Twitterは辞めたけれど、気になる話題があったら、いまだに外部サイトを経由して検索などはしてしまったりしている。
すこし前になるが、いろいろと気になったのはKADOKAWAによる『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の刊行告知および刊行中止告知に関する話題。
この件に関しては、わたしは津田大介氏とほぼ同じ意見を持っている。
KADOKAWAのゲラ送付の件、担当編集者(あるいは営業担当?)と、中止の判断を行った現場責任者(経営幹部)が実名で詳細な経緯説明をするべき案件でしょう。それが文化に携わる業者としての最低限の責任では。送付先リストから見える意図が明確でSNSを使ったステルスな世論工作と大差ないですよこれ。
— 津田大介 (@tsuda) 2023年12月8日
前述しましたが僕は原則的にこの本は出版されるべきだったと思う立場ですが、その場合も①書名は直訳にする、②ツイートやSNSマーケでやらかしたことの説明責任を果たす③海外での批判的反響も取り上げた中立的な解説文を最後に入れる、という諸条件は満たす必要はあると思っています。
— 津田大介 (@tsuda) 2023年12月8日
また、「表現の自由」や「言論の自由」に関するわたしの立場は下記の記事にまと目ている。
この記事では、「自由に意見が表明されることはわたしたちが物事について正しい知識や理解を得るのに不可欠なので、人を傷つける可能性があっても意見そのものを封殺してはいけない」と論じる一方で、「意見に報酬が伴うSNSや論壇などでは扇情的な意見が幅を利かせやすくなり、それらの意見は知識や理解に貢献するとは限らないし、無意味に人が傷つく危険性も増す(だからこそ危険な意見ほどアカデミアの制度内で論じられたほうがいい)」とも指摘していた。
記事内では言及できていなかったが、取材に基づいたジャーナリズム本にせよなんらかの学問に基づいた人文書にせよ、一般読者に売ることを想定した「本」というメディアは、著者が意見を表明して人々に物事について知識や理解を与えるものであると同時に売れれば売れるほど著者や出版社の懐が潤うという「報酬」を伴った「商品」でもある。したがって、本が出版されると、売るための宣伝やマーケティングが多かれ少なかれ発生する。具体的には、本の内容とはほとんど関係が無い趣旨の帯が巻かれたり、原著と異なる大げさな邦題がつけられたり、なんかダサい文字だらけの表紙になったり、著作家同士でヨイショしあう書評が公開されたりするなど。
わたしはかなり潔癖な人間なので、前述したような本の宣伝やマーケティングについてはどれにも「いやだなあ」と感じる。しかしそんなことを言っていたらジャーナリズム本や人文書は売れなくなって出版社も立ちゆかなくなり、そもそも一般読者が本を手に取って意見に触れたり知識を得たりする機会も失われてしまうから、ある程度は仕方がない(そもそもわたしが単著を出版したときにもマーケティングは多かれ少なかれあったわけだし)。……とはいえ限度はあるし、扇情的な副題をつけたりトランスジェンダーに関する知識や理解があるとも思えない右翼インフルエンサーに喧伝させたりすることで当事者を傷つける可能性を無闇矢鱈と高めるようなマーケティング手法は強く非難されるべきだ。
そして、批判を受けてKADOKAWAが刊行を中止したことで、「サヨクによる言論弾圧だ」「LGBT団体によるキャンセルカルチャーだ」という風に多くの人が騒ぐことになった。……だが、KADOKAWAによる「お詫びとお知らせ」の告知を見ても、特定の団体の要望を受け入れて刊行中止になったという経緯が記されているわけではない。国内外の出版関係者24名による賛同コメントをつけた意見書は提出されたらしいが、その意見書が刊行を中止させる程の圧力となったかどうかは定かではないし、たかが意見書にそんな力があるとも思えない。実際のところ、ロマン優光氏も指摘しているように、刊行中止はKADOKAWAの内部の都合や社内プロセスの行き違いなどが原因である可能性が高いだろう。
しかし、刊行中止の理由がなんであれ、中止になった時点で騒ぎたい人は「言論弾圧だ」「キャンセルカルチャーだ」と騒ぐし、結果としてトランスジェンダー当事者やその支援団体やアライの人たちが被害や迷惑を受けたり余計なストレスを感じさせられることになる。……この一連の顛末は、早川書房が出版した『「社会正義」はいつも正しい』の訳者による巻末解説のネット公開が中止になった件とほとんど同じだ。
当時にわたしは下記のようにコメントしている。
そして、早川書房のアナウンスでは「具体的にどの箇所を問題視して公開を停止したか」「具体的に誰からの批判を受けて公開を停止したか」ということが明記されていないために*1、多数の人々がTwitterやはてブで「またサヨクが言論弾圧をした」「反差別団体が言論弾圧をした」「フェミニストが言論弾圧をした」「TRAが言論弾圧をした」といった憶測や陰謀論を好き勝手に言う事態となっている。
わたしが学生時代に読んだ森達也の『放送禁止歌』では、マスメディアが自律した判断を行わずに事なかれ主義でいくつかの歌を「放送禁止」にしたことが、「同和団体が表現規制をした」「やはり同和団体には権力がありマスメディアを支配しているのだ」といった憶測を呼ぶ事態になった、ということが書かれていた記憶がある。今回の事態は、『放送禁止歌』で書かれていたそれを思い出させるものだ。
