道徳的動物日記

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ホッブズ、哲学的アナーキスト、ルソー、ミル(読書メモ:『政治哲学入門』)

 

 

 原書は1996年(最近に第4版が出版されているが)、邦訳も2000年。なんのフックもないタイトルに地味な装丁といかにも売れそうにないタイプの本だが、その中身はというと、わたしがいままで読んだ政治哲学入門のなかでも傑出した出来栄えだ*1

「自然状態」とはどのようなものであるかというところから始まって、国家の正当化や民主主義の正当化、自由や財産の配分についてどう考えるか、個人主義に対する共同体主義的・フェミニズム的な批判と、政治哲学のトピックが幅広く扱われている。功利主義リベラリズムといった理論ごとに章立てされているのでもなければ、思想家を時系列に紹介していくのでもなくて、章ごとの問題を扱いながら(西洋の)主要な哲学者たちの政治思想を提示していく、というところがミソ。

 また、第一章で「(アナーキズム的な見解を除けば)自然状態はロクでもないから国家が必要そうだ、と多くの思想家が結論付けている」とひとまずの答えを示したうえで、第二章で「ではその国家の存在や国家に対して国民が負う(納税などの)義務はどのように正当化されるか」という問題を提出する、という風に、提示されるトピックの順番が工夫されている。結果的に、序盤の章では古典的な思想家が扱われていたのが後半の章では近現代の思想家の出番が増えていくという風に、思想史の流れも掴ませてくれる構成になっているところがよい。

 著者の本は他にも『「正しい政策」がないならどうすべきか: 政策のための哲学』や『ノージック―所有・正義・最小国家』が翻訳されているが、ぜひ An Introduction to Moral Philosophy(『道徳哲学入門』)も邦訳されてほしいものだ。

 

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ホッブズの「自然状態」論

 

あらゆる人の自然で継続的な権力増加ーー富と人々を自分の支配下におくことーーの試みは、競争へと導く。しかし、競争は戦いではない。では、なぜ自然状態での競争が戦いにつながるのか。次の重要なステップは、人間は本性的に「平等」であるというホッブズの想定だ。政治哲学と道徳哲学において自然的平等の想定は、人々は互いを注意深く気遣って扱い、他者を尊重すべきだという議論の基礎として用いられることが多い。しかし、述べ方を見れば予期できる通り、ホッブズはその想定を全く違った仕方で使用する。人間は皆おおよそ同じレヴェルの強さと技術を所持している点で平等であり、それゆえいかなる人間も他の誰かを殺す能力を持つ。「最も弱いものでも、秘かなたくらみにより、あるいは他の人々との共謀によって、最も強い者を殺すだけの強さを持つ」。

以上に、自然状態では財が希少だという理に適った想定をホッブズは付け加える。すると、同の物が欲しい二人の人は同一の物を持ちたい場合が多くなる。最後にホッブズは、自然状態では誰一人として攻撃される可能性を免れ得ないことを指摘する。私が持つどんな物であれ他の人々が欲しくなるかもしれないから、私は常時用心していなければならない。だが、たとえ何を持っていなくとも、私は恐怖から自由であり得ない。他の人々が私を自分たちに対する脅威だと考えるかもしれず、そうすると私は簡単に先制攻撃の犠牲者になってしまうかもしれない。平等、希少性、不確実性というこれら[の]想定から、ホッブズの考えでは、自然状態が戦いの状態になってしまうのだ。

(p.13)

 

要約すると、ホッブズは自然状態の内に、獲得と、安全(侵入者をあらかじめ防いでおくこと)と、栄光あるいは評判という、三つの主な攻撃理由を見ている。人間は至福を求めて、常に自分の権力(未来の財を得るための手段)を増加せようとする、というのがホッブズの根本的アイディアだ。人間が強さと能力において大体平等であること、欲求された財が希少であること、誰も他の人々によって侵害されないと確信できないこと、これらをつけ加えるなら、合理的な人間の行動は自然状態を戦場にすると結論するのが理に適っていると思われる。誰一人として、可能な攻撃者全員を近づかせないほどは強くないし、必要なら共謀者と共に他の人々を攻撃することが不可能なほどに弱くもない。自然状態における他者への攻撃が自分の欲しいものを得る(または保つ)最も確実な方法でもあるような場合には、攻撃の動機は十分に整うのだ。

(……中略……)

しかし、戦いの源泉として同じくらい、あるいはもっと重要なのは、恐怖ーー周囲の人々が自分の持つものを奪うかもしれないという恐怖ーーだ。ここから攻撃が始まるかもしれない。その攻撃は獲得のためではなくて、安全のためかあるいは多分評判のためでさえあるかもしれない。こうして我々は、万人が自衛のために他の万人と戦うという考えにたどりついた。

