道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

芸術家やリベラルが不倫をしやすい理由(読書メモ:『もっと!愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』)

 

 

 

研究者らが発見したのは、ドーパミンの本質は快楽ではまったくないという事実だった。ドーパミンは、それよりもはるかに影響の大きい感情を生み出している。これから紹介するように、ドーパミンに対する理解こそが、さまざまな領域での人類の努力を説明し、さらには予測するための鍵を握っているのだ。 その領域は、目をみはるほどに広い。たとえば、芸術、文学、音楽の創造。成功の追求。新世界や自然の法則の発見。神をめぐる思考。そして、恋もそのひとつだ。

 (p.14)

 

このシンプルな概念は、大昔からある疑問ーー愛はなぜ色褪せるのかという疑問を化学的に説明している。私たちの脳は予想外のものを希求し、ひいては未来に、あらゆるエキサイティングな可能性がはじまる未来に関心を向けるようにプログラムされている。だが、愛であれなんであれ、それがおなじみのものになったら、その興奮は薄れ、新たな対象が私たちの関心を引きはじめる。

この現象を研究する科学者たちは、私たちが目新しいものから得る幸運を「報酬予測誤差」と名づけた。その意味するところは、まさに名前のとおりだ。私たちはつねに、次に来るものを予測している。たとえば、何時に退社できるのか。あるいは、ATMで残高照会したときに名にするはずの金額もそうだ。実際に起きたことが予測よりも良ければ、それは文字どおり、未来予測の誤差ということになる。もしかしたら、早めに退社できるかもしれないし、予測より一〇〇ドル多い残高を目にするかもしれない。その幸せな誤差こそ、ドーパミンを始動させているものの正体だ。おまけの時間やおまけの金額そのものではない。ポイントは、予想外の良いニュースがもたらすぞくぞくするような快感にある。

(p.18)

 

 ……というわけで、わたしたちの生活や人生に関わる諸々の事象についてドーパミンがいかに影響を及ぼしているか、ということを説明する本である。

 とはいえ、この本で登場するのはドーパミンだけではない。対になる存在として頻繁に登場するのが、セロトニンオキシトシンなど、著者が「H&N」と名付けたホルモン群だ。

 

ドーパミンは愛の扇動者であり、その後に続くあらゆることを始動させる大もとのひとつだ。だが、その段階を越えて愛を継続させるためには、愛にもとづく人間関係の性質を変えなければならない。なぜなら、背後で流れる化学の交響曲が変化するからだ。ドーパミンは快楽物質などではない。まったく違う。ドーパミンの本質は、期待物質だ。可能性にすぎないものではなく、いま手にしているものを楽しむためには、未来志向のドーパミンから現在志向の化学物質に脳を移行させる必要がある。そうした現在志向の神経伝達物質を、ここではまとめて「ヒア&ナウ(いまここ:H&N)」と呼ぶことにする。ほとんどの人は、H&Nの名を耳にしたことがあるはずだ。たとえば、セロトニンオキシトシン、エンドルフィン(モルヒネの脳内バージョン)、そしてエンドカンナビノイドマリファナの脳内バージョン。「内因性カンナビノイド」とも)呼ばれる一群の化学物質だ。ドーパミンのもたらす期待の快楽とは対照的に、これらの化学物質は感覚や感情から生まれる喜びをもたらす。

(p.34-35)

 

 ドーパミンはいま手にしていないものや遠くにあるものなどの新奇性に対する期待をもたらす。一方で、H&Nは身近にあるものへの愛着や、それを通じた幸福や安心感をもたらす。

 重要なのは、わたしたちはしばしばドーパミンがもたらす期待に振りまわされて、手にしたところで実際には大した快楽が得られないものを追い求めてしまったり、いま手にしている幸福をないがしろにしてしまうということだ。

 