KADOKAWAのほうの「お詫びとお知らせ」が公開されたのは2023年12月5日だが、早川書房の「記事の公開停止につきまして」が公開されたのも、奇しくもちょうど1年前の2022年12月5日である。うんざりさせられるのは、この1年間で出版社や編集者たちもネット民たちもまったく成長しておらず、同じようなマーケティングとその失敗が繰り返された挙句に同じような馬鹿騒ぎが繰り広げられていることだ。
起こっている事態が同じなので、この件に関するわたしのコメントも『「社会正義」はいつも正しい』のときと同じようなものに終始することになる。
なのでわざわざ記事を書くまでもなかったかもしれないが、すこし考えさせられた/引っかかったのは、この件に関して本屋LIGHTHOUSEが公開した記事内の、下記の箇所(強調部分はわたしによるもの)。
とにかく、出版業界における「反差別・反ヘイト」の基点/起点は中韓ヘイトにあり、そこを中心に議論や実践もなされてきています。また別の観点を加えれば、中韓ヘイトへの抵抗の方法を基礎にしてほかの差別への抵抗方法も考案・実践されている(これは出版業界に限らない話だと思いますが)。というのが現時点での私が感じていることです。そして、そのような前提=環境のなかで変わってきた環境がもうひとつあります。SNSが持つ影響力です。現時点で、特にTwitterに関してはもはや出版業界における最重要インフラと化しており、そこでの反響の大小や良し悪しが出版社の生命線=売上を握っていると言ってもいいでしょう。ゆえに、そのTwitterでの反響が悪いほうに影響を及ぼしたと判断したKADOKAWA経営層が、今回は中止の判断をしたのだろうと推測しています。
出版社にとっても読者にとっても、いまやTwitterの世界は現実世界と同義です。2013年以降というスパンで考えても、この10年でTwitterの持つ「インプレッション」力は跳ね上がっています。つまり、ヘイト本(として悪評が立っている本)が刊行される/されたということを知っている者の数も、10年前と比較したら確実に増える、そういう環境にあるわけです。となると、大手企業であればあるほど「メンツ」が大事になるということも考えると、KADOKAWAの対応(の速さ)も納得がいきます。そしてなにが問題なのかをわかっていない感じの声明文も同様に、そうなる背景を推測できるわけです。つまり、経営的な観点からの合理的判断であり、自らの差別・ヘイトを反省する類のものではないということ。KADOKAWAのような大規模会社になると、現場がどのような本を作っているかなんて経営層は把握していません。これだけTwitterで話題になって、やっと本の存在を知ったはずです。だからこそ、「流石にこれは(メンツ=経営的に)やばいな」と思い、即座の刊行中止判断と声明発表になったのではないか、と推測しています。
まず思うのは、「Twitterが「最重要インフラ」や「生命線」になっている出版業界って相当マズいんじゃない?」ということ。周知の通り、イーロン・マスクに売却されて以降のTwitterには様々な改悪がなされており、有料化されたとか収益化されたとかだけでなく出会い系アプリになるという話も出ているくらいで、Twitterというプラットフォーム自体の将来が危ぶまれている。わたしを含めてTwitterを離れている人もぼちぼち目立つようになってきた。Mastodonなどの他のSNSに移住している人もいるようだが、移住先は複数あって分散しているし、Twitterに代わる大規模なSNSはもう登場しない可能性は高い。登場したとしてもシステムの仕組みや性質が変わってTwitterでは定番になっていたようなマーケティング手法はもう通じなくなるかもしれない。……となると、最重要インフラや生命線となっているTwitterが崩壊したり消失したりするのに伴って、出版業界も終わってしまうことになる。
もちろん、実際には、Twitter以外の方法でも出版社が本を宣伝したり読者が本のことを知ったりする経路や機会は存在する(わたしが単著を出したときにも、新聞書評の効果がイメージしていたよりもずっと大きくておどろいたものだ)。2023年の年間ベストセラーのランキングを見てみると、Twitterでは対象となる層が異なり過ぎてほとんど売り上げに貢献していなさそうな本が多数含まれている。そして、わたしの周りで本を読む人々のなかにはTwitterを一切やっていない人やほとんどログインしていない人も多々いるし、わたしだって今年(のとくに後半)はTwitterとは関係のないところで地道に本を探して読み続けてきた。多くの読者にとっては「いまやTwitterの世界は現実世界と同義」なんてことはまったくないのだ。それは出版社にとってもそうであるはずだろう。
……とはいえ、長期的に通じるのかという問題や他にも本を見つけたり宣伝したりする経路はあるはずだろうというポイントを差し置けば、現時点では、Twitterが本を宣伝する場として活用されていることはたしかだ。『「社会正義」はいつも正しい』にせよ『あの子もトランスジェンダーになった』にせよ、それらを売り出す担当者などはTwitterで炎上気味に話題になることが売り上げに貢献するのを狙ったマーケティングを企画していたはずである。
