道徳的動物日記

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読書メモ:『 大学なんか行っても意味はない? 教育反対の経済学』

 

大学なんか行っても意味はない?――教育反対の経済学

大学なんか行っても意味はない?――教育反対の経済学

 

 

 雇用主が大学を卒業した人そうでない人よりも高い給料を払うのは、その人が「大学で学んだ知識」や「大学で得たスキル・経験」に対して払っているのではない。大学で学んだ知識やスキルが関わる仕事に就く人は、ほとんどいないからだ。「大学に入って卒業した」ということ自体が示す努力や忍耐力、社会性や協調性などに支払われている。大学で何を学んだかなんて、雇用主も雇われる本人も気にしていない……という「シグナリング仮説」と呼ばれる(らしい)考え方を延々と論じた本。

 メインテーマは逆説的かつ衝撃的で読み始めると惹き込まれるのだが、大学教育の無意味さとかシグナリング仮説の正当性を示す細かなデータを延々と出してきて、似たような結論を何度も何度も主張してくるので、読んでいてうんざりする面も多い。

 しかし、雇用や経済に関する話だけでなく、「大学で学んだ学生たちがいかに学んだ内容を身につけておらず、学んだ内容をあっという間に忘れるか」(第2章で論じられる)や「大学は学問を教えるのみならず、学生の知的好奇心を広げたり文化に対する素養を身に付けさせたり民主主義的責任のある有権者にしたりする…とよく論じられるが、実際には全て的外れである」(第9章で論じられる)という話題についても書かれている。

 著者の結論は「大学を減らして、職業教育を充実させよ」だ。著者がリバタリアンかつ財政緊縮派ということもあり、にわかには真に受け難い主張をしているようにも思えるが、400ページにわたって大学教育の無意味さを説くこの本を読んでいるとその主張にも説得力があるように思えてくる。大学関係者なら読むべき本であろう。

 

 以下雑感。

 

・「日本の学生は不真面目でまともに学問を勉強しないが、アメリカの学生は真面目である」「日本の学生は就職のためだけに大学に行くが、アメリカの学生はそうではない」というような言説はよく耳にするが、この本で紹介されているアメリカの学生像を見ると、日本の学生と全く同じである。楽勝で単位が取れる授業だけを血眼で探して、卒業までの数年間は遊び呆けて、最終学年時に単位が足りなさそうだったら教師に泣きついたりカンニングしたり…などなど。

 

・数学や科学などの理系科目の無意味さも説かれているが、やはりというか、人文学の無意味さについての議論が目立つ。シェイクスピアが勉強したければインターネットで自分で勝手に調べろ、というのが著者のスタンスであるようだ。

 

気に入った箇所

 

カーネギーを前時代的だとの俗物だのと言って片付ける教育者が、まさに私の正しさを証明している。学校は、倫理的な価値はともかくとして、仕事での成功を邪魔する態度を山ほど教え込む。子供に大人になる準備をさせるのであれば、1年間学校に通わせるより1年間仕事を経験させた方が、もっとふさわしいしつけと社会性が植えつけられる。(p.90)

 

最たる疑問は次のようなものだ。幼稚園に入ったときから、学生は現代の労働市場とそぐわない教科を何千時間もかけて勉強する。なぜなのか。英語の授業がビジネス・ライティングやテクニカル・ライティングではなく、文学や詩ばかり取り上げるのはなぜか。高等数学の授業がほとんどの学生がついていけない証明をわざわざやるのはなぜか。典型的な学生が将来いつ歴史を活用するというのか。三角法は?美術は?音楽は?物理は?「体育」は?スペイン語は?フランス語は?ましてやラテン語など!(信じられないことだが、高校ではいまだにラテン語を教えている)。「これが実生活と何の関係があるんですか?」と挑発的な発言をするクラスのお調子者はなかなかいいところを突いているのだ。(p.13)