愛の第二段階でH&Nが仕事を引き継ぐと、ドーパミンは抑制される。そうでなければならない。なにしろ、ドーパミンは私たちの頭のなかで薔薇色の未来図を描き、その実現に必要な努力へと私たちを駆り立てるのだから。現在の関係に対する不満は、変化を起こす重要な動機だ。新しい恋愛の本質はそこにある。それに対し、H&Nの司る友愛の特徴は、いまの現実に対する深く永続的な満足感、変化に対する嫌悪、少なくともパートナーとの関係という点での変化に対する嫌悪だ。実際、ドーパミン回路とH&N回路は連携することもあるものの、ほとんどの状況では互いに打ち消しあう。H&N回路が活性化しているときには、私たちは周囲にある現実の世界を体験するように促され、ドーパミンは抑制される。ドーパミン回路が活性化しているときには、わたしたちは未来の可能性へと突き進み、H&N回路は抑制される。

研究室における実験でも、この概念が裏づけられている。熱愛の段階にある人から採取した血球を調べたところ、H&Nであるセロトニンの受容体が健康な人よりも少なくなっていたのだ。これは、H&Nが退却していることを示している。

新しいパートナーや情熱的なあこがれというドーパミン的スリルに別れを告げるのは簡単ではないが、それができるのは成熟の証であり、長続きする幸福への一歩でもある。

(p.35 - 36)

 

人は長期的な友愛を求めているのか?その答えがイエスであることを示す絶好の証拠がある。複数のパートナーを持つことは一見すると魅力的に思えるが、にもかかわらず、ほとんどの人は最終的には身を落ち着ける。国連のある調査では、九〇%を超える男女が四九歳までに結婚することがわかっている。人は友愛がなくても生きていけるが、私たちの大多数は、友愛を見つけて維持するための努力に人生の大部分を割いている。それ可能にしているのがH&Nだ。H&Nのおかげで私たちは自分の感覚が伝えるものーーいま目の前にあるもの、もっとほしいという渇望感を抱かずに体験できるものに満足を見いだすことができるのだ。

(p.38)

 

性的な体験がーー特に継続的な関係の場合にはーードーパミンの見せる幻影の犠牲になることは多い。一四一人の女性を対象にした調査では、被験者の六五%が性交中に夢想し、別の人を相手にしている、もしくはまったく別のことをしているところを想像していることが明らかになった。別の研究では、その数字は九二%にものぼった。男性がセックス中に夢想する割合も、女性とほとんど変わらない。そして、男女ともに、セックス回数の多い人ほど夢想する傾向が強い。

(p.42)

 

 この本のなかでは、人間はドーパミンが優勢な人とH&Nが優勢な人とに分けられることが示唆されている。……たとえば、大半のクリエイターはドーパミンのほうが優勢だ。想像の世界にある「まだ見ぬもの」への期待がなければ、それを現実化させてやろうと思って創造行為に踏み出すことはできない。同様に、真理を追求する学者や神の教えを追求する宗教指導者もドーパミン的な人たちであると言える。そして、ドーパミンは金銭や社会的地位や権力といった世俗的なものに対する期待(欲望)も喚起する。そのため、起業家や政治家たちだってドーパミン的であるのだ。

 このことは、大物政治家だけでなく芸術家たちやハリウッドのセレブたちにもセックス・スキャンダルが多く、また彼らの離婚率が高い理由を示してもいる。要するに、創造性が高い人というのは、現状に満足せずに「次」や「もっと」を追い求めてしまう傾向がある人だということだ。芸術や権力を追い求めるような人は、セックスや愛にも新奇性を期待してしまう。芸術家とは性に対する欲求を芸術に昇華している人たちのことではなく、ただ単に全方向に欲求過多な人たちのことであるかもしれない。

 この本の第5章のタイトルは「政治」だ。ドーパミンは未来志向である一方で、H&Nは現在志向だ。というわけで、リベラルにはドーパミン的な人が多いし、保守にはH&N的な人が多い*1。保守的な人のほうが結婚率が高いが、不倫率はリベラルな人のほうが高い。また、保守的な人のほうがセックスの回数は少ないらしいが、「保守的な人はリベラルな人よりもセックス中に絶頂を体験する確率が高かった」(p.229)らしい。H&N的な人はセックスするときには相手を受け入れて、「いま」に集中することができる。比べると、ドーパミン的な人はセックスすること自体よりもだれかとベッドインするまでの過程のほうを楽しんでいる可能性が高い。ドーパミンは「いま自分が手に入れていない相手を獲得する」ことへの期待を高まらせるが、いざベッドインした段階でその役割を終えて期待を消失させてしまうわけだ。