そして、Twitterを宣伝の場にしているのは、『「社会正義」はいつも正しい』のような「アンチ・リベラル」な本や『あの子もトランスジェンダーになった』のような「差別的」な本を出している側だけではない。近年では「リベラル」や「左翼」に「反差別」や「フェミニズム」なスタンスの本でも、Twitter上でのマーケティングが目立っているものは少なくない。政治的な要素が薄い歴史学系や言語学系や生物学系の本であっても、「SNSでバズらせる」マーケティングが明白に行われているものは多々ある。
もちろん、どのようなかたちでマーケティングが行われようが、それが有意義で価値のある内容の本が多くの人の手に取られて読まれるきっかけになるとしたら、とくに問題はないと言えるかもしれない。「アンチ・リベラル」や「差別的」な本でなければ、マーケティングによって傷つく人もほとんどいないだろうし。冒頭でも書いたように本が売れなくて出版社が立ちゆかなくなったら本末転倒だし、Twitter/SNSでのマーケティングが人文書の需要を拡大したり延命させたりしているという面も確実にあるだろう。
……とはいえ、Twitterで本を宣伝したり紹介したりしても文字数の短さからその内容はどうしても単純になったり浅薄になったりするものだし、シェアされて拡散されることを狙う以上は大げさで扇情的にもなりがちだ。また、「流行り」に乗った内容であったり「勢い」のあったりするジャンルの本は積極的に出版されてマーケティングも行われやすくなる一方で、そうではない本は冷遇されて埋もれてしまうおそれもある。
こういった問題意識を抱いている人はわたしに限らないようだ。たとえば、今年も紀伊國屋書店の「じんぶん大賞」が発表されたが、それに関して問題意識を表明する(または愚痴っている)人はわたしが検索した範囲だけでもぼちぼちと見つかった。
じんぶん大賞のラインナップを見ていると、SNSでの反響は無視できないものになっていることを痛感する。それはそれでいいと思うのだが、人文書であるからにはそういうものと距離を取っていてほしい、というのもよくわかる。
— Taiga|書店員📚 (@Silver_Hammer6) 2023年12月15日
本当にこれに尽きる。SNSでbuzzらないと売れない人文書は、はたして人文書なのか。そもそも人文書、人文学とは何なのか、私はますます懐疑的になってる。他方、簡単にはbuzzらないテキストとしての文学への信頼は増すばかり。人間理解の深さとしても。 https://t.co/XeFxttHQx5
— 仲俣暁生【破船房で軽出版やってます】 (@solar1964) 2023年12月15日
また、昨年ほどではないが、今年のじんぶん大賞のラインナップにも「ジェンダー」や「フェミニズム」なテーマ/トピックの本が多く含まれている*2。これらの本の内容や著者/編集者の問題意識が真摯なものだとしても、ジェンダーやフェミニズムがTwitterやネット上で本をバズらせやすくて売り出しやすい「トレンド」になっていることは否定できないだろう。……そして、Twitterやネット上で「反LGBT」や「アンチ・フェミニズム」の主張が勢いを持つようになっている背景には、「トレンド」に対する反発という面もあるはずだ。『あの子はトランスジェンダーになった』のような本の出版とマーケティングが企画されたのも、このような状況のなかで拡大していった「反LGBT」層の需要を狙ってのものだっただろう。
まあだからといって「アンチやヘイターの反感や需要を育てるからジェンダーやフェミニズムの本を出すのは止めろ」というのも無理筋で本末転倒だし、マーケティングをするなというわけにもいかない。あえて提言するなら、出版社や編集者ではなく読者の側に対して「マーケティングや流行りに惑わされず、自分の判断できちんと本を選んだり、最新の本ばかりだけでなく旧い良書も手に取ったりするように意識しましょうね」と呼びかけるしかないだろうか。
余談だが、こういった話題になると「でもいまやSNSを経由しないとどんな新刊本が出ているかも知ることができないじゃないか」と文句を言ってくる人があらわれる。しかし、実際には、SNSを使わなくても新刊本の情報をキャッチする術はいくらでもある。新聞書評をチェックするとか、大型書店を定期的に訪れるとか。
わたしのおすすめは、自分の住んでいる地方自治体(または通っている大学)の図書館のWebサイトにある「新着資料」や「新着図書」の一覧ページを定期的にチェックしたり、図書館を訪れるたびに新着図書コーナーを確認したりすることだ。ハードな学術書を除けばだいたいの本はいつか図書館に入荷されるものなので、この方法でだいたいの本の情報はキャッチできる(最新の本の情報を瞬時にキャッチできるわけではないが、そもそもそんなに生き急ぐ必要はない)。学生時代から社会人になってからもわたしはこの習慣を実践し続けているし(最近は読書に割ける時間自体が少なくなっているのであまりできていないけれど)、おかげで他の人がほとんど読んでいないようなマイナーなものも含めて多くの本に出会うことができた。