道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

『オクジャ』と動物愛護

www.excite.co.jp

www.gizmodo.jp

 

 Netflixポン・ジュノ監督の『オクジャ』を観賞。普段はこのブログでフィクション作品の感想を書くことはほとんど無いのだが、『オクジャ』は明らかに動物倫理的なテーマを扱っているということもあって、ちょっと感想を書いておく。ストーリーの説明は適当だし多少ネタバレもしている。

 

 韓国の田舎に暮らす少女ミジャと、ミジャと子供の頃から一緒に育ったスーパーピッグ(という映画内で登場する家畜の品種)のオクジャがこの映画の主人公である。とある事情でオクジャがミランドという畜産会社によって韓国からニューヨークまで連れて行かれることになって、しかもやがてオクジャは屠殺されて食肉になるということを知ったミジャはそれを止めようと一人で家を旅立って孤軍奮闘するが、オクジャを利用してミランダ社が行っている動物虐待を暴露しようと目論む動物解放戦線(同名の実在の団体をモデルにしている)がミジャの前に登場して、なんやかんやあってミランダ社と動物解放戦線の双方の思惑に翻弄されつつミジャはオクジャを救おうとがんばる…といった感じのストーリーである。

 

 ジュノ監督は上記のインタビュー記事にて「『オクジャ』も肉食そのものへ反対しているわけではなく、資本主義による利潤を目的とした工場生産式の畜産などについて批判をしています。」と発言しているが、映画内ではオクジャをはじめとするスーパーピッグは遺伝子組換えで造られていたこと(しかも消費者に対してその事実が隠されていたということ)が明らかになったり、終盤ではベルトコンベヤー式的な屠畜方法でスーパーピッグたちが殺されていったりオクジャも殺されそうになるシーンはあるのだが、ミジャと共に自然の中で幸せに育つオクジャの姿は描かれていても、工場に一生監禁されたまま育っていくその他の家畜たちの姿は描かれていない。工場式畜産を批判する人たちが問題視しているのは動物が死の間際の短時間に経験する屠畜方法だけでなく、むしろ動物が長年にわたって経験する苦痛に満ちた生活の方が重視されていることをふまえると、工場畜産を批判する映画としてはやや踏み込みが足りなかったり中途半端なところがあるかもしれない(なお工場畜産は環境や人間の健康にも危害を与えるという点でも問題視されているが、そこも映画ではあまり触れられていない。スーパーピッグが遺伝子組換え動物であることが環境や健康に影響を当たる可能性については間接的に触れられていたと思うが、工場式畜産と遺伝子組換えの問題は関わっている場合も多いとはいえ同一の問題ではない)。私としては、「残酷」「動物好きにはキツい」という前評判からして憂鬱で救いのない畜産動物の生育過程のシーンが映されるかとビクビクしていたら、屠殺シーンやオクジャが無理矢理交尾をさせられたり肉を採取されるシーンくらいしか残酷なシーンがなかったのでむしろ拍子抜けしたくらいだ。まあエンタメ映画としてはあまりに憂鬱なシーンを映しづらいというのもあるだろうが、工場畜産特有の問題である「動物を狭く孤独な環境に閉じ込めて苦痛に満ちた一生を過ごさせたうえで、食肉にするために殺すこと」を描きたいのか肉食全般の問題である「(その動物が幸福な一生を過ごしたか苦痛に満ちた一生を過ごしたかにかかわらず)感覚や豊かな情感を持った動物を、食肉にするために殺すこと」を描きたいのかのどちらかなのかがボヤけていた感じは否めない。

 

