道徳的動物日記

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「啓蒙をめぐる戦争」(『Enlightment Now』への批判に対するスティーブン・ピンカーの応答)【その1】

 

 2018年の初頭に出版されたスティーブン・ピンカーの新著『Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (現代の啓蒙:理性、科学、人道主義、進歩を擁護する)』は、多くの批判にさらされてきた。タイトルの通り合理主義や科学を擁護して、非合理的な考え方や信仰を批判するこの著作は、特に文系のインテリの気に障ったようだ。ピンカーが「啓蒙」を人々の生命を助けたり社会を豊かにしたり個人を道徳的にさせたりするものとして称える一方で、批判者たちは啓蒙主義レイシズム帝国主義・人々の生存に対する脅威・孤独や自殺の原因として非難する、というのが主な構図である。また、批判者たちは「人類は進歩しており、世界の状態は良くなり続けている」というピンカーの主張を「データをチェリーピッキングして作り上げた幻想だ」とみなし、啓蒙主義トランプ大統領に代表されるような権威主義ポピュリズムソーシャルメディア人工知能に取って代わられる旧世代の遺物だ…と冷笑する。

 しかし、ピンカーの方も批判されっぱなしではいられない。『Enligtment Now』の出版から一年経った段階で、それまでに寄せられた数ある批判に対して再反論を行った…というのが今回紹介する記事。訳しての紹介ではなく、要約して紹介する*1

 

 なお、なにしろ長い記事なので、二分割して紹介することにした。今回は前半の四つの批判とそれに対するピンカーの応答を紹介しよう。

 

quillette.com

 

批判その1:ピンカーは18世紀の啓蒙主義をはき違えている。啓蒙主義には様々な種類があり、科学的な人道主義者もいたが、信仰に基づいて人道主義を実践していた人もいたし、啓蒙主義者の一部はレイシストだった。科学的人道主義だけを啓蒙主義者とみなして宗教的人道主義啓蒙主義者と見なさい、マルクス啓蒙主義者に含めないなど、ピンカーは自分の主張に都合よく「啓蒙」を定義している。

 

ピンカーの反論:「啓蒙主義とは"実際には"どのようなものであったか」、というタイプの批判は的外れだ。『Enlightment Now』の副題は「理性、科学、人道主義、進歩を擁護する」であって、「18世紀の思想家たちを擁護する」ではない。啓蒙主義者の中にレイシスト帝国主義者反ユダヤ主義者がいたことは『Enlightment Now』の中でも言及している。啓蒙主義というものは数え切れないほど多くの人々が的外れな主張も行いながらも徐々に作り上げられていってものであって、「誰が啓蒙主義者であり、誰が啓蒙主義者でなかったか」なんて答えようがないことだ。

 私が「Enlightment(啓蒙/啓蒙主義)」という言葉をタイトルに選んだのは、私が擁護しようとする理念(世俗的人道主義、リベラルなコスモポリタニズム、開かれた社会など)を包括する言葉であるからだ。つまり、「人類の福祉を向上させるために、理性と科学を用いる」という意味を持つ現代語として、「Enlightment」という単語を用いている。『Enlightment Now』は思想史の本ではないので、18世紀当時の人々が「Enlightment」という言葉をどういう意味で使っていたかは本のテーマとは関係ない。

 

批判その2啓蒙主義レイシズム奴隷制帝国主義、ジェノサイドを生み出したのであり、賛辞に値するものではない。

 

ピンカーの反論:私が『暴力の人類史』で示してきたように、レイシズムやジェノサイドなどは啓蒙主義が登場する前から存在してきたのであり、啓蒙主義がそれらを生み出したのではない。むしろ、啓蒙主義は「レイシズムやジェノサイドなどは道徳的に間違っている」という考えを生み出したのだ。

 レイシズム古代ギリシャの思想家の著作にも見受けられるし、帝国は紀元前2300年にも存在している*2。もちろん、奴隷制古代ローマの時代からあった。そして、キリストもブッダムハンマドソクラテスも、奴隷制が間違っているとは言わなかった。しかし、啓蒙主義によって初めて人々は「人類は平等であり、人々を不平等に扱う帝国主義奴隷制は間違っている」という考えを抱くようになり、帝国主義奴隷制に対する反対運動を行うようになったのだ。

 19世紀後半から科学的レイシズムや民族的ナショナリズムが登場したのは確かだが、「啓蒙主義は、その後に登場した物事全てに責任を負う」という主張は誤りだ。むしろ、科学的レイシズムや民族的ナショナリズムの原因は19世紀に登場した反・啓蒙主義ロマン主義、進化論の誤った解釈などにある。

 帝国主義などと同じように虐殺をもたらした全体主義共産主義に関しては、確かにルソーの思想は源流の一つにはなっているが、ルソーは科学や理性を否定した。共産主義は非科学的な思想であり、科学と理性を重視する啓蒙主義とは相容れないものである*3

 

批判その3:ピンカーは「世の中は何事につけて良くなっているから心配するのは止めよう」と言うが、なぜそんなことが言えるのだ?海洋プラスチック問題・オピオイド中毒・学校での銃乱射・アメリカで逮捕者が多すぎる問題・ソーシャルメディアトランプ大統領などの問題についてはどうするつもりだ?