 ここでわたしの頭に浮かぶのが、「H&N的な人が持っている価値観や性道徳は、芸術や言論の世界では公平に反映されているのだろうか?」という疑問だ。ポリティカル・コレクトネスが浸透したことでセクシュアル・ハラスメントや性暴力や合意のないセックスに対する批判の意識は高まり、映画やドラマでもそういうものは強く否定されるようになったが、不倫や放埓なセックスはいまだに肯定的に描かれることが多い。もちろん、危害原則などに基づけば、性暴力と不倫は性質が異なる事象であると論じることはできる。どれだけ理屈をこねても性暴力を擁護することは不可能だろうが、不倫を擁護する理屈はいくつもあることだろう。とはいえ、性暴力と不倫のどちらについても、それに対してなんらかの不道徳さ不快感を感じる人はいることはたしかだ。しかし不倫のほうだけ野放しにされがちなのは、たぶん、ドラマや映画の制作者たちとはけっきょくのところ性的に放埓な傾向が強い人たちであるからだ。それはほかの芸術の世界でもそうだし、学問の世界ですら多かれ少なかれそうであろう。市井のH&N的な人たちが不倫に対して不道徳さを感じるとしても、象牙の塔にいるドーパミン的な人たちは不道徳さを感じないので、不倫の不道徳さを言語化したり理論化したりすることには労力が割かれず、むしろ不倫を擁護することのほうにエネルギーが注がれているのかもしれない。

 

  保守的な人はH&N傾向が強いために、身近な同胞のことを重視して、外国人や移民という外集団のことは敵視する。しかし、保守的な人の多くも、個人としての移民や外国人に対して攻撃的な態度を取るとは限らない。むしろ、その人たちがご近所に生活していたり、そうでなくても実際に相手が目の前にあらわれて会話をする機会があったりすれば、H&Nの回路が活性化して同情や共感を抱くことができるのだ。一方で、リベラルな人たちはドーパミンの影響によって具体的な思考よりも抽象的に思考する傾向が強いから、「すべての人は平等だ」「外国人にも移民にもわたしたちと同じだけの権利がある」といった理屈に基づいて、遠くにいるか目の前にいるかに関係なく外集団の人たちのことを擁護するのである。抽象的な「人類愛」は抱ける一方で、個別具体的な個人に対する愛が薄いことも、ドーパミン的な人々の特徴だ。

 というわけで、保守的な人々をリベラル寄りにするための、真逆ともいえるふたつの道筋が考えられる。ひとつは、抽象的な思考をするように促すことだ。もうひとつは、共感を活性化させることである。LGBTなどのマイノリティがドラマや映画の登場人物になる頻度が増えたことで、物語のなかに存在する具体的なひとりのキャラクターへの共感を通じて、その属性の人々全般に対する共感や理解が増すようになった。「抽象的な集団を具体的な個人に変える手法は、H&Nの共感回路を活性化させる手っとりばやい方法なのだ」(p.252)。

 

 現代ではH&N的な物事が軽視されやすく、ドーパミン的な物事が重視されやすい。資本主義とは消費者の欲望を喚起しつづけることで成立しているのを考えるとむべなるかなというところもある。ギャンブルやテレビゲームがドーパミンを煽るメカニズムになっていることも、言うまでもない。そして、わたしのような人間からすればどう見ても金と時間の無駄でしかないようなギャンブルやスマホゲーやそのほかの消費行動について、その価値や崇高さを熱く語る人は一定数いるものだ。もしかしたら、情熱的な恋愛について語る芸術家とスマホゲーについて語るオタクのあいだには、たいした違いはないかもしれない……どちらも、ドーパミンによってもたらされる期待と幸福を混同しており、自分が追い求めているものの虚妄を直視することは避けて、自分の行動を後付けの理屈によって正当化しようとしているわけだ。

 また、ドーパミンは「自己効力感」や「努力」、そして「環境や他者の支配」とも関わっている。ドーパミン的な人のほうが自信家であり、また努力を通じて高い社会的地位にもつきやすいのだ。これも、ドーパミン的な人のほうが高い地位に就きやすかったたり発言力を持ちやすかったりするという作用をもたらしているだろう。さらには、ドーパミン的な人たちのほうが口達者でありやすいだろうと想定すると、表象やイデオロギーの世界でもドーパミン的な物事はH&N的な物事よりも有利に立っていると考えられる。