(p.14 - 15)

 

……自然状態においては、(既に見た理由のために)個人的に合理的な行動は他人を攻撃することであり、これが戦いの状態につながる。けれども、自然法は、別レヴェルの行動ーー集団的合理性ーーもまた可能だから戦いの状態が人間にとって不可避の状況でないと教える。どうにかして集団的合理性のレヴェルに上昇し「自然法」に従えさえすれば、我々は恐怖を感じずに平和に暮らすことができるのだ。

今や問題は、自然状態における各人には「自然法」に従う義務があるとホッブズが考えたかどうか、そしてもしそうなら、そのような義務の承認は「自然法」に従うよう人々を動機づけるのに十分かどうかだ。ここでのホッブズの答えは精妙である。「自然法」は「内面の法廷において」拘束力があるが、しかし「外面の法廷において」常に拘束力があるというわけではないと彼は述べる。彼の意味するところは、我々は皆「自然法」が効力を持つことを欲求し、思案する時「自然法」を考慮すべきだということだが、しかしこれは、あらゆる状況においても常に「自然法」に従うべきだということではない。もし周りの他の人々が「自然法」に従っていなかったり、あるいは自然状態ではよくあるように、彼らが「自然法」を破るという疑いが理に適っているなら、「自然法」に従うのは全く愚かだし自滅的だ。こうした状況で誰かが「自然法」に従うなら、その人は「自信を他の人々の餌食にし、自身の確実な破滅を招く」(現代ゲーム理論の専門用語では、このような行為者は「お人よし(サッカー)」と呼ばれる)。

(p.19 - 20)

 

●国家の正当性に対するアナーキズムの主張

 

…受け入れ可能な前提から国家を正当化する方法を見出すことができないなら、少なくとも道徳的に言って、ある種のアナーキズムが強制されると思われる。この批判的戦略はアナーキストの最強の武器だろう。我々が国家を持つべきかどうか誰も私に尋ねなかったし、警察は警察の行為の許可を私に求めていない。それゆえ国家と警察は、少なくとも私の扱いに関して非合法的に行為している、とアナーキストは論じている。

(……中略……)

…法律が法律であるとか警察が警察であるという事実は服従のための理由には全くならない。だから「哲学的アナーキスト」は、警察と国家の活動に対して高度に批判的姿勢をとることを勧める。警察や国家が道徳的権威をもって行為することもあるけれども、そうでない時我々が彼らに従わなかったり妨害したり無視したりするのは正しい。

幾つかの点でこれは高度に啓蒙された見取り図だ。責任ある市民は法律に盲目的に従うべきでなく、その法律が正当化されているかどうかに関して自分の判断力を用いるべきだ。法律が正当化されていないなら、従うための道徳的理由など存在しない。

この見取り図はーーある点までーー正しいに違いない。決して法律を疑問視したり従わなかったりすべきでないと論じることは、例えば、ナチス・ドイツにおけるユダヤ人迫害を擁護したり、南アフリカでの雑婚と異種族交配(異種族結婚)を禁止する、最近覆された法律を擁護することにつながるであろう。法律に従う義務には何らかの道徳的制限がなければならない。しかし、この道徳的制限が何であるべきかを言うのはそう簡単でない。法律が自分の道徳的判断と完全に一致していない限り法律に従うべきないという見解をある人が抱いている、という極端な想定をしてみよう。

(……中略……)

…さて、相続財産には何の道徳的正当化もないと考えている人がいるとすると、その人は、ウエストミンスター侯爵が相続した財産は本当は侯爵のものではないから、「侯爵の」相続財産を自分に売る権利が侯爵にないのは、侯爵を放逐する権利が自分にないのと同様だと考える。すると、もしこれに付け加えて、法律に従うべきなのは自分の道徳観と一致する時だけだとその人が言うなら、最早その人には他の人々の(要求する)財産を尊ぶための理由が(処罰への恐怖を除くと)全くない。

明らかに、言い分は増やしていける。ポイントは、もし我々がこのようなアナーキストの見解を受け入れるなら、公的関心事をも含む全ての事柄において人々は自分の個人的判断に従うことができるという混沌状況へと戻ったことになるという点だ。しかし、ロックが我々は自然状態から移行すべきだと論じたのは、まさにこの理由のためだった。そのような観点から見るなら哲学的アナーキストの立場は、大変危険な道徳的身勝手の一事例だと思われてくる。確かに、人々が自分たちの相剋する掟を基礎にして行為するがままに放っておくよりは、互いの行動を導くために、何か公的に規定され受け入れられた一組の法律を一般的に受け入れる方が遥かによい。換言すると、一組の法律の共有の方が、最前の法律とは何かに関する誰かの個人的判断よりも、当然、ずっと重要なのだ。

