道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

ひとこと感想:『Vitrtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech』

 

 

 以前からすこし気になっていた本であり、ほしいものリストから頂いたので、読んだ。しかし、贈ってくれた方には申し訳ないのだが、かなりキツい本であった。本や文章としての魅力があまりにもなさ過ぎる*1

 

 この本は、進化心理学者であるジェフリー・ミラーがネットなどで発表した論考やエッセイを集めてまとめたもの。

 ミラーは『恋人選びの心:性淘汰と人間性の進化』や『消費資本主義!:見せびらかしの進化心理学』の著者であり、これまでにも人間が持っている様々な特質を性淘汰やシグナリング理論で説明する議論を展開してきた。

 この本でも、「道徳的な徳の性淘汰(Sexual Selection for Moral Virtues)」の章を中核としながら、人間の持つ道徳的な特徴が性淘汰とシグナリング理論によって説明される。優しさや正直さ、気前の良さや寛容さ、勇気や理想主義などの道徳的な特徴、そしてリベラリズム保守主義などの政治的な特徴は、異性に対して「自分は良い遺伝子を持っており、パートナー関係の相手としても望ましい性質をしている」という信号を送って配偶子として選ばれるために進化してきた、と論じられるのだ。

「人間の道徳的な特徴はなぜ進化してきたのか?」ということについては、これまでにも、多くの進化心理学者が論じてきた。その多くは、「人間は他の動物と比べて社会的な生き物であるゆえに、集団を維持したり集団から排斥されるのを防いだりするために道徳的な特徴が進化してきた」と議論してきた。それに対して、道徳的な特徴は男女間でのパートナー選びや求愛に関わる性質として進化してきた、と論じているところがミラーの議論の特徴である。

 シグナリング理論を使えば、「コストのかかるシグナル」という観点によって、それ自体は本来は個体の生存にとって有利にならないはずのコストのかかる特徴も、「そのコストを問題としないほど健康であったり有能であったりする」ことを示すシグナルだとみなすことができる。これにより、利他性や自己犠牲など、個体の生存にとっては不利であるために進化によって培われるのは難しいと考えられてきた道徳的特徴が存在する理由を説明することができるのだ。

 逆にいうと、道徳的な特徴が進化してきた理由は、道徳そのものではなく、あくまで「配偶者として選択される」という性的な側面にある、ということになる。これは、『消費資本主義!』で行われてきた「ファッションや贅沢品の購入も、読書などの高尚な趣味も、それらの商品や趣味自体に備わる内在的な価値のためではなく、自分のパーソナリティや知性を他者にディスプレイするために行われている」という議論の道徳版だと言えるであろう。

 

 また、第一章の「政治的なクジャク(Political Peacocks)」というエッセイでは、「学生時代、リベラルな同級生たちは政治信条を口で言ったり抗議活動をしてアピールしたりすることには熱心であったが、その政治信条に対して長期にわたって持続的にコミットメントする人はほとんどいなかった。しかし、彼らの大半は抗議運動を通じて異性をゲットすることに成功していた」というミラー自身の思い出が持ち出されながら、政治的な信条や活動の真の機能は求愛のためのディスプレイである、といった議論が展開される。

 この観点は、たとえば男性に保守が多くて女性にリベラルが多いということの説明にもなる。妻子を養い守る性である男性は地位と安定性を女性にアピールすることが重要になり、子供を育てる性である女性は優しさや配慮を男性にアピールすることが重要になるが、男性にとって望ましい特徴と保守主義者の特徴、女性にとって望ましい特徴とリベラリストの特徴は、それぞれ重なっているためだ。(ただし、リベラルか保守かに関わらず政治的な活動をすること自体に、その他の道徳的特徴をアピールする機能が備わっているので、リベラルな政治的活動をすることは男性にとっても女性に対するアピールとなり得る)。

