道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

さいきん読んだ本シリーズ:『手の倫理』とか

 

●『手の倫理』

 

 

 著者はたぶん自分の主張をなんらかの「主義」や「理論」に還元して解釈されること自体を嫌がるだろうけれど、あえてそうしてしまうと、「ケアの倫理」や「状況主義」に近いものだろう。ついでに「身体性」という最近流行りのトピックも強調されるし、当然のごとく後半は「障害学」っぽくなっていく。その結果として、近頃の日本の思想界隈や人文界隈ではとくに評価されやすく、文句をつけたり批判したりすると怒られてしまうような、どこかで見たことあるタイプの無難で上品な議論が展開されることになる。

 ……この書きぶりからわかるように、わたし的には読んでいてかなりつまらなかった。「みんなよくこういう議論に納得できてしまうものだし、いつもいつも飽きもせずにこういうの読めるもんだな」って思っちゃったのだ。

 

・『哲学の女王たち:もうひとつの思想史入門』

 

 

 

 女性の哲学徒や哲学徒志望者をエンパワメントするために編纂された、男性哲学者の影に隠されて見過ごされてきた歴史上の女性哲学者たちについて、現代の女性哲学者たちが解説する本。当然のことながらふつうの哲学史の本では紹介されないような哲学者が次々と登場することになり、読んでいてなかなか新鮮だ。個人的には、メアリー・アステルという人が開明フェミニストとしての要素と保守主義者としての要素が両立していて、とくに興味深かった*1

 各哲学者についての紹介文を書いているのはそれぞれ別の人であり、普段のわたしならこういう構成の本は読んでいてあまり面白く思えないのだが(基本的に「編著」というものが好きではなくて、ひとりの人が自分の考えや感性に基づいて書き切る「単著」のほうが読みものとしては面白く感じる)、この本に関しては、フェミニズムに関するスタンスや熱量が紹介者ごとに異なっていることがバランスを保つ作用を生み出している。つまり、たとえば近代以前の女性哲学者やアーレントのような人に含まれる「反動的」な側面について、当時の事情を考慮して理解を示す紹介者もいれば現代の価値観に基づいて断罪する紹介者もいるということだ。哲学者の紹介は二の次にして哲学における女性蔑視に対する怒りを表明することをメインにしている紹介者もいれば、紹介している哲学者の思想の豊かさに対する愛情や敬意を表現している紹介者もいたりする。

 しかしアーレントを除けば紹介される女性哲学者たちは「小粒」な感じは否めず、「で、ここで紹介されている哲学者たちは、アリストテレスデカルトニーチェのようにエポックメイキングな主張をすることはできたんですか?思想史でどんな哲学者を紹介するかという基準って、"影響力があったかどうか"になるものですよね?女性蔑視がなかったって、公平な観点から哲学者トップ10とかトップ30とかを選んだら結局はだいたい男性になってしまうものなんじゃないですか?」とツッコミも入れたくなってしまうものだが、まあこれは野暮だろう。

 

●『二つの文化と科学革命』

 

 

 スティーブン・ピンカーが『21世紀の啓蒙』のなかで取り上げていたので気になって読んでみたが、内容がくどくどとしていて、なにが言いたいんだかよくわからなかった(というか、ピンカーが紹介している以上の内容は含まれていないような気がする)*2

 

●『感情史の始まり』

 

 

 

「社会構築主義(人類学)」と「普遍主義(生命科学)」との対立を軸としながら、感情研究の歴史について整理されている。それはいいのだが、著者はどちらかといえば人類学のほうに共感を抱いており、生命科学はあんまりお好きではなさそうな雰囲気が漂っている。ヨーロッパ人らしく文章の端々に嫌味ったらしさが含まれており、たとえばポール・エクマンはかなり冷笑的に紹介されていて気の毒になってしまった。かといって著者自身は歴史家であり人類学者でも心理学者でもないので、あくまで「感情に関する研究の歴史を第三者的な視点からまとめているだけです」とすまし顔であり、旗幟が鮮明にされているわけでもない。こういうのって読んでいるとイライラする。

 ページの分量も多いが、扱われているトピックもそれ以上に多いために、全体的に駆け足になっている。「整理」や「解説」が丁寧になされているというわけでもなく、感情研究に関する用語や感情研究に関わってきた学者たちの名前が矢継ぎ早に紹介されて、彼らの著書から次々と引用がなされるという感じ。そのために読みやすいといえば読みやすいが、知識がすっと入ってくるというわけではない。

 ジョン・ブロックマンについて紹介されている箇所ではピンカーやスティーブン・ホーキングの名前も出てくるが、ここでも、「三年ごとに新しい原稿を出せ」て、「生き生きとした日常的な例を用い、実験による研究をはるかに超える語り口で、時には世界全般を説明しようとする一般向けの科学書」(p.308-309)を書ける彼らのような大衆派アカデミシャンに対する著者の軽蔑(あるいは嫉妬)は隠し切れていない*3。だけれど、論点を明確にした本を書くことによって大衆に学問的な知識や考え方を啓蒙させられるという点でも自分の立場を堂々と示せられる勇気という点でも、ピンカーのようなアカデミシャンの方が著者の10倍は尊敬に値するとわたしは思う。