(p. 59 - 62)

 

 なお、アナーキズムと関連する「市民的不服従」の議論については以前にピーター・シンガーの議論を紹介している*2

 

●ルソー

 ほかの政治哲学入門(特に日本人の手によって書かれたもの)に比べて本書がとりわけ優れている点のひとつは、ホッブズやロックにルソーやミルといった古典的な思想家たちの問題意識や主張、それぞれの違いが実にわかりやすく整理されているということだ。その理由は、これらの思想家の主張の問題や欠点も、ビシバシと指摘されたり描写されたりするところにある。

 たとえば、民主主義の正当化という問題を扱った第3章ではルソーによる「一般意志」論や「市民宗教」論が紹介される。本書におけるルソーの解説は短いながらも非常にわかりやすいが、それだけでなく、ルソーの主張が個人の自由を大幅に制限するものであること(「ファシスト的含みや全体主義的含みがある」(p.108))がしっかりと指摘されている。

 一方で、ルソーの主張に対比されるかたちで紹介されるミルの代議制民主主義論についても、たとえばミルが愚者の選挙権の剥奪やエリートへの複数投票権の授与を提唱したことも示されている。

 こうして、民主主義は「自由と平等」を志向する物であるはずなのに、ルソー的な民主主義では自由が制限されて、ミル的な民主主義では平等が制限されることになるのだ*3

 また、民主主義は「純粋に決定を行う手続き」としてではなく、人間の(平等な)尊厳を示す方法であると見なされているから支持されている、という点が指摘されているところもおもしろい。

 

●ミル

 本書では後半になるにつれてジョン・スチュアート・ミルの思想とそれに対する批判が紹介される頻度が多くなっていく。ミルの『自由論』が魅力的であるのと同時に論証が甘いという問題も指摘されはするのだが、なんだかんだ言って、おそらく著者はミルに対してかなり好意的だ。下記の箇所なんかは特に印象に残る。

 

思うに、(消極的)自由を高く評価し、自由主義社会が多くの非自由主義的社会よりも幸福でありそうだと考える点でミルは正しいと言える。しかし既に見たように、彼自身による自由の擁護は、人間が道徳的進歩を遂げることができるという考えにどっしりと依存している。これはミルにとって信仰箇条(アーティクル・オブ・フェイス)であった。しかし、もし彼が間違っていたならば、恐らく共同体主義的社会が自由主義的社会より功利主義的根拠に基づいて好ましいであろう。生の実験は、誰もそこから学ばないならば、善よりも害をなすだろう。すると自由の擁護者は、人々が道徳的に進歩できることを示すか、あるいは自分の見解のために別の基礎を見つけるかしなければならない。

 

私は本章を逸話で終わらせることに抵抗できない。一九八〇年代中頃[に]私は、非常に貴族主義的なフランコ時代に法律と哲学を学んだスペインの弁護士に出会った。私が彼に、政治哲学を学ぶことが可能だったかと尋ねると、自分はまさにそうした課程をとったと彼は言った。一年のほとんどの間彼らは古代ギリシア人を勉強したが、最後の二[、]三週間は近代人も扱った。ホッブズ、ロック、ルソーを学んだ後で、彼らはしばらくヘーゲルに時間を費やし、次いでマルクスに関して二時間のゼミナールがあった。しかし、ジョン・ステュアート・ミルに関してはほんの数分与えられただけであった。フランコの政体が検閲することを選んだのはマルクスではなくミルだった。これは全くよく分かる話だ。カール・マルクスの学説は、豊かな田舎の法律学生の頭を変にさせそうになかった。しかし、自由弁論(フリー・スピーチ)と自由に関するジョン・ステュアート・ミルは、大違いだったのだ。

(p.171 - 172)

 

 政治哲学や政治思想の本といえば、近代以前ならプラトンアリストテレスかカントあたり、現代ならロールズが軸となって説明されていくものだが、本書はミルを軸に選んだことで、議論をわかりやすく受け入れやすいものにすることに成功したように思える。

 結局のところ、ミルの主張にはやや非論理的ではあるしエリート主義的な部分もあるが、多くの点で刺激的であると同時にわかりやすい。そして、なんかんの言っても、現代のリベラルな民主主義社会に生きているわたしたちはミルの主張を快く受け入れることができる。だからこそ、彼の主張に対する反論には目を惹かれるし、考えさせられて、本書で展開されている議論に没頭することができるのだ。

*1:『現代政治理論』もいいんだけれど、あちらはさすがに「入門書」とは言えない。

davitrice.hatenadiary.jp

*2:

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*3:ミル的な「選挙権の制限」に関する議論はこちら。

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