道徳的動物日記

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「マイノリティの被害者意識」に関する議論のジレンマ

 

 

『良き人生について:ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵』については以前にも紹介したが、あらためて、この本の第11章「侮辱」からちょっと気になったところを引用しよう。

 

今日では、侮辱に対してユーモアで応えるとか、何も言わないとかいった対応は、ほとんどの人から好まれないだろう。とくに差別的表現の撤廃(ポリティカル・コレクトネス)を求める人びとは、一定の侮辱については罰を与えるべきだと考える。彼らの矛先が向かうのは、マイノリティ・グループや心身障害者をはじめ社会的・経済的に困難をかかえた人びとなど、「恵まれない」人びとに向けられた侮辱である。彼らはこう主張するーー恵まれない人びとは、心理的に傷つきやすい、したがって世間からの侮辱を放置していたら深刻な心理的ダメージを被るだろう。そのために彼らは、恵まれない人々を侮辱する者たちへの処罰を求めて、政府、雇用者、学校行政当局に請願するのである。

エピクテトスならば、この対応はきわめて逆効果だとして拒むだろう。たぶん彼は次のように指摘するのではないか。まず第一に差別的表現撤廃運動にはいくつかの厄介な副作用がある。その副作用のひとつは、恵まれない人びとを侮辱から守るプロセスが、逆に彼らを侮辱に対して過敏にさせる傾向があることだ。その結果彼らは、直接の侮辱だけでなく、侮辱のほのめかしにさえ、針を感じることになる。ふたつめの副作用は、恵まれない人びとが、自分だけでは侮辱に対処できないと思い込んでしまうことである。当局に介入してもらわない限り、無力な自分にはどうすることもできない、と。

エピクテトスならばこう言うだろう。最も良い方法は、侮辱する人間を罰するのではなく、恵まれない人びとに侮辱から身を守るテクニックを教えることである。彼らに一番必要なのは、自分に向けられた侮辱から針を取り除く方法を学ぶことだ。そうしない限り、彼らは侮辱に対して過剰に敏感になり、その結果、侮辱されれば相当な苦痛を経験することだろう。

じつはエピクテトス自身もまた、現代の基準で言えば二重に恵まれない人間であった。彼は足が悪かったばかりか、奴隷でもあった。こうした障害にもかかわらず、彼は侮辱を超越する方法を考え出した。もっと重要なのは、運命が彼に与えた悪い手札にもかかわらず、喜びを経験する方法を見いだしたことである。現代の「恵まれない」人びとは、エピクテトスから多くを学ぶことができるはずだ。

(p.159 - 160)

 

 ここでアーヴァインが問題視していることは、「マイクロ・アグレッション」という概念に関して心理学者のジョナサン・ハイトが問題視していることと同様のものであるだろう*1

 

マイクロアグレッションという概念にかかると、「自分が傷ついた」という感情が、相手を非難することを正当化する根拠になってしまう。最初は不愉快であったり攻撃的に聞こえた発言であっても、相手の発言についての真意をたずねたり「どのようなことを主張しようとしているのか」と冷静に解釈したりすることで誤解が解けたり建設的な対話がスタートする可能性はあるものだが、その可能性が閉ざされてしまうのである。

さらに、マイクロアグレッションのような概念は、学生たち自身の精神的健康にも良からぬ影響をもたらす。他人に対する非難を優先して自分の感情の正当性を吟味することを怠らせるだけでなく、「自分が被害者である」とか「自分は傷つけられた」といった意識が他人を批判する根拠になると思わせることは、そのような意識を積極的に持つように本人を動機付けてしまうのである。その結果、学生たちは、「自分は被害者である」という意識から逃れなくなるのだ。

そして、自分の内面や感情が他人の言動にいちいち左右されてしまうことは、本人に無力感を与えてしまうことにもつながる。相手の言動によって傷ついたことを重視するような受け身の姿勢ではなく、相手の言動を冷静に受け止めて対処できるような考え方を養うことの方が、本人にとっても有益であるのだ。

 

「ポリコレ」を重視する風潮は「感情的な被害者意識」が生んだものなのか?(ベンジャミン・クリッツァー) | 現代ビジネス | 講談社(2/6)

 

 

 

 マイクロアグレッションをはじめとして、「マイノリティに対する差別的表現と、それによって生じる被害」に関する議論には、ある種のジレンマが付きまとう*2

 

 まず指摘されるであろう事実として、アーヴァインもハイトも白人男性であり、基本的にはマイノリティではなくマジョリティの側に属する人物だ。そんな彼らが上記のような主張をすることには、どうしても「面の皮の厚さ」が伴うし、ある種の不正義や不公正を見出さないことは難しい。

