道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「大きな神々」の八つの法則、アラ・ノレンザヤンの『Big Gods: How Religion Transformed Cooperation and Conflict (宗教はいかに協力と争いを変えたか)』

 今回紹介するのは、Ara Norenzayan(アラ・ノレンザヤン)の著書『Big Gods: How Religion Transformed Cooperation and Conflict (大きな神々:宗教はいかに協力と争いを変えたか)』。

 

 

Big Gods: How Religion Transformed Cooperation and Conflict

Big Gods: How Religion Transformed Cooperation and Conflict

 

 

 この本では、進化心理学や文化進化論の観点から、(一部の)宗教が集団の相互信頼を保証し集団の協力を促すメカニズムとして機能してきたこと、集団に進化や淘汰が働いてきたのに伴って宗教という文化についても進化や淘汰が働いてきたこと、などが論じられている。宗教について分析した本というと、特定の宗教に注目して、その宗教の教義や経典を分析する文献学的な研究や、その宗教の教義を社会はいかに受容したかという思想史的な観点の分析が多いように思われる(個人的な印象である)。この本の特徴は、世界中の様々な宗教について、その宗教がそれを奉じている社会や集団の行動にどのような実際的な変化をもたらすか、宗教は個人の心理や集団においてどのように機能しているか、という心理学・行動科学的観点から分析していることである。

 原著は一年ほど前に読んだのだが、洋書を自分で要約して紹介するのはキツイので、以下では「The Religious Studies Project(宗教研究プロジェクト)」というwebページに掲載されたマイケル・ドーン(この人も宗教について研究する社会心理学者である)による本の要約を私訳して掲載した。書誌情報などは省いている。原文はこちら。

http://www.religiousstudiesproject.com/2014/03/05/an-outline-of-norenzayans-big-gods-by-michael-doane/

 

 なお、著者本人による要約的なインタビューの音声も以下のwebページに掲載されている。

Big Gods: How Religion Transformed Cooperation and Conflict > The Religious Studies Project

 先月までは著書本人による要約文も別のwebページに掲載されていたのだが、翻訳している途中で掲載が終了してしまった。

 

 要約だけでは味気ないところがあるが、本の中では、様々な宗教的習慣や心理学実験について数多くの具体的なエピソードが紹介されている。要約だけ読むと、主に一神教を扱った本であるように誤解されるかもしれないが、実際には多神教についても十分に紹介・考察がされている。日本では紹介の少ない文化進化論の考え方についても詳細に説明されており、読み物として充実していて面白い本である。翻訳されることを待ち望んでいる。

 

 

ノレンザヤン著『Big God』の要約 by マーク・ドーン

 

 

 アラ・ノレンザヤンの著書『Big Gods: How Religion Transformed Cooperation and Conflict (大きな神々:宗教はいかに協力と争いを変えたか)』は、人類の存在における二つの「謎」を取り上げている。一つ目の謎は「大規模な社会が発達したことはなぜ可能だったのか?」である。緊密に繋がった小規模な共同体は、いかにして、今日に存在するような大規模で匿名性が比較的高い社会へと発達したのか?二つ目の謎は、超常的な存在については様々な種類の想像ができるはずなのに、多くの宗教で「大きな神々」という特定の種類の存在が採用されているのはなぜか、というものだ。「大きな神々」とは、全知全能の超常的な力を意味しており、現代の世界で主流派となっている宗教の多くに「大きな神々」の概念が存在している。

 これらの一見すると異なった二つの謎について、社会心理学文化人類学行動経済学など幅広い分野の文献を参照しながら、ノレンザヤンは答えを提出している。ノレンザヤンの主な議論は、「大きな神々」という強力な超常的存在への信仰は、大規模な社会が成功するために必要不可欠である種類の協力を促進することで、少人数の集団が大規模な社会へと発展する道を開いた、というものである。結果として、「大きな神々」を信仰する成功した社会が現代の文化空間において支配的なものとなり、他の宗教を「駆逐(winning out)」することになったのだ。 

 (……中略。この記事を書いた目的などが書かれている。……)ノレンザヤンの著書では、彼の仮説を補強するものとして、以下の八つの原則と、それらの原則を支持する幅広い分野からの証拠が示されている。

 