 また、この観点によると、政治活動に最も熱心な属性は若い男性とされる。多くの動物はオスの側が求愛のディスプレイやアピールをするものであり、それに比べると人間にはメスの側もディスプレイやアピールをする必要性があるという特徴はが存在する。それでも、最も熱心にアピールをしなければいけないのは若い男性であるのだ。そして、年齢を経ると若い頃ほどにはアピールの必要性が少なくなるので、政治活動からは遠ざかっていくのである。

 

『Virtue Signaling』にせよ『消費資本主義!』にせよ、ミラーの議論にはそこそこの納得感があることは否めない。たしかに、道徳的な性質には恋愛でアピールするためのシグナリングという要素が含まれてはいるだろうし、趣味だって他人に性格や知性をひけらかすシグナリングという要素が含まれてはいるだろう。この議論は、自分が進化心理学の考え方を知る前から実際の恋愛や人間関係における経験をふまえて考えたり悩んだりしてきたこととも矛盾していないようだし、人間の恋愛や趣味について文学で描かれてきたり社会学で論じられたりしてきたことをうまく補完しているようにも思える。

 ただ、あくまで、「そういう側面もあるかもしれない」「そういう説明もできるかもしれない」という程度の納得感だ。

 これは特に『消費資本主義!』を読んでいるときに思ったのだが、ミラーの本には「それがシグナリングだって言えるんだったらなんだってシグナリングだって言えちゃうじゃん」という感想が付きまとい、読んでいて虚しくつまらない。シグナリング理論は、趣味や道徳が存在する理由を内在的なもの(趣味そのものの価値や道徳が社会維持にもたらす機能など)から外在的なもの(異性から配偶者として選ばれるという機能)に置き換える。それにより、趣味や道徳についての内在的な議論を無効化する側面がある。そして、この論法だと世の中のありとあらゆることをシグナリングとして片付けてしまうことができるし、無敵論法だということになれば途端に胡散臭くなってしまう。

 そもそも、ミラーの文章はまわりくどくて読みづらい。その割にくだらない下ネタとか浅い皮肉が入ったりするので格調が高くもない。そんな文章で、いろんな物事について「あれもシグナリング、これもシグナリング」と繰り返されてしまうと、うんざりしてすぐ飽きてしまうのだ。

 

 わたしは進化心理学の専門家でもなんでもなくて、在野で勉強している身だ。それでも、「どの人の意見が専門家たちからも評判が良くて信頼できそうであり、どの人の意見は専門家たちから評判が悪くて警戒するべきであるか」ということは自分なりにチェックしている。そして、ミラーは専門家からの評判は決して悪くない学者であるらしい。

 しかし、本として読む以上は、専門家としての能力だけでなく文筆家としての能力も評価したくなるところだ。たとえばジョナサン・ハイトは進化心理学の専門家としては「要警戒」な扱いを受けているようだが、なにしろ文章がうまくて本の構成が優れている。それはつまり、「読者はどのような問題意識を抱いており、どのような議論を求めているか」をわかったうえで、語り口や主張の提示の仕方を工夫できているということなのだ。

 もちろん、ストーリーテリングの能力と、正確で妥当な学問的知見を提示する能力とはイコールではない。というか、むしろ、相反することも多いだろう。……しかし、ミラーは「オレは他の学者たちが避がちである性的な話題にも臆せずに突っ込むぜ」というキャラをしているからこそ、文章がつまらなかったり品がなかったりすることは残念だ*2

『野蛮な進化心理学』の著者であるダグラス・ケンリックも同じようなキャラをしているが、彼の方がずっとうまく書いていたと思う。

 

*1:「The Neurodiversity Case for Free Speech(ニューロダイバーシティの観点に基づく、言論の自由の擁護)」というエッセイだけは例外的に興味深かったが、これに関しては次の記事で紹介する。

*2:当日の夕方に追記:

とはいえ、この直後の記事を書いていて思ったのだが、ミラーの神経学的・パーソナリティ的な特徴を考えると「キャラ」について批判を行うことには差別的な側面もある。これはよくなかった。

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