 

ピンカーの反論:『暴力の人類史』でも論じたように、「進歩」とは直感に反する概念であり、人々は進歩について理解していない。「楽観主義者は進歩を肯定して、悲観主義者は進歩を否定する。進歩しているかしていないかという問題は、定義や答えがあるものではなく、物の見方次第だ」と考える人が多いが、それは違う。ハンス・ロスリングが『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』で論じているように、実際のデータを見れば世の中が進歩しているということは明確なのであり、進歩を否定する人は悲観主義者ではなく単に無知なだけである。

 とはいえ、進歩とは「全ての物事が良くなっている」と言うことではない。進歩とは「完璧な状態」ではなく「より良い状態」のことだ」。進歩とは奇跡ではなく、問題をひとつひとつ解決することでもたらされるものである。ある問題を解決することが、別の問題を生み出すこともある。しかし、過去に比べて現在の方が人類の状態が改善されているのであれば、やはり進歩は現実に存在していると言える。

 世界はより良くなっているからといって、現に今の世界で苦しんでいる人のことを無視してはいけない、という主張はもっともだ。だが現在の問題に対する解決策には、「進歩」に対する考え方が関わってくる。もし「いま問題が残っているのだから、これまでに人類が行ってきた努力なんて無駄だったんだ」と考えてしまったら、現在の問題に向き合う気も無くなってしまうだろう。進歩をきちんと認められる人なら、現在の問題に対しても建設的な向き合い方ができる。

 

批判その4:「世の中は良くなっている」と主張しているために用いられているデータは、どれもチェリーピッキングしたものだろう。

 

ピンカーの反論:チェリーピッキングではなく、あらゆるチェリーを集めた結果が、人類の進歩を示しているのだ。進歩の指標として、暴力や戦争や犯罪の減少・各種の差別の減少・経済・健康・教育など、思いつく限りのありとあらゆる項目のデータを収集したが、どの項目でも「世の中は良くなっている」ということが示されている。データの元も、研究者の論文や、国や国連などの機関が発表している統計など、様々だ。収集可能なデータの都合上、アメリカやイギリスに関する統計が多くなっていることは確かだが、この二カ国は先進国のなかでは進歩が遅れている方の国だから、私の主張にとって都合が良いデータの集め方とはいえない。

 単語の定義を変えることで進歩を否定することはできるかもしれない…例えば、「貧困」の閾値を下げることで「貧困が減った」という主張を否定することはできるかもしれないが、その手段でも「世の中が悪くなっている」と主張することはできない。

 そして、私だけでなく、ハンス・ロスリングをはじめとした数多くの人々が、「世の中は良くなっている」ことを示す本を『Enlightment Now』の後に出版している。 

 チェリーピッキングとして非難されるべきなのは、むしろ、読者の悲観的バイアスを増長させるためのセンショーナルな記事ばかりを発表するジャーナリストたちの方だ。戦争や飢餓や暴政の歴史にばかり注目して平和や飽食や調和の歴史に注目しない、歴史学者たちにも責任がある。

 環境問題に関しては、確かに、この250年間では地球環境は悪くなった。しかし、最近の10年間では世界各国で自然環境がみるみるうちに改善している。地球環境に対する最大の脅威である地球人口地球人口の増加率も、1962年をピークにして減少し続けている。

 二酸化炭素の問題については『Enlightment Now』の中で論じているが、生物多様性や水資源の問題など、他にも心配な環境問題が残っていることは確かだ。しかし、私の狙いはすべての環境問題の状態を要約することではなく、主流派の環境運動家や環境ジャーナリズムによる運命論的な主張に対して反論することにあったのだ*4

 

 

*1:あらかじめ断っておくと、私自身はまだ『Enlightment Now』を読んでいない。仕事の都合で500ページ以上もある洋書を読む時間が取れないし、ピンカーの著作ならそのうち翻訳されるだろう、というのが主な理由。また、紹介文や書評を見ていると内容やテーマが同じピンカーの『暴力の人類史』やマイケル・シャーマーの『The Moral Arc: How Science and Reason Lead Humanity toward Truth, Justice, and Freedom (道徳の弧:科学と理性はいかにして私たちを真実と正義と自由に導くか)』、日本でも話題になっているハンス・ロズリングの『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』などと同工異曲で大同小異な代物に思えてきてわざわざ原著で読む気が起きない、というのもある。なお、『暴力人類史』や『道徳の孤』に関しては以下の記事などで紹介している。

davitrice.hatenadiary.jp

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*2:アッカド帝国のこと。

*3:ナチスなどの全体主義啓蒙主義を結びつけるタイプの批判に関しては、手前味噌だが、私の記事も参照してほしい。

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*4:環境問題に対するピンカーのスタンスはこちらを参照。

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