だ。人種に基づいて人の価値に優劣を付けるレイシズムと本質的な違いはない」ということを論じているようだ。だが、ほとんどの人は政府は自国民を優先するべきだと考えているだろうし、個人レベルでも外国人よりは自国民に対してより強い義務が存在すると思っている人が大半だろう。モンビオットのような主張はあまりに理想主義的で非現実主義的で、反感しか買わずに、「ナショナリストの道徳」を抱いている人と「グローバリストの道徳」を抱いている人との対立関係を悪化させてしまうだけだ。そして、以前から「デュルケーム功利主義」を説いているハイトは、愛国心や共同体という社会関係資本が人々の精神的健康や幸福に与えるプラスの影響を強調して、左派も愛国心の利点を認めるべきだ、と論じている。同じく、サマーズもモンビオットの主張するようなコスモポリタニズムを否定して、自国民を優先するべきだと主張している。
ただし、じゃあ外国人は全く無視してしまってもいいのかというとそうでもなくて、ハイトは政治哲学者のデヴィッド・ミラーが論じているように「弱いコスモポリタニズム」は必要だろうと論じている。要するに、外国に住む人々も道徳的配慮の対象にはするし自国の利益になるかといって好き勝手やることは許されないが、それでも自国民の方の利益に外国人のそれよりも多くの重みを与えるべき、という主張だ。
…私もこの「弱いコスモポリタニズム」の考え方はまあ常識的なものであると思うし賛同できるのだが、問題なのは、自国民の利益をどれくらい優先して外国人の利益をどれくらい割り引くかということにあるだろう。トランプが「アメリカ・ファースト」を主張するのは大統領としては当たり前かもしれないが、アメリカ国民の利益を無限に優先して他国民の利益を全く無視するのもやっぱり非倫理的だ。シンガーが指摘しているように、先日の大統領令は他国民に非常な苦痛を引き起こしている(しかも自国民に対しても大した利益を与えていない)訳で、トランプがこのような行為を続けるのなら非倫理的であると判断せざるを得ないだろう。
また、例えばアメリカやフランスのように自由や平等のような理念が(実態はどうあれ)国家創設時に明確に刻まれている国なら、国内の弱者やマイノリティを包括するような愛国心を構築することも可能かもしれないが、その種類の理念がない国で包括的な愛国心を築き上げるのもなんだか難しいような気がする。
…ともかく、グローバリズムに対する反発やトランプの当選の背景には然るべき背景が存在しているだろうし、グローバリストや左派は(相手を人種差別で非倫理的だと批判しているばかりではなく)その現実に対応する必要があるだろう。
他方で、然るべき背景があるからといって、トランプがやっていることやグローバリズムに対する反発が何でもかんでも正しいということにもならないだろう。移民や難民を大量に無制限に受け入れることは文化摩擦を生じさせて不毛で有害な対立を引き起こすだろうし、受け入れ国の文化への同化をある程度は求めることも不合理ではあるとは私は思わない。ただし結局のところ程度問題であるし、全く受け入れないのもやっぱり非倫理的だ。既に受け入れている、(犯罪を犯していない)移民に対する排斥や差別を正当化しようとすることも論外である。
トランプが当選して以来日本語圏のSNSや論壇でも「反ポリコレの勝利だ」とか「反グローバリズムの正しさが証明された」みたいな主張をよく目にするようになったが、海外で起こっている現象にかこつけて自分自身の保守的な気質とか外国人差別や異文化差別を正当化しようとするような言説も多く見かけられるようになってきて、これは単純に見ていて不愉快である。ハイトを始めとして、真っ当な論客の多くはトランプ当選の背景を分析したり愛国心の有益性などについて説く際にも、「人種差別は許されない」と言明したり、トランプの行為で非難するべきところは非難しているはずだ。
例えば、人間という生き物や人間の集団には排外主義的な傾向が備わっていることは心理学的・社会学的な事実であるだろうし、政治というものはその現実に対応して行われるべきだろうが、それはそれとして、排外主義は非倫理的ではある。他人の排外主義や社会現象としての排外主義などに対して個人として対処して改善することは難しいかもしれないが、自分自身の排外主義を抑えることは誰にでも可能なはずだし、外国で排外主義の力が増していることを幸いに「俺の排外主義も正しいんだ」と言い張るのはやっぱり情けないだろう。