 1. 見張られている人は善人である

 2. 宗教は人よりも状況に宿る 

 3. 地獄は天国を上回る 

 4. 神を信じる人を信じる 

 5. 宗教的な行動は言葉よりも多くを語る 

 6. 崇拝されない神々は無力な神々である 

 7. 大きな集団には大きな神々 

 8. 宗教的な集団は競争のために協力する 

 

 

第一の法則:見張られている人は善人である (Watched people are nice people)

 

 最初の法則は、誰かから見られている時に人はより善人になって向社会的な行動を行う、ということを示唆している。注目すべきは、人は自分が見られていると「思っている」時にも…たとえば、神が自分を見張っていると思っている時にも…、実際に誰かから見られている時と同じように向社会的な行動をする、ということだ。目の前に両目があるだけでも人は協力的に行動しやすくなることを、多くの実験が示している。「目・効果(eye effect)」と称されるものだ。例えば、アーネスト-ジョーンズ、ネトル、ベイトソンによる2011年の研究によると、ゴミのポイ捨てに反対するポスターは、ポスターに両目が描かれている時に、実際に人々がポイ捨てをするのを減らす効果が強くなった。監視者としての神に関わるものとしては、ジェルべとノレンザヤンによる2012年の研究がある。彼らは、神の概念をプライミング(訳注:あらかじめ聞かされること)された人々はより社会的に好ましい反応をする、という証拠を実験で発見した。つまり、全てを見渡して人間の行動を監視する者としての神という概念は、人々の集団における協力が促進されることを助ける、ということだ。協力的な社会とは成功した社会である、ということは重要だ。

 

 第二の法則:宗教は人よりも状況に宿る (Religion is more in the situation than in the person) 

 

 第二の法則は、個人の宗教性…少なくとも、宗教性を示す個人の行動…は大部分が状況によって形作られるものである、ということだ。この法則は、多くの研究者や宗教学者たちが宗教について抱きがちな見方…状況に左右されず保持される比較的安定した個人的特徴としての宗教性、という見方に相反するものである。ノレンザヤンは、行動に対する宗教の影響がいかに状況に左右されるかということを、経験的な証拠によって示している。例えば、ノレンザヤンは「日曜日効果」について説明している。宗教的な人々の行動は、日曜日により強く彼らの宗教的信念に影響される、というものだ。日曜日になると、宗教的な人々はより多くの金額を寄付するようになり、「罪深い行動」(ポルノを見る、など)を行う可能性が少なくなる。自分の宗教が普段より目立つ状況になれば、その間だけ、宗教的な個人の行動はその人の宗教的信念に沿ったものになりやすくなるのだ。

 

 第三の法則:地獄は天国を上回る (Hell is stronger than Heaven)

 

 ノレンザヤンの議論における第三の法則は、地獄は天国よりも強い、ということである。シャリーフとノレンザヤンの実験によると、実験の参加者である学部生たちが不正行為をするかどうかは、彼らが神への信仰をどれだけ抱いているか、ということからは予測できなかった。しかし、神への信仰を「意地悪な神(執念深い、懲罰的)」への信仰と「優しい神(同情的、許してくれる)」への信仰に分けて調べてみると、意地悪な神を信仰している学生は優しい神を信仰している学生よりも不正行為を行うことが少なかった。これは、「意地悪な神は、人を善人にする」ということの証拠であるように思える。人々に愛されながらも恐れられる神を持つことは、適切・向社会的・協力的な行動をするように人々を動機付けるのだ。

 

 第四の法則:神を信じる人を信じる (Trust people who trust God)

 

 1967年のオルポルトとロスによる初期の研究の頃から、研究者たちは宗教と外集団に対する態度の関連について興味を抱いてきた。この領域における理論的・経験的な研究は複雑なものとなっている。一方では、宗教は外集団の人々に対するポジティブな態度を促すことができる。「隣人」を愛することや敵であってさえも愛すること、全ての人々を公正に扱うことや同情を持って扱うこと、などの基本的な教義は、多くの宗教的信仰において共有されている。他方で、宗教は集団間における敵意や不寛容を促すことができる。敵意は、自分たちの宗教における価値観システムが外集団に侵害された時に生じやすい。例えば、無神論は宗教的価値観の最も基本となるところに真っ向から反対しており、宗教的な個人に特別の脅威を感じさせるものである。多くの人々は無神論者を信頼せず、個人的にも公的にも無神論者たちを拒否する。この第四の法則によると、宗教は信頼すべき人とそうでない人を見分ける重要な目印を提供するのだ。

 

