道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

読書メモ:『幸福と人生の意味の哲学』(1)

 

幸福と人生の意味の哲学

幸福と人生の意味の哲学

 

 

 先日に『若者のための<死>の倫理学』についての記事を書いた時には同著を(否定的な意味も込めて)「"文学的"な哲学」と読んだが、この本に関してもかなり"文学的"な匂いがするタイプの哲学本である。というか、この本の冒頭からして、『若者のための<死>の倫理学』が好意的に取り上げられており、同著で提示された問い(「不幸なのに、どうしようもなく苦しいのに、死んだ方が楽であるのに、なぜ生きていかねばならないのか」)がこの本でも引き受けられている*1。そして、この本の著者のスタンスはさらに過激だ。

 

思うに、本節で紹介したメッツと伊勢田と戸田山は一般に<矛盾>よりも<整合性>を重視し、人生の意味に関しても整合的な言説および態度を彫琢しようとしています。だが私は、生の有意味性に関してはそうした<整合性>の追求はかえって道を誤らせるものだ、と考えています。実際-本節で見てきたように-人生の意味は、直接語ろうとすればかえって語り損なってしまうものであり、むしろ語らないことによって語られる(あるいは示されうるもの)でしょう。私は、メッツや伊勢田や戸田山の本書で引用したような文章を読むと、かえって人生の意味の適切な理解から遠ざかってしまうように感じるのです。

一般的な点についてひとこと述べさせてください。メッツや伊勢田や戸田山の哲学実践に欠けているものは、言ってみれば、「弁証法」の精神です。彼らは哲学を単純に「学問」と考えている、と私には考えられます。これに対して私は哲学が「学問」でありながら「学問」でないと考えている。なぜなら哲学とは、その重要な意味において、<生という普遍的な場と学という特殊的態度が交錯するところで成立するもの>だと言えるからです。この点を掴むならば、特殊の学問的理論を提示することで持って「哲学をしている」と見なすことはできず、むしろ哲学においては《自分の理論構築、自分の語り、自分の行為、そして自分の生き方が、全体としてどうなっているのか》を「配慮」あるいは「世話」せねばならないと気づかれるでしょう。何をどう語るかも重要なのですが、何をどう語るかに止まらず《全体的にどう生きるか》こそが問題だ、ということです。

(p.177-178)

 

 本書の全体で貫かれているのは、「幸福」や「人生の意味」について、説明の整合性にばかり気を取られがちな理論の枠内に収めこんで解説したり、誰にでも理解できて実践できるていの人生指南のようなものに押し込めて語ることに対する批判だ。そして、幸福や人生の意味とは超越的であり「語りえぬもの」だとしながら、文学作品や文人の随筆文を引用したり著者自身の体験や信念などについて記述したりすることで幸福というものの様々な表れ方を例示することで、間接的に「幸福」や「人生の意味」の本質をつかもうとする…という、そんな書かれ方がしている。

 たしかに、著者が引用している随筆の文章やエピソードなどは胸にグッとくるものが多く、それと比較すると、欲求充足説だとか客観的リスト説だとかの英語圏倫理学理論はいかにも淡白で虚しいものだと思えてくるし、ストア派の主張も自己啓発紛いな気休めのテクニックに過ぎないように感じられるのはたしかだ。

 …が、このブログで何度も何度も繰り返し書いているが、私は文学が嫌いである。文学作品や文人たちの名文にこそ世の真実が反映されるというタイプの考えは、私は否定していることにしている。むしろ、文学に描かれているのは特定の種類の"真実らしさ"でしかない。文学や随筆の題材として映えるテーマや状況や事柄などが選択的に選ばれて、主観のレンズによって特定の要素が拡大して取り上げられて特定の要素がオミットされているものだと考えているのだ。

 文学的なタイプの哲学は悲観的かつ極論にはしりがちであり、この本もその傾向から外れていない。基本的には日々の人生に意味を感じることは難しく、日常が平穏であることや毎日の平均的な楽しさのような卑俗な幸福はあまり重視されていない一方で、人生の特別な瞬間に訪れる感動だとか何らかの人生のドラマティック性みたいなものが強調されている節がある*2。もちろん理論的考察や哲学的分析が放棄されている訳ではなく、それらもちゃんと行われているのだが、やはり本の全体的な趣旨や構成には強い違和感を抱いた。

 とはいえ、本の細部を見ると、考えさせられるところや面白いところも多々あった。それらの部分については後日の記事で紹介しよう。

*1:私が個人的に面白く感じたのは、この本の冒頭では私が苦手に感じた『若者のための<死>の倫理学』が取り上げられる一方で、この本の結末部分では私も好意的に読めた『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』が取り上げられることだ。また、私が面白く読めた森村進の方の『幸福とは何か』が第10説にてボロクソに叩かれている一方で、私にはひどくつまらない本だと思えた長谷川宏の方の『幸福とは何か』が好意的に取り上げられていたりする。

*2:『生きていくための短歌』に収録されている夜間高校生の短歌やその背景にあるエピソードを取り上げるくだりは、「感動ポルノ」のおもむきすら感じられた