道徳的動物日記

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ピーター・シンガーによる「言論の自由」論

 

 出勤前の短い時間なのでメモ的な記事。

 

www.project-syndicate.org

 

 昨年の11月に倫理学者のピーター・シンガーが書いたコラム。イ

 ーロン・マスクがTwitterを買収したことに言及しながら、自身が編集委員をやっている雑誌 Journal of Controversial Ideas (論争的な問題についてのジャーナル)について紹介(宣伝?)するような内容だ。

 

 とくに重要だと思ったところを、(時間ないので)Chat GPTに訳してもらった。

 

マスクが「Wokeの精神のウイルス」と呼ぶもの……政治的に正しくないと見なされる意見を主張する人々を攻撃したがること……そして政治的な立場を横断した真の対話が欠如していることに関して、私はマスクと同じ意見を持っている。だからこそ、私はJournal of Controversial Ideas という学術雑誌の創設編集者の一人となったのだ。

 

マスクが「健全な方法」で信念について議論すると述べたことについては、さまざまな解釈が可能であるし、そのなかには言論の自由を強く制限する解釈もある。しかし、それが何を意味するにせよ、問題はどのように実現できるかという点だ。Journal of Controversial Ideas では、初期審査を通過したすべての記事について、作者を特定しない形式で専門家に独立した査読を依頼している。また、私たちが公開する記事への反応・反論も同様の方法で扱っている。私たちが求めているのは、論争になるような扇情的な(polemic)主張ではなく、理にかなった議論なのだ(well-reasoned arguments)。

 

マスクの賞賛すべき目標を達成するためには、理性や証拠に訴えながら私たちの共感や理解を広げようとする発言と、他者を中傷し憎悪を煽る発言とを区別する必要がある。前者は私たちの考えを変えるよう説得するために行われるものであり、後者は他者に対する悪意を煽り立てるものだ。

 

 要するに「言論の自由や議論の自由は大切であるが、野放図な言論や議論ときちんとした手続きや制度に則った言論や議論とは別物だし(後者のほうがよい)、言論や議論が理性的なものであるかやどんな目的によって行われているかも大切だ」といった感じの主張だろう。

 

 僭越ながら、ここでシンガーが述べていることは昨年の6月に公開されたわたしの記事と共通していると思う。

 

s-scrap.com

 

 この記事のなかではシンガーによるまた別の「表現の自由」論も参照しているが*1、それはともかく、この記事でわたしが主張したことのひとつは「(新生児の安楽死やシスジェンダー女性とトランスジェンダー女性との利害の調節などの)論争的な問題こそ、Twitterのようなところで議論してもロクなことにならないので、アカデミアのような制度的なところで行われなければならない」というものだった。おそらく、シンガーも同様の問題意識があるから、Journal of Controversial Ideasの創設に関わったのだと思う。

 また、上記の記事のなかでは、わたしは議論をする人の「真摯さ」の重要性を強調していた。シンガーはTwitterでの議論がPolemicになりがちなことを危惧しているし、 Journal of Controversial Ideasのホームページでも自分たちはcareful(慎重)でrigorous(厳密)であるとともに unpolemical な議論のためのフォーラムを提供している、と書かれている*2。ポレミックというのは、英和辞書だと中立的だったり良い意味な印象を受けるかもしれないけれど、ChatGPTなら「扇情的」と訳するし、英英辞書などを参照すると「対象に対して過度に対立的・敵対的に〜(表現する)」という感じの意味合いだ。とにかくポレミックなのはダメである。

 実際のところ、TwitterなどのSNSでの主張や議論……多くの雑誌や書籍でなされる主張や議論、テレビなどでの討論やブログなどでの議論、そしてアカデミアでの主張や議論の一定数以上もそうではあるんだけれど……はポレミックなものになりがちだ。わたしは昨年の記事では「プラットフォームの構造」やリツイートやいいねの増加などの「報酬」が言論に紐付くことが問題だと指摘した(シンガーも今回の記事のなかでTwitterの文字数制限の問題に触れている)。また、その後も観察を続けていると、人格の問題か習慣の問題かは知らないがポレミックなかたちでしか物事を論じたり主張したりできない人が多々いるということも認識するようになってきた*3

 

 とはいえ、人は「論争的な問題」について関心を示してしまうし、一部の人々はそれについて議論をしたがる。

 ある特定の属性や状況の人々にとってはある特定の「論争的な問題」に関して自分たちの重大な利益がかかっている(少なくとも主観的にはそう認識している)から、という面もあれば、人間の知性の傾向や習性として「これってこうなるんじゃない?」とか「これっておかしくない?」ということがいちど気になったらそれについて考え続けたくなるし意見も言いたくなる、という面もあるだろう。

 だが、理にかなった議論をするのは難しいし、それをするためには真摯さや能力とともに制度の助けが必要だ。だからこそ難しい問題や論争的な問題についての議論はSNSなどの「下流」に任せるよりもアカデミアなどの「上流」に託したほうがいいし、逆に「上流」であるアカデミアの人たちは「下流」のSNSでロクでもない議論が巻き起こるのを防ぐために難しい問題や論争的な問題を扱う義務がある。……と、これも、過去の記事でわたしが主張したこと。たぶんシンガーやJournal of Controversial Ideasの創設委員たちも同じようなことを思っているだろう。

 

 本日に改めてこんな記事を書いた理由の一つは、来たる6月13日の「左からのキャンセル・カルチャー論」トークイベントに向けて、表現の自由というトピックに関する勉強を再開しているところだから*4

 また、直近で気になる話題としては、オックスフォード大学にキャスリーン・ストック教授が討論会に招待されたのとそれに対して活動家たちが抗議するというニュースがあったこと*5。わたしがストックの問題に関心を示しているのは、日本の哲学雑誌でもストックに対する「懸念」に応答するメッセージが公式に表明されたという事例があったからである*6。……このメッセージ自体はストックの言論の自由を直接に制限するというほどのものではないし「キャンセル・カルチャー」と言えるほどのものでもないとは思うけど、「若手の哲学研究者や学生、当事者の方々への不安」に配慮するという理由で「論争的な問題」を扱っている学者個人に対する批判的なメッセージを紹介する(本人の言い分や反論の紹介はナシ)、というのは(このブログや昨年の記事でわたしが論じたような類の)アカデミアの理念や意義とは反しているようには思える。

 

 

 

*1:

www.project-syndicate.org

*2:

journalofcontroversialideas.org

*3:ここで頭をよぎるのは「そういうお前もよくポレミックな議論を行なっているじゃないか」ということである。わたしとしてはあまりポレミックにはならないように努めているつもりではあるが、よく脱線したり調子にのったりしてポレミックになるタイミングがあるような自覚もないではない。

*4:

davitrice.hatenadiary.jp

www.loft-prj.co.jp

*5:

www.afpbb.com

*6:

philcul.net