第五の法則:宗教的な行動は言葉よりも多くを語る (Religious actions speak longer than words)

 

 第五の法則は、宗教的な行動は宗教的な言葉よりも「多くを語る」ということだ。この法則は、多くの宗教的な集団に潜在している問題を解決するものである。その問題とは、宗教を信じているかのように偽った人が集団に加入して、利己的でタダ乗り的な方法で集団から得られる報酬を手にしてしまうかもしれない、という問題だ。しかし、コストの高い行為が宗教に加わると、宗教的偽善者は自分の宗教的コミットメントを偽わるのが難しくなる。例えば、特定の食習慣を禁止することや、特定の結婚習慣や性的習慣について厳しく固守させることは、その宗教の信者たちを監視するのに役立つ。ノレンザヤンが示唆しているように、厳しい宗教的行動は潜在しているタダ乗り者を抑制し、集団の団結を維持することを助けるのだ。

 

第六の法則:崇拝されない神々は無力な神々である(Unworshipped Gods are impotent Gods)

 

 第六の法則は、第五の法則と関連している。時間・労力・財産を犠牲にすることや、行動に制限をかけること(食物制限など)など、潜在的にコストのかかる行為である宗教的行動を実践するようなコミットした信者がいなくなると、神々は新たな信者を惹きつける能力を失ってしまう。逆に、コストのかかる行動をデモンストレーションすることは、人を改宗させてその宗教に招き入れるほどの力を神々に与える可能性を持っている。宗教的な行動は宗教的な言葉よりも「多くを語る」のだから、その宗教へのコミットメントが表明される度合いが高くなれば、その宗教の神々の影響力は強まる。

 

第七の法則:大きな集団には大きな神々 (Big Gods for Big Groups)

 

 小規模な狩猟採集民社会についての研究は、「大きな神々」への信仰は普遍的なものではなく例外的なものである、ということを示している。現代の我々が暮らすような社会も元はと言えば小規模な狩猟採集民社会から発達してきたのだが、狩猟採集民の小集団が、人間のことに干渉するような神々を信じることはごく稀である。しかし、集団の規模が大きくなり社会的な複雑さが増すと、道徳に口出ししてくるような「大きな神々」への信仰が増すのだ。大規模で工業化された社会の多くでは、全知全能であり道徳に関わる神々が信仰されている。集団のサイズと「大きな神々」への信仰との関連性は、「大きな集団には大きな神々」というノレンザヤンの仮説を支持するものである。

 

 第八の法則:宗教的な集団は競争のために協力する (Religious groups cooperate in order to compete)

 

 最後の法則は、向社会的な宗教は歴史を通じて他の種類の宗教を「駆逐(won out)」してきた、ということを示している。「利己心を抑制して、社会の団結を増させる、集団に利益を与える規範」を備えた向社会的な宗教は、現代の文化空間を支配するに至った。「大きな神々」を奉ずる宗教は集団の安定性を増して、集団の存在期間も伸ばすことを、証拠が示している。更に、そのような宗教は様々な戦略(征服など)によって改宗者を獲得することにも成功しており、生殖の成功によって多大な数の信者を増殖させてきた。我々の歴史における文化進化の過程を通じて、少数の宗教集団と宗教的特徴(「大きな神々」への信仰など)が、文化や社会の違いを超えて支配的になったのである。

 

 

 『大きな神々』の本の最後では、現代において、工業化された複数の社会(スウェーデンなど)で無神論や一般的な非・宗教性が勢いを増していることについて論じられている。ある国家において特定の社会的な条件が整えば、その国家は宗教に影響される度合いの少ない世界観を取り入れることに成功するかもしれない、とノレンザヤンは論じている。そのような世俗的な社会は「宗教の梯子を登り切ってから、梯子を蹴り倒した」のだ。非宗教的な社会では、効果的な世俗的権威が協力を動機付けるという宗教の役割に取って代わっているようである。これらの社会では、宗教はある人が信頼できるかどうかの判断基準ではなくなっている。近年の研究では、世俗的な権威(警察、政府など)が無神論者に対する敵意を減少させることに果たす役割が注目されている。まだ不確かであるのは、文化的圧力が宗教的な社会と世俗的な社会の両方に対して均等に働くために、宗教的な社会が主要な社会として残り続けるのか、それとも、世俗的な社会の方が成長することによってやがては「大きな世俗的制度」が「大きな神々」に取って代わるのか、ということである。