 とはいえ、家畜の大量生産や遺伝子組換えやベルトコンベヤー式的な屠畜方法などをふくめた現代における肉食産業一般、あるいはメディアを利用して偽りのイメージを振り撒いて自分たちの商売の実態を隠して消費者を騙すという悪行を為す現代の企業なり資本主義全般なりを批判対象とした映画であるというのは確かだろう。上記のレビュー記事では「大企業と動物愛護団体はどちらもエゴイスティックに振る舞い…」と書かれているし、Twitterなどの感想を見ても「企業も動物愛護団体もどっちもどっちに描かれている」という感想が目立つが、私が観賞した限りでは、この映画では企業や資本主義についてはかなり批判的・戯画的に描かれている一方で動物愛護団体(動物解放戦線)についてはけっこう同情的・好意的に描かれているように思えた。たしかに動物解放戦線が主人公ミジャの意思を裏切る行動をしたりオクジャを目的のために利用するシーンもあるのだが、オクジャを利用することについては団体内でも意見が割れていたりミジャの意思を裏切ってしまったことについても後のシーンで団体のリーダーがミジャに謝罪していたり、エンドロールの後にも動物解放戦線のメンバーたちが次なる計画のために集合するシーンがポジティブな感じで描かれていたり、ミランダ社にこき使われていた一般人キャラが動物解放戦線の行動に感銘を打たれて?動物解放戦線に加わるようになるなど、大企業であるミランダ社が終始悪役として描かれていた一方で動物解放戦線は第二の主人公のように描かれていたように思える。特にポール・ダノが演じる、理知的で線が細くてちょっと頼りない感じだが誠実に頑張っているリーダーのキャラクターは魅力的だ。

 ついでに書くと、オチのネタバレになってしまうが、主人公は最後の最後で資本主義のルールを逆利用してオクジャを救う。これに監督の皮肉を見出す感想なども目にしたが、私からすればこのオチはなんだか取って付けたもののような気がして、あまり感心しなかった。

 

 もちろん映画なんてフィクション作品である以上は感じ方は人それぞれと言えるだろうが、『オクジャ』は(肉食全般に反対しているのか工場畜産に反対しているのかはわかりづらいが)畜産という習慣について批判的に描いていることは明らかであるように思えるし、動物愛護運動や動物の権利運動に対しても概して好意的なメッセージを発しているように私には思える。実際、アメリカの代表的な"穏健派"の動物愛護団体であるアメリカ人道協会の現代表者であるポール・シャピロは英語版ハフィントンポスト誌で『オクジャ』を題材にして家畜動物全般への配慮を説く記事を掲載しているし、"過激な"動物の権利団体の代表的な存在であるPETA(動物の倫理的扱いを求める人々)も自団体のホームページにて『オクジャ』を見た人々のTwitter上での反応を紹介するなど、動物愛護運動・動物の権利運動団体も『オクジャ』に対して好意的な見方をしているようだ。

 2015年の映画『マッドマックス 怒りのデスロード』では、多くの論者が作中に込められているフェミニズム的なメッセージが指摘したのに対して「これは頭を空っぽにして純粋に楽しめるエンターテイメント映画だ、フェミニズムなんてイデオロギーは関係無い」みたいな反応をする人々がいたりして話題になったり議論になったりしたものだが、『オクジャ』に関して「大企業も動物愛護もどっちもどっちに描かれている」と言ったり「この映画は畜産反対や動物愛護などのメッセージが描かれているわけじゃない、純粋なエンタメ映画なんだ」と言いたがる人たちも「マッドマックスはフェミニズム映画なんかじゃない」と強弁していた人たちと同じようなものだ、というような気持ちを私は抱いてしまう。エンタメ映画といっても何事にも中立であったりするわけではなく何らかのメッセージに肩入れしたり何らかの企業なり慣習なり制度なりを批判することはよくあることだし、エンタメ映画だからといって倫理的・政治的・社会的なメッセージが皆無であるというはずもないのだが、特に畜産や肉食という多くの人にとってあまりに日常的になっていて変え難い習慣となっていることについては、映画内でそれに対して批判的なメッセージが発せられていたとしても拒否したり無視したりしたくなるという防衛本能みたいなものがはたらくのかもしれない。

 

 

豚は月夜に歌う―家畜の感情世界

豚は月夜に歌う―家畜の感情世界