道徳的動物日記

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ハーバーマス(読書メモ:『いまこそロールズに学べ:「正義」とはなにか?』)

 

 あとがきで著者が「ロールズ研究者はミイラ取りがミイラになりがちだ」と述べたうえで、著者自身はミイラにならずにロールズとの間に一定の距離を保ちながらも、彼の理論をあっさりとだが丁寧に解説してくれる、という入門書。文章のスタイルのために印象や記憶に残りにくいのは難点だが、『正義論』などに関するニュートラルで標準的な理解を得るための本としてはおそらく最善のものだ。

 ……とはいえ、あまりにニュートラルで淡々としているために、コメントすることはほぼ思いつかない。

 

 ロールズからはトピックがずれてしまうが、この本でわたしの印象に残ったのは、ハーバーマスによるロールズ批判のくだり。

 

ハーバマスは、「無知のヴェール」のように、情報制限する思考実験装置を使うのではなく、自らの討議倫理学のように、全ての他者のパースペクティヴから考えることを各参加者に要請しながら、強制のない開かれた討論を行うことを通して、一般化されるべき利害(genralizable interests)に対する共通のパースペクティブを共同で構築するやり方の方が、理論的にすっきりしているのではないかと示唆している。

 (p.239)

 

「無知のヴェール」はあくまで思考実験装置なので『正義論』の外で振りかざせるものではなさそうだが、上記に説明されているハーバーマスの「討議倫理学」は、世間で行われる議論一般について理想として当てはめられそうなものだ。

 また、、自分のことだけでなく他者のパースペクティヴからも考えること、それによって共通のパースペクティブを共同で構築することを目指すという考え方は、ミルの『自由論』にもつながりそうな、リベラリズムの理想だと言える。そして、昨今に蔓延しているアイデンティティ・ポリティクスでは、「自分たちのパースペクティブは自分たちのものであり、他者にわかるものではない」という主張と、それを裏返した「他者のパースペクティブなんて考える必要はなく、自分たちのパースペクティブだけを考えればいい」という開き直りが前提となっている。

 最近にリベラリズムや政治理論の勉強を初めて気付かされたことのひとつは、(英米の)標準的な正義論や政治理論とは「悪」を想定するものではなく、すべての関係者に「利害」や「事情」があることを認めたうえでその優先順位を決定したり調停の手段を考えたりするためのものである、ということだ。一方で、昨今のポリティカル・コレクトネス的な発想とは、「悪」とされる人やグループを指定して、彼らの利害や事情は調停や順位付けの対象にもならない、と主張するものである。

 この辺りに、「まとも」なリベラリズムとそうではない「リベラリズムの皮を被った反自由主義」との違いがあるのだろう*1

*1:ジョセフ・ヒースの師匠がハーバーマスであることは、ヒースによるリベラリズムカウンターカルチャー批判を理解するうえでも重要になってくるはずだ。

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