 

 ……もちろん、H&Nと同じくらいにはドーパミンも人生において重要だ。何事もそうだが、バランスがいちばん大切なのである。

 ドーパミンが私たちにもたらす「楽しさ」については、以下のように描写されている。

 

仕事へ向かう途中の女性の例を考えてみよう。車で駅まで行く彼女は、朝のラッシュ時の渋滞を避ける迂回ルートを走っている。駅に着くと、知る人ぞ知る駐車場のすいている一画に向かい、やすやすと駐車スペースを見つける。ホームで通勤電車を待つときには、車両のドアが目の前で開くまさにその場所に立つ。 そこで待てば、列の先頭で乗り込み、残っている空いた座席を確保し、街までの長い乗車時間を座って過ごせるとわかっているからだ。彼女は快感を覚えるーー通勤という状況を支配したことから生まれる快感だ。

ものごとを解明するのは楽しいし、自動車購入や毎日の通勤の複雑さを「勝ち抜く」ための戦略を実行するのも楽しい。それはなぜか?このドーパミンのはたらきも、やはり進化と生存の必須要件から生まれている。ドーパミンは資源を最大限に活用するように私たちを駆り立て、私たちがそうしたときには報酬を与える。なにかをうまくやるという行為、未来をより良く、より安全にするための行為が、ドーパミン性の「ほろ酔い」気分を私たちに味わせているのだ。

(p.97)

 

かつては、多くの人がガレージに父親の使う作業台がある家で育った。それもいまやあまり一般的ではなくなっているが、何かを直すという作業には独特の喜びがある。ひとつひとつの作業に、解決すべき問題ーードーパミン志向の活動ーーがあり、その解決策が現実に実行される。不具合を修理するときには、必要な工具や部品が手に入らず、創造性が求められることもある。たとえば、つめ切りをワイヤーカッターとして使えることに気づいたりする。何かを修理するときには、自己効力感と支配の感覚も高まる。H&Nがドーパミン作動性の満足を生むというわけだ。

料理、庭仕事、スポーツも、知的な刺激と身体的な動きを兼ね備え、満足感をもたらして心と身体をひとつにしてくれる活動だ。そうした活動は古くさくなることがなく、生涯にわたって追求することができる。高価なスイス製時計を買えば、数週間はドーパミン作動性の興奮を味わえるかもしれないが、それが過ぎればただの時計だ。地域マネージャーに昇進すれば、当初は仕事に興奮を覚えるだろうが、最終的には変わりばえのしない単調な仕事になる。だが、創造は違う。なぜなら、H&Nとドーパミンが一体となって呼び覚まされるからだ。言ってみれば、鉄に少量の炭素を混ぜて鋼鉄をつくるようなものだ。その結果、より強く、耐久性のあるものができる。ドーパミン的な快楽に身体的なH&Nを加えたときにも、まさにその現象が起こる。

だが、ほとんどの人は、絵画や音楽、飛行機模型の製作といった創造活動をわざわざしようとはしない。それをする実用的な理由がないからだ。そうした活動は、少なくともはじめのうちは難しいし、金や名声が得られるわけでもないし、より良い未来を保証してくれるわけでもない。けれども、私たちを幸せにしてくれるかもしれない。

(p.313 - 314)

 

 この本で提示される幸福論はポジティブ心理学や徳倫理における幸福論とかなり近い。また、保守とリベラルに関する分析はジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を思い出させるところがある。心理学の世界ではそれほど突飛な主張ではないということなのだろうが、人文学や社会学における常識や標準的見解を相対化するものであることは間違いない。この種類の主張にはじめて触れる人にとっては特に刺激的な本であるだろう。

 

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*1:ただし、政治家は保守政党に属していてもリベラル政党に属していてもドーパミン的な人が多い。わたしたちはついつい政治家の言動とその政党の支持者の言動を直結させて考えてしまうが、政治家には「保守」や「リベラル」以前に「政治家」としての独自な傾向があることを失念するべきではないのだ。