「特権」に守られて安全圏にいる人間が、そうでない人びとに対して、「侮辱や差別的発言の深刻さは、聞き手の側がそれをどう受け取るかによって左右される。侮辱を深刻にとらえてしまい、すぐにダメージを受けて他人を非難するような人間になることは、本人にとってもよくない。それよりも、侮辱を冷静に受け止められてうろたえなくなるようなタフさを身に付けたほうが、本人にとってもよい」と言っているようなものであるからだ。

 差別に関する問題への意識が高い人であれば、アーヴァインやハイトのような言説は、侮辱や差別的表現に対する正当な抗議に対しても「感情的」「弱さのあらわれ」というレッテルを貼ってしまい、マイノリティの人びとがマジョリティに対して抗議することを躊躇わせてしまう「抑圧」として機能する、ということを指摘するはずだ。マジョリティとマイノリティとの間に存在する非対称性や構造の問題を無視して、個人の受け取り方や心理といったレベルにまで問題を矮小化しようとすることは、けっきょくは差別に加担している、などなどと批判はつづくであろう。

 

 このような批判にはたしかに一理あるし、おそらく、正当でもある。……とはいえ、社会の構造がどうなっていようと、侮辱や差別的表現が個人に対して与える影響は、最終的には受け取り手がどう捉えるかということ次第である、ということもまた事実であるのだ。ハイトが呈している懸念はもっともなものであるし、アーヴァインが行なっているアドバイス実際に有効なものであるだろう。

 

 アーヴァインにせよハイトにせよ哲学と心理学の両方に造詣が深い論客であり、彼らは、フレーミングが人々の認識に与える効果や認知の歪みが人々のメンタルに与える悪影響について熟知している。アーヴァインが参照しているストア哲学も、ある意味では、「何事も気の持ちよう次第」という考え方を徹底して極めたものといえるのだ。

 一方で、左派的な問題意識を土台としている社会学や応用哲学(概念工学)などでは、「被害のあり方」や「不正のあり方」に注目して、それを分析したのちに様々なかたちで概念化して名詞化している。……だが、被害や不正に関する意識を強くして、名詞化された被害や不正を実体のものとして認識すること自体が、個人レベルで言えば、ネガティブなフレーミングや認知の歪みをもたらして、活き活きとして幸福な人生を送るには足かせとなる可能性が高い*3

 

 左派の議論は社会関係や権力勾配などのマクロに注目している一方で、アーヴァインやハイトのような議論は個人の心理というミクロに注目しているのであり、「どこに注目するか」の違いでしかなく、どちらの議論もそれぞれになされる必要があるのだ、といった中立的で折衷的な考え方をすることもできるかもしれない。

 ……しかし、ミクロな視点とは違い、マクロな視点には限界がない。やろうと思えば無限に問題を発見して概念化して名詞化して、つまり問題を「創造」してしまうことができるのだ。

 左派の議論を行っている人たちも、マイノリティを支援したいマジョリティとしての善意や義務感、あるいは自身のマイノリティとしての経験などがモチベーションとなっているのだろうが、彼らの意図していないところで悪影響が生じているおそれがある。

 

 近年の左派のあいだでは、たとえば自律を重視する旧来の考え方を否定する代わりに依存を重要視するケアの倫理とか、そうでなくとも男性っぽいものは否定して女性っぽいものを持ち上げる風潮などと絡んで、「弱さ」を表明したり受け入れたりすることが賛美される傾向にある。

 一方で、アーヴァインやハイトのような論者たちは、ストア哲学の実践や忖度のない議論への参加などを通じて、外界の物事にいちいち左右されて悪影響を受けてしまうことを抑えるために「強さ」を身に付けることを強調している。

 前者の議論には新鮮味があって人の耳目を集めやすい一方で、後者の議論は昔ながらの保守的なものであり注目されづらいかもしれない。……でも、結局のところ、だいたいの物事については昔から言われていることの方が正しいものであるだろう。

 

 

*1:こちらも参照:

davitrice.hatenadiary.jp

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*2:そして、似たようなかたちのジレンマは、マイノリティへの侮辱や差別に対する「怒り」の表明の問題についても付きまとう。「差別を受けたマイノリティが怒りを表明することはもっともなものであり、マジョリティや社会は、表現の仕方がどうであろうとマイノリティの怒りに耳を傾けるべきだ」という主張と、「そうはいっても、敵意に満ちた怒りをただ表明するだけでは実際に人々に耳を傾けさせて共感させて意見を変えさせることはできないのであり、冷静さや表明の仕方の工夫は必要とされる」という主張との間のジレンマだ。

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*3:

davitrice.hatenadiary.jp