道徳的動物日記

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読書メモ:『醜い自由 -ミル「自由論」を読む』

 

 

 タイトルの通り、『自由論』でミルが主張していることについて緻密に分析していく、といった感じの内容。序文では著者は思想史家ではなく、この本にも文献学的な厳密さもないことが断れているが、実際のところはなかなか専門的で細かい(それゆえに地味)な内容だ。

 

 

『自由論』は魅力的な著作ではあるが、そこでミルがしている主張は一冊のなかにもちらほらと矛盾があったり、根拠がはっきりしていなかったり、論理が飛躍していることも多い。そこをきっちり整えて、ミルが『自由論』でほんとうに言いたかったのはどんな主張であるか、というのを探っていくのが狙い。

 

 全5章だが、その内容は二つの部に分けることができる。

 第一部(1章〜3章)で扱われるのは、「なぜパターナリズムは否定されるべきであり、自己決定が重視されるべきか?」というもの。これに対して、「個人は自己利益に関する唯一の判断者であるから」「個人は自己利益に関する最善の判断者であるから」「個人は自己利益に関する最終の判断者であるから」という三つの説が挙げられたのちに、前者の二つは棄却されて「最終の判断者」説が採用される。

 第二部(4章〜5章)で扱われるのは「なぜ自由を守らなければならないか?」という問題。これについては、「自由には他にはない卓越した価値や幸福があるから」という議論が否定されて、「個人の自由から得られる多様性は個人と社会の双方に価値があるから」といった結論が採用される。

 たとえば「自由を守るべきだ」という主張に関するミルの論証が甘いことはジョナサン・ウルフの『政治哲学入門』などでも指摘されている。……とはいえ、『自由論』の良さは、多少の矛盾を気にせずとも「自由」の持つ価値やその重要性などについて短い分量で当時としては網羅的に語っているところにある、と見ることもできるだろう。実際のところ、『自由論』では自由という価値や幸福の卓越性と自由によって生み出される多様性(の価値)の両方について論じられており、その両方の議論について読者が得られるところは大いにあるはずだ。

 したがって、「『自由論』でミルが本当に言いたかったのはこちらであり、あちらではない」と決定する作業にどれだけ意味があるかということは、わたしにはあんまりわからない。パターナリズム批判や自由の価値の論証について現代的にガッチリとした基準でやりたいのなら、「ミルは何を言いたかったのか」ということにこだわることなく現代人たちでやればいいじゃん……と思ってしまう。

 

 なんにせよ、結論部分は印象に残ったので引用。

 

…画一性のコストよりも多様性のコストの方が高い場合であっても、多様性のコストを支払っているのが、社会全体、あるいは多数派であるとは限らない。たとえば、変な服装をしている人は、変な服を買うためにさまざまなコストを自分で支払わなくてはならないかもしれない。服の費用、評判、などなどである。しかし、それらのコストを負担するのが本人である限り、つまり、「自分で責任をもって危険を引き受ける限り」、社会、あるいは多数派が文句を言う筋合いはないだろう。むしろ、そのような風変わりな人たちは、自分でリスクを負担しながら、社会に利益をもたらすかもしれない行動をとっているのであり、抑圧するのではなく「感謝」すべきである。『自由論』が伝えようとしているメッセージはそのようなものであると思われる。

(p.192 - 193)